2024
慧くんの店に行った翌日の昼。日曜日で休みだったわたしはソーイングセットを出し、久々に裁縫に勤しんでいる。
特に何か急ぎで作るとか、頼まれたものを作っているとかではない。ただなんとなく、裁縫や刺繍をしている時が、わたしにとって無心に時間を潰すことが出来る時なのである。久々に由紀に会い、そして慧くんにまで会ってしまった。情報量の多かった昨日を何もない今日で中和する。細い糸を針に通し、細く切った布の上を上下に踊らせ、高校生の時に毎日のように量産していたシュシュを何となく一つ作ってみる。あの頃トレンドだったシュシュを今でも使っている学生はいるのだろうか。最近の女子高校生の集団を見ても、手首や髪にふわふわなシュシュを着けている様子はない。トレンドは繰り返すというが、まだシュシュはトレンドに再降臨していないらしい。
家にあった端切れで作ったシュシュだからか、少し色合いが悪くなってしまった。オレンジに星柄の布、金色の小ぶりな流れ星のチャーム。短時間で作ることの出来るシュシュは、クオリティが低くても形になるから簡単だ。
パソコンを開く。私はインターネットに疎いけれど、小銭稼ぎと趣味の一環でフリマショップでハンドメイドのアクセサリーを売っている。シュシュやヘッドドレス、刺繍を入れたポーチやチューナーケース、わたしが作ったクオリティの低い作品たちも、安価だからか買ってくれる人はいる。最近こそ忙しくて出品を控えているものの、また余裕が出てきたら更新をしようと考える。
外は相変わらず曇っている。梅雨の代名詞のような曇天の空を窓から眺め、エアコンの除湿モードを稼動させる。静かにエアコンが動き出し、乾いた風が吐き出される。母の練習しているピアノの音が、少しだけ開けていたドアから入って来る。息抜きに弾いているのか、雑に速度を速めた「ラ・カンパネラ」に、わたしは少しの間だけ聴き入る。
やがて演奏が一区切りついたのか何も聞こえなくなったので、わたしはまた針を踊らせる。わたしは割と手先が器用な方だと思う。それはきっと、鍵盤を正確になぞり音を奏でる母の遺伝だと思う。手先の器用さが武器になりお金になることは、母のピアノ教室を見る度にすごいと尊敬の気持ちが芽生える。同時に自分のサイトを見て、安価とはいえわたしの商品制作と画面の向こうの誰かの購入で経済が回っていることを、やはり手先が器用でよかったと思う。
昨日の慧くんの手を思い出す。骨ばっていて色白、水場の家事や育児のせいか荒れていた指先。高校生の頃に見た彼の手も、骨ばっていて色が白かった。しかしあの頃はきっと、指先も白くてすべすべだっただろう。自分の手を開いたり閉じたりして見つめる。わたしの手はきっと、あの頃から変わっていない。手先の器用さも変わっていないし、無傷な様も変わっていないだろう。慧くんの手の三十五年と、わたしの手の三十五年。それぞれの人生で関わった人や物に触れて、握って、重ねて、添えてきた手。彼の手は、沢山の人や物に触れて歩んできた手をしている気がした。
わたしはわたしの知らない大人になった樋上慧を、知りたいと思った。
カーネーションをひろって。 ぅる @u_urei
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