第2話
「――そうか、ご苦労だったな」
日没近く――、新選組副長・土方は筆を置いた。
「ですが副長、ご用心を」
そんな土方のやや斜め後ろで、一人の男が座っていた。
町人髷に行商人姿という男で、さっきまで人の良さそうな笑顔だったのが、本題に入るときれいに消えていた。
「わかっている。お前も気をつけろ、山崎。
屯所内の不協和音――、土方はこれを取り除くべく密かに動いていた。
筆頭局長・芹沢鴨と、その腹心にして副長・新見錦。
江戸からこの京に来るまでの彼らの行状は迷惑甚だしく、現在も勝手気ままな行動が目立つ。これに会津藩から、苦言が入った。
かの者たちを、なんとかせよ――。
といって、局長の近藤勇と副長の土方が直に動くことはできない。
そこで動いているのがこの、山崎という小間物商人である。
――あんたも、アレに賛同したんだぜ? 芹沢。
局中法度――、その法度を芹沢は絶賛した。
最初は彼らを追い出すために草案したものではなかったが、筆頭局長という地位が芹沢を
まさか自分たちが賛同し絶賛した法度で、その身が裁かれようとは二人は思っていないだろう。
「はっ。ところで、例の噂の出処は如何致しましょうか?」
山崎が、ふと話題を変えてきた。
「あの下らねぇ噂か……」
副長の文箱には、開けるものに不幸を招く危険なものが入っている――。
土方はよくもまぁ勝手にと、噂を聞いたときには軽い頭痛を覚えた。
山崎も、土方の文箱になにが入っているのか知らない。
ただこの噂に関して、土方は噂のほうは重要ではなかった。
確かに土方にとって、中身が公になるのは危険なのだが。
「噂の張本人を探しますか?」
「いや、それはいい。とにかく、芹沢たちから目を離すンじゃねぇ。いいな?」
そんな二人の会話が途絶えたところに、平隊士が茶を二つ運んでやって来た。
山崎が
「では私はこれにて」
と立ち上がる、
「お帰りに……?」
「へぇ、もう用はすみましたさかい。では土方はん、また」
土方との会話には一切なかった上方訛りと、温和な笑みで土方に頭を下げる。
「ああ。また利用させてもらうぜ」
さっきまで物騒な会話がなされていたとは知らぬ隊士は、茶を一つだけ持って出ていく。
さてと。
土方は文箱に視線を運びながら、茶に口をつける。
宇治茶の香りに鼻をくすぐられつつ、最初の一口を飲み下そうとした時、障子が開いた。
これに、飲んだ茶がおかしなところに入ったようで、土方は咳き込んだ。
「大丈夫ですかぁ? 土方さん」
「いきなり、障子を開けんじゃねぇ! 馬鹿野郎っ」
大概の隊士は助勤も平隊士も、断りを入れてから障子を開ける。
「まさか、いらっしゃるとは。今日は本陣に行かれたのでは?」
忍び込もうとしていたことをあっさりと告げて、総司はにこにこと笑っている。
普段は子供のような青年だが、こう見えて剣の腕は一流。
顔色一つ変えることなく、相手の急所を一撃することは、簡単にやって遂げるだろう。
「行ったのは近藤さんだ。筆頭局長どのは、今日も忙しいようなのでな」
本陣とは京都守護職邸がある、黒谷金戒光明寺のことである。
呼び出しには局長か副長、または二人共出向かねばならないが、新選組には二人の局長と二人の副長がいる。
そのうちの筆頭局長・芹沢鴨と副長・新見錦は、宴席に招かれたと外出中だ。
土方は彼らが何処にいるのか、既に山崎の報せで判明している。
聞けばこの時刻から、料亭を貸し切ってどんちゃん騒ぎだという。
「本陣からの呼び出しというとどうせ、政変の残党狩りが進んでいないことへの小言でしょうね」
「だろうな。……って、お前また、こいつを覗きに来たな?」
総司がここにきた目的がなにか――、文箱の中身だ。
「ご心配なく。私も土方さん同様、頑丈なので。害があるものだろうと平気ですよ?」
「うるせぇ! アレの何処が害だっていうんだ!」
必死な土方に、総司が意地悪そうに笑う。
「笑い死にするかも――」
「総司!」
土方の最大の失敗は、総司に文箱に入っているモノを見られたことだ。
それが、悔やまれてならない。
◆◆◆
ある日の夕方――、総司が巡察から戻ると、庭に長槍を抱えて立っている長身の隊士がいた。
十番隊組長、原田左之助である。
「どうしたんです? 原田さん」
「
陽気な男にしては珍しく、その顔は強張っていた。
「おかしなこと、ですか?」
「人が消えたっていうんだぜ?」
「幽霊ですか」
「よせよ……、俺はそういった類は苦手なんだよ……」
「いても不思議じゃないと思いますよ? 新選組は相当、長州攘夷派から嫌われてますから」
「仕方ねぇじゃねぇか? 奴らを取り締まるのは俺たちの仕事なんだからよぉ。でもよぉ、総司。本当に幽霊――だと思うか?」
「それでその消えたという場所は何処なんです?」
「土方さんの部屋だ」
「は……?」
なんでもその隊士は、深夜厠から出てきたときに見たという。
その人影は、まっすぐ足音も立てずに副長室へ向かったという。
刺客かと思った隊士は、跡をつけたらしい。
だが副長室へ入ったのを確認すると、障子が開いて土方が立っていたという。
――怪しいやつ? そんな奴は来なかったぜ。
土方は、そう答えたという。
「俺は例の噂だけは信じてなかったんだけどよぉ……、やっぱり何かあるんじゃねぇか? 土方さんの文箱には」
原田は蒼白だ。
おそらく土方の部屋に入っていたのは、監察の
彼の任務は隊士の動向調査や情報探索のため、彼の素顔を知っているものは僅かしかいない。しかも変装を得意としているため、局内で擦れ違っても監察とは気づかない。
これは面白いことに――、いや大変なことになる。
総司は思わず緩む顔を引き締めた。
そもそも、土方が中身はなにかいえば解決するのだが、彼はたとえ会津公に云われても白状はしないだろう。
原田とは江戸・試衛館からの仲間だが、彼にでさえ、総司は土方の秘密は云わなかった。
実は文箱の中にあるのは、土方が趣味にしている俳句の句集で、これがかなりの傑作なのだ。
笑えるほどの。
当の本人は近藤にでさえ隠しておきたいらしく、総司に読まれて以来、土方は必死で隠し場所を変える。
よりによって、落ち着いた場所が会津藩から下賜された文箱の中。
独り歩き始めた噂は、中身をそもいわくつきのものに変えたようだ。
お陰で総司以外のものは、かの文箱には触れないだろうが。
それから半年が立ち――、噂は消えた。
副長・錦見錦が士道不覚悟にて切腹し、筆頭局長・芹沢鴨が刺客に襲われて亡くなった。
この騒動で、噂は自然消滅したのである。
ただ――、総司と土方の攻防は現在も続いているが。
新選組副長の文箱は危険なり 斑鳩陽菜 @ikaruga2019
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