夏生 夕

第1話


まだ頭が重い。天井が回る。かろうじて目が覚めたのは、夕陽が射し込んだからだ。


部屋はひどい有り様だ。服やら飲みかけの水がそこらに転がっている。飲んだ後は物の扱いが雑になるが、昨晩は仕方ない。というか今朝だ。祝いだ、と朝までドンチャン騒ぎだった。

微塵も祝いたくなんかないのに。


だるい体を引きずり、撒かれた荷物を鞄に戻す。財布を突っ込んだとき底で固い物が指に触れた。

取り出した瞬間、大きく脈打った。

あいつの煙草だ。

今朝はそこらじゅうの忘れ物を回収し回収され慌ただしく店を出た。誰か適当に入れたんだろう。最悪だ。今は見たくもない。

手に収まる箱を見ると、これを吸っている姿も匂いも思い出せる。同時に昨日の光景も頭をよぎった。



めでたい、と皆は言った。

自分だけ空間から切り離されたように停止した。人や酒、油の匂いと喧騒が削ぎ落とされ無になった。

注目の的となったあいつは少し不機嫌そうに煙草に火をつけた。知っている。照れた時の癖だ。その動作を視線で追ってしまい、テーブルに投げ戻された煙草の箱から目が離せなくなった。何秒くらいそうしていたのか。その後は飲んでも飲んでも酔えず、無理に笑った。

隣で見たあいつの綻んだ顔が頭から離れない。

無愛想から自分だけがその表情を引き出せると思っていた。

しかし昨日のそれには確かに、あたたかな愛情が映るのを見てとり、殴られたような衝撃があった。



意識しないと指の先も動かせないほど打ちのめされている。自分の思いがこんなにも膨れているとは思わなかった。

今更気付くのは馬鹿野郎だが、気付かないフリを続けていたのは大馬鹿野郎だ。そんなんだから、横からかっさらわれる。


大きく息を吸い箱を握り込んだ。ライターと、まだ数本入っているらしい。

乱暴に窓を開け放ってベランダに出る。

この椅子に座り火をつける背中さえ鮮明に思い出されてそんな自分にまた苛つき、慣れない煙草を咥えた。ライターが舌打ちのような音を立て火を灯す。

あの匂いを追いかけて、肺に深く煙を取り込んだ。思い切り噎せた。あいつ、こんな重いの吸ってるのか。記憶の匂いと口に広がる味が全然違う。水を飲もうと部屋を振り返ったが、鼻を掠めた煙がいつもの香りに変わり足が止まった。


泣きそうだ。


もう一度口を付ける。肺に微かな熱が籠った。箱を覗くと一本だけ残っている。

こんな重くて苦い煙、そうすぐには吸えないな。

空になり損ねた箱を途方にくれて見つめている。

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夏生 夕 @KNA

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