積み上げた箱が崩れるように。世界を崩すのはペンギンか、はたまた……?

 冒頭、某サンドボックス型ゲームが脳裏をよぎったので、後々レビューの壁とならないようにそっと脇によけておきました。後で、お立ち台代わりにでも使いましょう。(きっと出番はないですが)
 箱。無機質で簡素なその六面体を俯瞰してみれば、そこに社会が形成され、環境が整備され、アバターが動いていて。限りなく本物に近い偽物……偽物というと語弊や誤解を招きかねませんね。プログラムに「本物」というピッタリフィットする箱をかぶせた人工知能という表現で。
 アバター越しに見える光景もまた「本物」であり、そこにも当然人間社会の礼節は存在する。自分の生み出した子供たちに問いかけたくなるというのは、ある意味自問自答で。世界を俯瞰する神と、その地に生きる民では当然のように目線が違うことでしょう。それがたとえ、すべて自分が作っていた世界だとしても。
 人の脳はすでにその箱の容積を超えて、外の世界へと広がっていって。世界が広がっていくに従って生まれる、ニッチな(そこまでニッチでもないけれど)ニーズに応えられる稀有な存在の主人公。需要と供給はバランスが大事だけれども、このケース(箱だけに)に限っては、その絶妙なバランスを保ちつつ、少なくとも現時点では独占的に仕事を請け負えている。勿論、その仕様故アフターサポートは大変だろうけれども。その充実感、良いですね。
 そんな中、まるでファーストペンギンかの如く飛び込んできたメール。データを喰うペンギンの群れ……Σ ゚Д゚≡( /)/エェッ!
 原因を探る中、浮上してきた一つの可能性。荒らし。どこの世界にもいるもんですが、非常に厄介ですよね……。デジタルでの器物破損ですか……物理的な被害はないにせよ、復旧にかかるのは結局人力であり、人件費であり、その間担当者は箱詰めになることを思えば、それは相応の処罰を受けて然るべき(叱るべき)でしょうね。今や現実世界と並列で存在している仮想世界なんですから、当然その重みも現実世界と同等とは言わないまでもその境界線は限りなく近いはず、現実とバーチャルが同時に存在するこはやはり、利点も弊害も一緒にしょい込まなければいけない課題なのかもしれませんね。
 データを一部破損されたペンギンの群れ。その中から一羽を掴む感触はマウス越しとはいえ、デジタルとはいえなかなかできない体験です。そんなことにわくわくしている場合ではないという建前を差し置いても、(冒頭に避けた箱の上に重ねたとしても)一度体験してみたいです……。
 続いて持ち上げようとする一羽は、空を切り。ペンギンだけに空は切れないだろうとか、そんな話もそこそこにそれは存在しないペンギンの一羽で。
 箱には壁がある。異なる箱をくっつけたところで、それは箱の壁側と壁側が接するだけのはず。しかし、見る方向によってそれが溶け合って一つの箱を形成しているように見えるというのは、まるでトリックアートのようですね。
 背後から忍び寄る19羽目のペンギン。存在してはならない、招かれざるペンギン。その数をどんどんと増やすペンギンは、精巧すぎるほどに精巧で。すでに「いないことが証明されている」その姿を、クオリティを。紺ちゃんの苦労を水の泡にしてしまうような現実に、悲観しながらも、同時にこれほどまで「精巧」に作られたペンギンを作ることに「成功」しているという事実に、感嘆せずにはいられませんでした。
 自らが生み出したペンギンが食べられる様を見届けなければいけないのは辛いながらも、それが今後の対策を練る上で重要な手がかかりになることを思えば、皮肉でもあり苦肉の策でもあり。いっそ、とりあえず高い柵でも用意して外部からのペンギンの侵入をシャットアウトすれば……なんて乱暴な考えがふとよぎりましたが、それでは結局根本的な解決にはならないですよね……。
 ペンギン達はそんな悲しみすならどこ吹く風で、風のように飄々と。世界の壁すらもすらりとすり抜けて。
 仮想世界なら、性別も見た目も。本来の自分とどれだけかけ離れていようとも、それが「本物」として存在できるのが魅力的ですよね。現実世界と仮想世界を混同しなければ、それは大いに有りだと私は個人的にそう思います。現実世界と仮想世界がイコールになる(境界線がなくなり、その二つの世界の壁が取り払われ、完全に同化する)ことがなければ、です。
 三日という時間を費やしても手掛かりすらえられないという絶望感に苛まれながらも冷静にペンギンを分析する稲荷。その精工さは、見た目は勿論、画素数にまで現れていたとは……。
 5w1H。しかし、この場合は場所のWは除外ですね。いつのWもまぁ、現場を目撃したから、一応除外。そして、残る3W1H。3つのW。
 夜店のくじのように。透明な箱の中にはいくつもの景品が紐につながれて、ぶら下がっていて。その景品に紛れるように存在するそれ(3W1H)を引き当てるために、糸を(紐を)引いている犯人を捕まえる為に、今日も張り込みは続く。その刹那。
 箱の中の餌に釣られるように、再びペンギンたちが襲来。
 残されたペンギンたちの命を拾うか、その元となったデータの一部(それもまた命)を拾うか。二者択一を迫られる稲荷のシーンは非常に緊迫感が漂っていてハラハラしました。
 ……え? ここで、座標固定ペンギンが現実世界に? 人語を解せぬペンギンはいともたやすくディスクを拾い上げ、生みの親を立派に助け出し。
 しかし、今度は仮想世界の中の稲荷が大ピンチに。あってはならない世界の融合が起き、しかし稲荷はそれに光明を見出していて。
 ありとあらゆるデータを入力して作り上げた、稲荷の渾身のペンギンに唯一実装しなかった、その身の重さ。
 人間は、仮想世界を構築し、生み出した。だからこそ、その世界を俯瞰することができる。アバター越しにその仮想世界に入り込むこともできる。しかし、逆に言えば、「その二択しかできない」。二次元と三次元の間を行き来するなんて、(仮想世界の住人からすれば)神である人間にだってできっこない。それを可能にする、ペンギンの存在を除いて。
 このシーンですごくハッとしたのが、やはり人間はどこまでも人間なのだなということでした。ペンギンが二つの世界を並列して俯瞰するなら、それこそ神の名を冠するにふさわしく、並列する二つの世界を丸ごと大きな「箱」で囲ってその世界毎俯瞰……ペンギン(鳥類)だけに、バードビューイングできるのならば、これを超える神など存在しないですよ……。頂(鳥)点を極めし者、ペンギン。
 終盤は飛ぶ鳥を落とすような勢いの展開に圧倒されました。……と思いましたが。ものすごく夢のない話をすれば。ペンギンは空を飛べなかったですね……。まぁ、夢のない落ちではありますが、元々、此度の物語は夢物語ではありませんので、今回のレビューはこんなオチでも良いのではないかと思います。