Box of Christmas

高鍋渡

喫茶店【ノア】にて

「子供の頃のクリスマスの思い出は、箱、かな」

 


 古民家を改装して作られ、レトロとモダンな雰囲気を併せ持つ喫茶店【ノア】。


 男と女が座る大きなガラス窓の側のテーブル席からは、車のない駐車場と激しく降り積もる雪が見える。


 客はこの男女二人のみ。特別な日だというのに店内の片隅に百二十センチメートルほどのツリーが置いてある以外はそれらしい雰囲気はなく、静かでゆったりとした時間が店内では流れていた。


 ツリーにはほとんど飾りがなく、根元に無造作に置かれた三十センチ四方ほどのプレゼントをイメージした数個の箱たちがかろうじてクリスマスを演出してくれている。


 飾り気が少なく、人知れず美味しい飲み物や優しい時間を提供してくれるこの店は男と女が初めて出会った場所であり、二人が最も好む場所であった。


 だからこのクリスマスの日も、イルミネーションが燦然さんぜんと輝き、活気があふれ、人々が集まる街の中心部より、隠れ家のようで知る人ぞ知る喫茶店【ノア】に来ることを選んだ。


「おまたせいたしました。オリジナルブレンドとカモミールティー、こちらはチーズケーキとモンブランでございます。ご注文の品はお揃いでしょうか? ……それではごゆっくりお過ごしください」


 男の【ノア】オリジナルブレンドコーヒーとモンブラン、女のカモミールティーとチーズケーキは二人における「いつもの」だ。特に男のオリジナルブレンドは、コーヒーが苦手な男でも水のようにがぶがぶ飲めるほどの至高の一品。


「ずっと聞こうと思ってたんだけどさ、他のコーヒーは頼まないの? 高校生の頃からいつもそれだよね」


「俺、これ以外のコーヒー飲めないんだ。バイトしてた時、休憩中に試しに他のコーヒー飲ませてもらったことはあるけど合わなかった」


「そっか……ああごめん。私から昔のクリスマスの思い出とか聞いたのに、関係ない話しちゃって。箱が思い出ってどういうこと?」


 女は昔から気になることは明らかにしないと気が済まない癖があった。高校で二年以上、社会人になって二年の計四年以上の付き合いがある男にとって、その癖によって話の腰が折られても慣れたものだ。むしろ話下手な男からすれば色々質問してくれるのは助かっていた。


「クリスマスプレゼントが毎年箱に入っていたんだ。一辺五十センチくらいの立方体の箱」


 女は自分の両手で間隔を取り、五十センチメートルほどの長さを想像する。


「結構おっきいね。それなりの大きさのものを入れないとスカスカになりそう」


「そうなんだ。俺、ゲームが好きだったからプレゼントはだいたいゲームソフトだったんだけど、当然箱よりかなり小さいから箱の容量もったいないんだよ。でもうちの親にもちゃんと考えがあったみたいで、箱の底にゲームソフトを入れてその上にお菓子をこれでもかってくらいに詰め込んでいたんだ」


「それをかき分けてお宝のゲームソフトを探す感じか。いいね、楽しそう。私もやってみたい」


「……それだけじゃないんだ。その箱自体も家のどこかに隠されていて、クリスマスの日は朝起きたら箱探しから始まるんだ。っていうのが俺のクリスマスの思い出。幼稚園の年中から小六くらいまでやってたな。まあ中学からも宝探し的なのはやめてサイズも小さくなったけど箱に入ったプレゼントをもらってた」


 コーヒーをすすりながら昔の思い出を懐かしむ男のことを女は少しだけ羨みながら見つめる。


「でも急にどうしたんだ? 今まで昔話なんてしたことなかっただろ?」


 男の問いに女はカモミールティーを少々口に含んでから答えた。


「私が昔話をしたいと思ったから。私だけするのはフェアじゃない気がしたからひじりにも話してもらったの」


乃蒼のあらしいな、そういうの」


 ひじりと呼ばれた男は女を乃蒼のあと呼び微笑みかける。


「高一のクリスマス、ひじりはここでバイトしていて私が逃げ込んで来た時が初めての出会いだったよね」


「ああ。ちょうど今日みたいな日だった。クリスマスと大雪の併せ技で全然お客さんがいなかったな。乃蒼のあは店に入った瞬間何故か泣き出したよな。母親と喧嘩して家を出てきたんだっけ?」


「うん。今日はその辺の話をちゃんとしておきたくて」


 乃蒼のあはさりげなくひじりの手元にあるモンブランにフォークを伸ばし、ひとすくい頂く。ひじりは怒る代わりにノアのチーズケーキをフォークで小さく切って頂き返す。フェアにするのが二人のルールだ。


「私の家、結構お金持ちだったんだ」


「まあ、東京の私大に行って都心に一人暮らしするくらいだもんな。なんとなく分かってたよ」


「お父さんが若い頃に起業して運良くうまくいった成金ってやつ。私は優しいお母さんとお父さんに大事に大事に育てられた世間知らずの箱入り娘だった」


 ひじりはファーストフード店で目を輝かせ、バスの乗り方で戸惑い、おしとやかで礼儀正しかった乃蒼のあを思い出す。初めてできた彼女との思い出は今も鮮明に残っている。


「それもなんとなく分かってたよ。でも乃蒼のあは昔のことあまり話したがらなかったから聞かなかった」


「あの年の十二月初旬に私の両親は離婚したんだ。原因はお父さんの不倫。それから優しかったお母さんが変わってしまった。いつもイライラして、些細なことで怒って、泣いて、とても不安定になった。それにつられて私の心持ちも不安定になっていたの。あのクリスマスの日は本当に些細なことでお母さんと喧嘩してしまって、初めて家出したんだ」


 乃蒼のあは手元のカモミールティーをじっと見つめ、微笑む。


「大雪の中あてもなく歩いていた私の目の前にあったのがこのお店だった。私と同じ名前のこのお店は悲しみとか不安とか嫌な感情の大洪水から私を生き延びさせてくれた、まさにノアの箱舟だったよ」


 乃蒼のあは「ほんとは自分から入っていくものではないけどね」とおどけて見せた。


「洪水になるんじゃないかと思うくらい泣いていたのは、そういうことだったのか」


「うん。雪まみれで店に入って、やっちゃったなって思ってた私に『いらっしゃいませ。気にしなくて大丈夫ですよ』ってひじりが優しく声をかけてくれたのが嬉しくて。お母さんとの喧嘩の原因、私が雪を見たくて部屋の窓を開けちゃったことだったから。なんかこう、すごく心をあったかくしてくれたんだ。だから色々な感情が溢れて止まらなくなっちゃった」


「ひどい顔してたからな。あの時の乃蒼のあ。放っておいたら死んじゃうんじゃないかって思った」


 乃蒼のあは再びカモミールティーに目を向ける。


「カモミールティー。飲むと落ち着くからってひじりが奢ってくれたんだよね。ひじりからの初めてのクリスマスプレゼント。あれから好きになった」


 乃蒼のあは手に持ったカップを目線の高さまで上げて、カップ越しにひじりを見つめる。


「昔話はこれだけ。あとはひじりの知っての通り。親離れしたくてわざわざ東京の大学に行ってひじりとも別れて、結局こっちに戻って就職して、もしかしたら会えるかなって思ってここに来たらひじりと再会した」


「お互い別の道を進んで、新しく恋人を作ろうなんて言って別れたのにな。前にも話したっけ? 大学で彼女できたけど一ヶ月で別れたって話」


「うん。それだけだったって」


乃蒼のあは二週間で別れた人と三日で別れた人が一人ずつだったよな」


「うん。だってあの人たちすぐから……いや、今はこんな話するべきじゃないね」


 乃蒼のあはカップをテーブルに戻し、背筋を伸ばし、手を膝の上に置き、姿勢を正してかしこまる。


 ひじりもつられて鏡写しのように同じ姿勢をとる。


「今日親のことを話したのは、ひじりのことをちゃんとお母さんに紹介したいからなんだ」


 高校時代は乃蒼のあと母親の関係が悪く、二人が交際していたことは隠していた。


 大学時代を経て時間や距離を置いたことで落ち着いた乃蒼のあと母親は良好な関係に戻り、今は同居している。交際していることは知っているものの、仕事が忙しいことを理由に一度も顔を合わせられていない。



 ひじり乃蒼のあの親には挨拶をしなければならないとは思っていたし、自分の両親にも乃蒼を会わせたいとも思っていた。だが、ただ紹介したいという乃蒼のあとは違う目的があった。


 ひじりは左腕に巻いた腕時計を見る。時刻は午後七時五分前。


「考えておいてね」


「……うん」


 乃蒼のあは店長とわずかなスタッフ以外には自分たちしかいない店内を見回す。最後に窓から猛吹雪となっている外を見た。


「私たちと店員さんしかいない。外もあんなだし、街に行かずにここにして正解だったね」


 乃蒼のあは脇に置いていた鞄の中からおもむろに紙袋を取り出してひじりに渡した。赤と緑で彩られたクリスマスらしいその紙袋の中には何やら柔らかいものが入っていることをひじりは確認する。


「クリスマスプレゼント。ごめんね、箱じゃなくて。来年は箱にするから」


「ありがとう。開けても良い?」


 乃蒼のあは頷く。


「……手袋か。ちょうど欲しかったんだ」


「前に使ってたやつどこかに引っ掛けて破れちゃったって言ってたでしょ? 世界に一つしかない特別製のやつだから大事にしてよね」


「高校の時から裁縫とか得意だったな。高二の時もらったマフラーは今日もしてきたし、これもずっと大事にするよ。すげえ嬉しい」


 喜ぶひじりを見て乃蒼のあも頬を緩ませる。だがすぐに切り替えて、ひじりの言葉を待つ。渡すだけではフェアではない。プレゼントを渡したのであれば渡されなければならない。


 乃蒼のあから期待の眼差しを向けられるひじりは再度腕時計で時間を確認する。そして高校生、大学生の計七年間バイトでお世話になった店長へ、目配せをした。


「時間だ」


「え?」


「今日、スタッフもお客さんも少ないのは大雪のせいだけじゃない。七時からは俺が貸し切りにしてるんだ」


 ひじりは席を立ち乃蒼のあの隣に移動してその手を取った。いまいち状況がつかめていない乃蒼のあを立ち上がらせると店内を見渡す。


「まさか乃蒼のあから子供の頃のクリスマスの思い出を聞かれるなんて思ってもいなかったから、ちょっとネタバレしちゃったんだけど、俺からのプレゼントは箱だよ。この店内のどこかに三十センチくらいの箱を隠した。乃蒼のあと初めて会った場所で、俺が好きだったプレゼントの渡し方をやってみたかったんだ。そのために貸し切った」


 ひじりは困惑する乃蒼のあの手を引いて店内の中央まで誘導する。


「さすがにキッチンやトイレ、従業員用のスペースには隠してないよ。ここから見える範囲に必ずある。その箱の中に俺が乃蒼のあに渡したいものが入っている。どう? ワクワクする?」


「そうだね。聖の話を聞いて、やってみたかったなって本気で思ったもん。じゃあ頑張って探すよ」


 その表情は新しいものに出会ったときの高校時代の乃蒼のあにそっくりだ、とひじりは思った。


 乃蒼のあは約十分をかけて店内のほぼすべての客が立ち入ることができるエリアを探し終えた。


「ちょっとひじり、全然見つかんないよ」


「じゃあ教えようか?」


「それは駄目、ヒントちょうだい」


「そうだな……今日はクリスマス、かな」


 負けず嫌いで、知りたがりで、公平さを重視する元箱入り娘の乃蒼。ゲームや勝負ごとには人一倍こだわりがある。


「クリスマスって、この店のクリスマスっぽいところなんてあのツリーくらいしか……え、まさか」


 乃蒼のあは店内の片隅に設置されたクリスマスツリーの根元に置いてある数個の箱に気がつき、手に取った。その中でも飾りではなく、しっかりと開け閉めができる蓋がついている本物の箱を見つける。


「も―何これ。絶対飾りだと思うじゃん」


 乃蒼のあは悔しそうに、だが嬉しそうに笑う。


 その無邪気な表情をひじりはまるで昔の自分を見ているように感じていた。



 席に戻り、乃蒼のあは箱の中身を確認する。


「わっ駄菓子がいっぱい」


「高校の頃好きだったろ? 今まで食べたことないって言いながら喜んで食べてたよな」


 駄菓子のカツはいったい何の肉なのかと気になった乃蒼のあの問いに答えられなかった記憶が蘇る。乃蒼のあはそのカツに最もはまり、箱買いしていた。


 駄菓子をかき分けると乃蒼のあは次のプレゼントを掘り当てる。


「カモミールティーのセット。ありがと」


 乃蒼のあひじりが初めて会ったあの日、カモミールティーを飲んで落ち着いた乃蒼のあはひとまず帰宅することができた。しかしその後も母親とはうまくいかず、喧嘩をした時や嫌なことがあった時は【ノア】を訪れてカモミールティーを飲み、ひじりと距離を近づけていった。


「これは……ハンドクリームとリップクリーム。助かる。けどよく私がいつも使ってるやつ分かったね?」


「出かけた時とか乃蒼のあがうちに来る時、よく見てたからな」


「見てたのはそれだけ?」


「……手とか唇も綺麗だった」


「正直でよろしい」


 残るプレゼントは一つ。箱を漁っていた乃蒼のあの手が止まり、驚いた表情でひじりの方を見てからゆっくりと箱の中に入れていた手を箱から出した。その両手のひらの上に、真ん中あたりに開くための切れ目が入った小さな箱を乗せている。


ひじり……これって」


「他のプレゼントは箱の隙間を埋めるためのおまけみたいなもんだよ。一番渡したかったのはその箱の中身だ」


 ひじり乃蒼のあの手のひらの上にある小さな箱を自らの手で開いて中身を見せた。見開いて釘付けになった乃蒼のあの瞳に、銀色のリングのきらめきが映る。


「大学の四年間、乃蒼のあと離れて気がついた。俺は乃蒼のあ以外の人を好きになれないし、他の誰よりも乃蒼のあのことを愛する自信がある。乃蒼のあと一生一緒に生きていきたいんだ。だから……結婚しよう」


 乃蒼のあはまだ心の整理がついていないようで、箱の中の指輪と目の前のひじりの顔と窓の外を順番に見比べている。幾分か外を見る割合が多い。


「あ、あの、わ、私は色々気になったことすぐに聞いちゃう癖があって……」


「知らないことを知りたいって思うことは素敵だと思う」


「ふ、不平等なこととか嫌いで……」


「立派なことだよ」


「負けず嫌いと言うかなんと言うか……」


「俺もだよ。一緒に喜んだり落ち込んだり、時には勝負しよう。きっと楽しい」


「お、お父さんいなくて……」


乃蒼のあは何も悪くない。それに乃蒼のあのお母さんと同じ思いは絶対にさせない。俺は生涯乃蒼のあしか愛さない……あ、ごめん、子供が生まれたら子供のことも愛する、けど」


「子供……お姉ちゃんと弟の二人姉弟がいいな」


「うん」


「クリスマスプレゼントはこんな風に箱であげたいな」


「うん」


「……本当に私でいいの?」


乃蒼のあじゃないと駄目なんだ」


「……指輪、着けて良い?」


「もちろん。手、出して。俺が着けてあげる」


 ひじり乃蒼のあの手のひらの上から指輪が入った箱を取ってテーブルに置き、改めて指輪を手に取る。何度も手を繋いだ感触で作ったサイズはばっちりのはずと自信を持ち、差し出された乃蒼のあの左薬指へ指輪をはめた。


 乃蒼のあはまるで我が子のようにその指輪を撫でる。


 流れる涙は二人が初めて会った時の涙とは別物のように美しく、澄んでいて、幸せに満ちていた。



 外はこの世の終わりかというほどの猛吹雪が吹き荒れている。


 喫茶店【ノア】の店内では、店長とわずかに残っているスタッフによってささやかなパーティーが催され、主役の二人の婚約を祝っていた。

 


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