ねえ、あんた
壱単位
ねえ、あんた
あたらしい菓子屋ができたって聴いてさ。
あんたに言ったら、なんだか、
なんだ、俺に
あたしも丁度、ほら、新月だったもんだから、いろいろと体調がさ。
誰もそんなこと云ってねえだろうが、あたしは手前で喰う菓子の話してんだ、手前で稼いだ
あんた、あのとき、怪我してたもんね。
その怪我だって、仲間を庇って負ったやつだって、あたしは識ってた。ようく、識ってた。
どれだけ、鼻が高かったか。
だのにねえ、あたしは本当に莫迦だよ。
次の日までくち、
あたしは昼まえからお
ひょこ、ひょこ、って、あんた、歩いてた。
夕餉の買い物の人どおりの多い町筋をさ、菓子屋に向かう通りをさ、目深に西洋の帽子をかむって、足を引き摺りながらさ。
でもね、ふふ、あの時あんた、耳、隠し忘れてたんだよ。帽子の横から、ぴんと尖った狼の耳がさ、あんたの、あの、ほんとうに綺麗な、いちばん
誰も振り返らなかったのは、丁度、帽子の飾りに見えたんだろうねえ。ふふ。
あたしは知らぬふりをして、菓子屋には寄らずに、
あんたは布団に頭から潜って、向こうをむいて、あたしがただいまって云っても、なんにも返事せずに、
布団の横に、箱、おいてあったね。
町のひとが手に持ってるのを幾度も羨ましく眺めてたから、中身なんて、すぐにわかった。でも、知らない振りで、なんだいこれ、って聴いたらさ。
知らぬ、何時の間にか、そこにあったのだ、ってさ。
可笑しくってさ。
あたし、可笑しくってさ。
そうかい、じゃ、開けてみるよ、って声をかけて。中身は、あの店でいちばん上等の、くりいむが小さく盛り付けられた、なんとも可愛らしい菓子でさ。食べてもいいのかい、って訊いたら、もじりとしてさ。なんだい、手前も喰いたいんじゃねえかって、それも可笑しくてさ。
菓子を手に持ったまま、あんたの布団に馬乗りになってさ。ほうら、って、差し出してさ、要らぬ要らぬって云う、あんたの口にそれを押し当てて、齧るのを眺めて、そうして、口の端についたくりいむを、わたしは舌で拭ってさ。
ふたりで、空になった箱のよこで、空になった身体を横たえてさ。
もう宵だったけれど、晩飯のことなんて、考えたくもなくてさ。
ね、あたしになにか
その箱は、愛らしい木箱でさ。
あんたが眠ってから、あたしはそれを丁寧に拭って、だいじに、仕舞ったんだ。
あんたのちょっとが、ここに、入ってる、って、思えてさ。
蓋を、開けてみる。
あれから半年たったけれど、まだすこうし、菓子と、あんたの香りが残ってるような気がする。
目を閉じて、すうと、吸い込んで。
丁寧にゆっくりと、蓋を閉めた。
あたしの匂いが、あんたの匂いと、いっしょになっていればいいなって思いながら。
月の大きい、夜。
しんとした空気のなかで、物音ひとつしない部屋のなかで、あたしは、白と紅の正装に身を包んで、心の臓を刺し通すような月あかりを浴びて、膝に箱を置いている。
顔を伏せ、目を閉じている。
半刻ほども、そうしていたろうか。
あたしは箱を、部屋のまんなかに置いて、立ち上がった。
あんた。
いってきます。
必ず、討ち果たして見せる。
一族の……あんたの、
悪鬼、
すべてのあやかしたちの、怨敵。
胸に浮かんだあんたの微笑は、目に溜まった温い液体で流し去った。
そうして、代わりに、据えた。
憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い、あの女の、あたしたちを見下げて高笑いをする、蒼い髪の、あの、りるるの
ねえ、あんた。
あたしは小さく声を出したけれど、もうそれは、狼のわずかな唸り声としか聞こえていないのだろうと思う。
<沈丁花は碧血を所望する 第二部 プロローグ: 了>
ねえ、あんた 壱単位 @ichitan
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