開かずのダンボール箱には秘密がある

陽澄すずめ

開かずのダンボール箱には秘密がある

 今回移り住むことになった借り上げ社宅の中は、ダンボール箱で埋まりつつあった。

 食器棚やタンスなどのいわゆる箱物家具を先んじて運び込んでもらい、その空いたスペースにどんどんダンボール箱が詰み上げられていっている。


 ここまでの長距離運転で疲れた夫は、部屋の片隅で息子の相手をする妻に「ちょっと一服してくる」と声を掛け、ベランダの外へ出た。

 ポケットからタバコの箱を取り出して一本を咥え、火を点ける。

 高台にあるこの住居からは、盆地のくぼみに詰め込まれた街の様子がまるで箱庭のように見渡せる。今度は何年ここに住むのだろうか。


 吐き出す煙と共に視線を落とせば、道路脇に停めた引っ越し業者の箱型トラックから荷物がどんどん運び出されるのが目に入った。

 ほとんど揃いのダンボール箱の中に、今回のとは違う引っ越し業者のロゴの入ったダンボール箱が数個紛れている。前々回の引っ越しの時からある荷物だった。


 彼は転勤族だ。数年おきの転居を繰り返すうち、どうしても開封しないままのダンボール箱が出てくる。使用頻度の極めて低い、しかし捨てるには忍びないものが入っており、密閉されたまま毎度の転居を乗り越えているものだ。


 もう一度、静かに煙を吐く。

 彼はある秘密を抱えていた。

 彼には、デビュー以来ずっと箱推ししているアイドルグループがある。

 その結成十五周年を記念したスペシャルコンプリートボックスを、妻に内緒で買った。アルバムも映像作品も全て所持していたが、コンプリートボックスには未公開の秘蔵映像が収録されるとあって、買わずにはいられなかったのだ。

 また、併せて発売されたスペシャルトレーディングカードも、当然のように箱買いした。勿体なくて未だ開封できてはいないが。

 どちらもそれなりの価格のものだった。物価高騰の煽りで家計は火の車なのに、そんなものに大枚はたいたと知れたら妻は烈火のごとく怒るに違いない。


 今回の引っ越しにあたり、開けられていないダンボール箱は絶好の隠し場所だった。

 中に入っていたのはガラクタばかりだった。そうして彼は、コンプリートボックスと箱買いのトレーディングカードを例のダンボール箱に分散して入れたのである。


 一服を終えた夫が部屋に戻ると、妻がダンボール箱の一つを開け、息子のおもちゃ箱を取り出しているところだった。


「散らかすなよ」

「おもちゃも何もないと間が保たないのよ」


 妻は軽い苛立ちとともにそう言った。

 部屋には、ちょうど例の開けられないダンボール箱数個が運び込まれてくるところだった。


 妻にもまた、秘密があった。

 彼女は現在専業主婦だが、以前勤めていた会社の上司と不倫関係を続けていた。

 新入社員だった時のチームリーダーだった男で、箱入り娘同然の彼女にいろいろ教えてくれた人でもある。ちなみに妻帯者だ。

 相手も出張で全国を飛び回る身なので、近くに来る折には必ず会うようにしていた。その際、いつもプレゼントをくれるのだ。ブランドの香水やアクセサリーなど、高級品ばかり。そんなものを身につけていたら夫に不審がられると思い、化粧箱パッケージすら開封していないが。

 また、夫の長期出張中に息子を実家に預けて、二人で箱根旅行へも行った。その時に買った寄木細工の小箱は素敵な思い出の品だ。


 今回の引っ越しにあたり、開けられていないダンボール箱は絶好の隠し場所だった。

 中に入っていたのはガラクタばかりだった。そうして彼女は、香水やアクセサリーの箱やら箱根寄木細工の小箱やらを例のダンボール箱に分散して入れたのである。


「すいません、このダンボール箱はどこへ置けばいいですか?」

「あぁ、それは大したもの入れてないんで、奥の部屋の押入れの前にでも置いておいてください」


 引っ越しスタッフによって運ばれるダンボール箱たち。

 ロゴの違うそれらの箱に、興味を持ったのは幼い息子だ。


「ねぇ、あの箱には何が入ってるの? 開けていい?」

「「ダメ!!」」


 夫婦の声が揃う。


「いや、あれは前の前の引っ越しの時からある荷物なんだ。面白いものは何も入ってないよ」

「そうよ、またいつ引っ越しになるか分からないんだから」

「下手に開けない方がいいね、ハハハ」

「そうよね、手間になってもいけないし。ウフフ」


 息子は嬉しくなった。

 普段は些細なことで口喧嘩ばかりしている両親が、珍しく意見を同じくしている。

 あのダンボール箱のおかげで、パパとママが仲良くなったんだ、と。


 この家には、開かずのダンボール箱がある。決して開けてはならない秘密の箱が——



—了—

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