霧の中から青空を眺む

 作者様と私はとある共通点があるはずです。それは新型コロナに感染し、ブレインフォグを体験していること。

 それは今まで自分が当たり前にできていた記憶や想起や計算や思考ができなくなるという体験でした。自分が明白な意識を持ったまま、まるで『アルジャーノンに花束を』の主人公のようにどんどん自分と言うものを失ってしまうのではと言う恐怖の体験でした。

 私の場合には偶然ですが同時に母親も本物の認知症の発症が明らかになりました。

 人間はいくら何かを積み重ねようとしても、ゆくゆくは、それらがどんどん失われていき、このように壊れていくものだなと言うことを実感しました。人生とは無常です。

 この物語の主人公もやはり病気で多くのものを失いました。おそらく不可逆的な失い方で。でも、そんな中で主人公に残ったものはただただ彼が心の底より愛した幼なじみと、友達の夫婦のことがとても大好きだと言うその思いだけでした。それこそがパンドラの筺の底に残った美しい希望となったのでした。

 この先、私は多くのものを得ることができるでしょうが、それ以上に多くのものを失っていくことでしょう。そんな中でこの主人公のように本当に大事なものだけでも残して置くことができたならば、幸せな人生の終焉と言えるのではないかと思いました。

 この物語の主人公はまだ若いです。しかしながら、この物語は愛の物語であるだけでなく、老いを見つめる物語でもあると私は解釈させていただきました。

 霧の中から微かに見えた青空に希望を託したい。そんな気持ちになりました。

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