無敵の人は、今日も□す。

くくくく

無敵の人は、今日も□す。

 100円ショップで包丁とまな板、紙皿と紙コップ、レジャーシート、お菓子とお茶のペットボトルを買って、店の外で包丁以外を全部捨てた。


 包丁だけを買うと怪しまれるからわざわざバーベキューを装ったわけだけど、無人レジだったしそれほど気にすることなかったかも。

 トートバッグには残金僅かの財布と包丁、それしか入っていない。

 銀行に残高はない。仕事はクビになった。僕に守るべきものも、未来もない。

 師走の街は風が冷たく、雪が降りそうな空模様だ。


 僕は今から悪いやつを□す。そしてその後、自□する。


 ニュースで無差別通り魔事件を見る度に、激しい怒りを覚えていた。

 誰でも良かったと言いながら女性や子供、老人など弱い人間を襲うのは何故だ?

 マジで頭イカれてんのか? 誰でも良いなら、社会のゴミを□せよ。そんなんだからお前らは社会不適合者なんだよ。

 裏金を誤魔化す政□家の家に行って□せ。

 人を不幸にする□教の施設に行って□祖を□せ。

 性犯□者を□せ、反□を□せ、迷□系You□uberを□せ。

 誰でも良いならゴミを□すんだよ。そうだろ?

 社会で役に立たなくなったあんたや僕が、意味のある人生を送れる最後のチャンスは、ゴミを□すことしかないんだからさ。


 ──きみもそう思うだろ?


 顔が濡れた。音もなく雪が降り出したようだ。


 いつもの街が別世界に見える。それは雪で白くなっているからではない。今、目の前を歩いている人を突然□すことができるからだ。

 適当な飲食店に入って、食事をしている人の背中に□□を突き立てることもできる。街頭でエナジードリンクを配っている女性を□すこともできる。何人かで歩いている子供の1人を攫って、滅多□しにすることもできる。

 あまりにも自由過ぎて、昨日までの窮屈な世界が嘘みたいだ。目に映る光景が全て、クライマックス直前の映画のワンシーンに思える。

 この高揚感にやられて、あいつらは弱者に手を出してしまったのだろうか。

 当然僕はそんなことしない。あくまでゴミを□すのが目的だから。弱い者を狙ったりはしないんだ。


 ──きみはわかってくれるよね?


 目の前を小柄な女性が、掃除用具でいっぱいになった買い物袋を持って歩いている。季節を考えると大掃除だろうか。洗剤や除菌シート、雑巾にブラシ。

 薄いビニール袋が破れそうになるほど品物が詰まっていた。

 二十代前半かな、黒い髪が歩く度に揺れている。僕はもう42歳。あんな若い子と付き合えることはないんだろうな。

 そもそも女性と付き合ったことないし。まともに話したこともないし。目も合わせられないし。生き辛い人生だった。でもそれも今日で終わりだ。最後に世界の役に立つことができる、それが嬉しいし美しい。


 彼女を追って住宅街に向かうと、小さなアパートの部屋に入って行った。玄関のドアを開ける際に横顔が見える。化粧っ気のないさっぱりとした顔立ちだ。思ったより幼い顔だったので未成年かも知れない。正直、僕がいつも違法□画サイトで見ている大好きなア□ルト女優に似ていた。好みの顔だった。

 

 だから悩んでいた。


 彼女がアパートの敷地でポケットから鍵を取り出した際、ハンカチが落ちたのだ。

 それに気付かないまま、彼女は部屋の中に入ってしまった。

 誰かを□す前にハンカチを届けるかどうか、悩むところだ。初対面の男がチャイムを鳴らし、ハンカチを持ってきたら戸惑わないだろうか。

 僕はそれを拾って鼻に押し当てた。甘い香水のようなにおいがして、頭の奥が痺れる。

 僕だって人の役に立つことを神様に証明したい。

 もしかしたら彼女は喜んでくれて、僕を部屋にあげてくれるかも知れない。もしかしたらコーヒーを出してくれて、共通の趣味の話で盛り上がるかも知れない。

 もしかしたら彼女は幼い頃に父親を亡くしていて、父性というものに強い憧れを持っているかも知れない。だから歳の離れた僕に亡き父親を重ね、親しみを感じてくれるかも知れない。もしかしたらそれは親しみから愛情に変わり、僕らは恋人同士になれるかも知れない。

 そうしたら僕は誰かを□さずに、彼女と2人で幸せに暮らし、穏やかな最期を迎えることができるかも知れない。

 確かにそうそう上手くいく話じゃないけど、まったく可能性がないわけではない。


 ──きみもそう思うだろう?


 だから僕は、彼女の部屋のチャイムを押した。

 キンコン、と軽い音が鳴る。心臓が高鳴る。しかし中から反応はない。ドアスコープを逆から覗いてみても、中で誰かが動いている気配も感じられない。どうしたんだろう?

 もう一度チャイムを押す。キンコン。どうして出てくれないのか。僕はきみの未来の旦那になるかも知れない存在だって言うのに。徐々にイラついてきて、ドアを蹴りたい衝動に駆られる。だけどダメだ、そんな乱暴なことをしたらせっかくのチャンスが台無しになってしまう。

 ストレスに耐える為、指の爪を噛む。そして深呼吸。震えが止まらない。

 なんなんだよ。どういうことだよ。僕のことをバカにしてるのか?

 ノブに手をかけ、思い切り回した。すると鍵がかかっておらず、呆気なくドアが開いた。想像していなかった展開に、背中に汗が浮かび上がってくる。これは……運命ってことか?

「おじゃまします」

 とだけ言って、部屋の中に入る。廊下を進んでドアを開けると、電気の消えた薄暗いリビングで彼女は食器を洗っていた。耳にはBluetoothイヤフォン。そうか、チャイムが聞えなかっただけか。

「あの、ハンカチを落としましたよ」

 声をかけるが、彼女は気付かない。よほど大きな音で音楽を聴いているのだろう。何を聴いているのかな、僕と好みが合えばいいんだけど。

「あの! 落としましたよ! ハンカチ!!」

 大きな声で伝えると、彼女は顔を上げてこちらを見た。

「落としましたよ、ハンカチ」

 今度は笑顔を作って言う。第一印象が大事だから。

「きゃあああああ!」

 どうして? 彼女は僕の姿を見るなり、慌てて食器を落として割ってしまった。ドジっ子じゃないか、守ってあげたくなってしまう。

「ハンカチ落としたんですよ、だから届けに来たんです」

「誰ですか!?」

「誰っていうか、ハンカチを」

「出て行ってください!!」

 すごく悲しかったし、カチンと来ちゃった。だって、人の善意を踏みにじるような言葉じゃない? 初対面の相手に失礼過ぎるよ。

「失礼だろ!? 謝れ!」

「は!? ど、どういうことですか!?」

「いいから謝るんだよ!!」

「警察呼びますよ!!」

 警察という言葉で僕は一瞬で我に返った。確かにいきなり部屋の中に見知らぬ男がいたら、例えそれが未来の旦那さんでも驚いちゃうよね。僕は誤解が起こらないように、紳士的に対応する。

「安心してください。僕は怪しい者ではありません。ただ、ハンカチを届けに来ただけなんです」

「ハンカチ? え?」

「受け取って頂ければそれでおしまいです。もちろん、少し喉が渇いているのでコーヒーを出してもらえれば遠慮なくいただきますが」

「ハ、ハンカチを届けに来ただけなんですか?」

「そうです。僕は、役に立つ人間ですから」

「変なことしませんか?」

「しませんよ」

「変な物は持っていませんか?」

「持っていませんよ」

「それなら、そのトートバッグを床に置いてください。それから私に中身を確認させてください」

 トートバッグ? ああ、それはダメだ。中には包丁が入っている。変な物ではないけれど、きっと警戒されてしまう。

「バッグの中身を確認してもらうことはできませんが、変な物は持っていませんよ」

 僕はここだ、という時に使う笑顔を作った。子供の頃、母親によく褒められた愛くるしい笑顔だ。

「きゃああああああ!」

 それなのに彼女は顔を引きつらせて、別の部屋に逃げ込んでしまった。

 どうして? どうして? どうして? 僕のことが嫌いなの?

 僕も彼女の入った部屋にドアを開けて飛び込む。ここのドアにも鍵はかかっていなかった。いや、家の中だと鍵はないか。でも内側から抑えたりしないのか?

 ともかく、そこは寝室だった。彼女はどこにもいない。どうして?

 室内は異様だった。クローゼットが大量の血で染まっていたのだ。これはどういうことだろう?

 不思議に思った僕は、クローゼットに近づいてそっと開ける。ゴリゴリと妙な音を立てながら、クローゼットの扉がゆっくりと開く。中には背中を何度も刺された男の□体が入っていた。

「え?」

 これはどういうこと? 彼女はどこ? 振り返ると、すぐ背後に彼女は立っていた。大きくて、重そうなガラスの花瓶を振り上げている。

「どういうことなの?」

 そう質問したのに、彼女は返事もせずに花瓶を思い切り僕の頭に向かって振り下ろした。


 ***


 冷静になれなかった。私だけを愛してると言っていた彼のスマホから、他の女との浮気の証拠が山ほど出てきた。

 眠っている彼の指を使って指紋認証でロックを解除、スマホの中身を盗み見た。震えが止まらなかった。

 何事もなかったかのように朝を迎え、寝室でスーツに着替えている彼のために朝食の準備をする。

 しかし頭の中は裏切られた悲しみと怒りでいっぱいだった。

 味噌汁の豆腐を切った後、包丁を持ったまま彼が着替えている寝室に向かう。

「ねえ、私のこと愛してる?」

「どうしたの急に」

 彼は振り返らず、ネクタイを結びながら返事をした。

「聞いてるの。私のこと愛してる? って」

「ははは、愛してるよ」

「じゃあ何で浮気したんだよ!!」

 そう言いながら、背中から包丁で何度も繰り返し□した。

 自分ではどうすることもできなかった。

 全身血塗れで、ピクリとも動かなくなった彼に伝える。

「本当に愛してたのに」

 どうしたらいいかわからず、彼を視界から消すために無理やりクローゼットの中に押し込んだ。さっきまで彼だった物体は、酷く重かった。


 急いでシャワーを浴び、100円ショップで血液を拭き取るための道具を大量に購入した。あんな浮気男のために人生を台無しにしたくない。なんとか逃げ切ってやる。

 店から出ると、見窄みすぼらしい身なりの中年男性が買ったばかりの商品をビルとビルの隙間に捨てていた。

 それから包丁だけをパッケージから取り出し、持っていたトートバッグに入れるのが見えた。

 彼は背中を丸めて歩きながら、行き交う人々を睨みつけている。そのまま誰かを□しそうな勢いだ。彼が醸し出す雰囲気は、ニュースで見た無敵の人そのものだった。

 警察に通報しようかと悩んだが……この私が? 無理だ。どうすればいいんだろう。誰かが犠牲になったら取り返しのつかないことになる。──ん?


 誰かが犠牲になる?


 私は頭の中で簡単な計画を練った。上手くいくかわからないけど、やるしかない。

 背中を丸め体がなるべく小さく見えるようにしてから、不審な男の視線の先を歩いた。

 しばらくすると彼がこちらを見ているのがわかった。私は男に媚びるような動きを自然に入れながら、頼りなさそうな足取りで歩き続ける。

 髪を揺らし、男にこちらに注目させる。きっとああいう男は、弱くて支配できそうな女が好きなはずだ。

 目論見もくろみ通り男は私の後を追いかけてくる。きっと本人は無自覚に私を追っているはずだ。

 家の近くでハンカチを意図的に落とし、部屋へと入った。

 ここまで食いついていれば、後はなんとかなるだろう。何も流れていないイヤフォンを装着し、シンクに立って食器を洗う。

 しばらくしてから、鍵をかけずにいたドアがゆっくりと開き男が入ってくる。

 よく見たら彼は土足だ。精神状態がまともじゃない。

 ハンカチ、ハンカチと男は言っているが聞えない振りをする。ついには男が怒鳴りはじめたので、そこで初めて彼に気付いた演技をした。

 トートバッグに包丁が入っているのは知っている。後はあの部屋に誘導するだけだ。男が激昂するような不愉快な悲鳴を上げ、寝室へ逃げ込む。予想通り男は追ってきた。

 彼が開けたドアの裏側に息をひそめて隠れる。ここで見つかったら全てが終わりだ。

 男の足音がドアの近くからクローゼットへと移動していくのがわかった。やはり、血まみれのクローゼットが気になるらしい。私は部屋の窓際に置いてある花瓶を手に取り、両手でしっかりと持つ。

 クローゼットを開けている男の背後に近づく。中から、私が□した□体が転がり出てくる。

 驚いて男が振り向いた瞬間、花瓶を思い切り振り下ろした。コンクリートがぶつかったような鈍い男がすると、男は口から泡を吹き白目を剥いて倒れた。

 私はスマホで警察へ連絡をする。


「そうなんです、知らない男が家に入ってきたかと思うと、持っていた包丁で私の恋人を何度も□して……。私怖くて、どうしたらいいかわからなくて。このままだと私も襲われると思って、後ろから頭に花瓶を叩きつけました。はい、ごめんなさい、でも怖かったんです、仕方なかったんです。早く来てください、もし男が目を覚ましたら、私、本当にどうしたらいいのか」


 電話を切り、警察の到着を待つ。その間、倒れてる男の頭にもう一度、花瓶を落とした。花瓶も男の顔も割れた。

 やってみれば案外簡単だということがわかった。どうにかなるだろう。どうにかなるだろう。

 男はみんな嘘つきだしバカだ。これくらいの細工で罪を他人に擦り付けることができるなら、無敵じゃないか。私は無敵の人だ。

 部屋の鏡に自分の全身が映っている。自覚はなかったが、私も冷静さを失い土足で部屋にあがっていたようだ。鏡に近づき至近距離で見ると、自分の顔が、自分の顔が、100円ショップから出てきた時の男と、あの男と、同じ表情をしていた。

 全てを憎み、全てに復讐したそうな顔。

 でも、それも仕方ないこと。


 ──あなたも、そう思うでしょう?


 <了>

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