対処と顛末

 A子の突発性難聴を知った時、私は薄ら寒いものを感じた。

 耳と書かれ、耳と同じ内部構造をもつ、開け方のわからない箱との、関連性を疑ってしまったからだ。


 しかし、常識的にいって、呪物が現実に被害を与えるというのは考えにくい。

 突発性難聴は未だ原因の特定されていない難病ではあるが、多くは強いストレスによるとされている。

 

 つまり、まさにこの状況だ。

 呪われているかもしれず、まだ解決できておらず、気にし続けているゆえに起きたと考えるのが自然である。


 となれば、やはり解決の方策は、ストレスから解放する他ないだろう。

 私は名残惜しさを感じていたものの、箱の解明よりもA子の介抱を優先することに決め、その旨を伝えたうえで中石先生にも協力を仰いだ。


 そして、その週末、私はA子とおなじ喫茶店で再会した。

 A子は明らかに焦燥した様子で、聞けば日中の配信中に急な目眩をおぼえ、そのまま配信中に救急車を呼ぶ羽目になったのだという。正直にいえば、A子を呪いから解き放つには、これ以上のチャンスはないように思えた。


「それを聞いて、あの箱の意味がわかったよ」


 私は嘘をついた。箱についても、呪いについても、何一つ分かってはいない。

 けれど、必要なことだけは分かっていた。


「あれは、たぶん、依代だったんだ」

 

 A子は聞こえる方の――左耳をこちら向けて聞き取ると、幽かに眉を寄せた。


「依代って?」

「たぶんなんだけど、あれは呪いなんかじゃなくて、君を守るために贈られたんだと思うよ」

「……どういうこと? だって――」

「うん。最初に、怒られたあと、すぐ次の日にプレゼントが届いたんだろ? で、君はそれと気づかずにあの箱のことを呪いの箱だと思った」

「違うの?」

「うん。たぶん、気づいた視聴者の誰かが、君を守るために送ったんだと思う」


 私は虚実を混ぜて話した。箱には耳と書かれていたこと。耳と同じ構造が中に作ってあったこと。そう作ってあったのは、A子の耳を守るための依代として作られたという嘘。


「君はそれは呪いだと思って、俺にに渡してしまった。だから難聴として現れてしまったんだと思う」

「……じゃあ、誰が送ったの?」

「意外と、君のことを嘘つきといった、怒っていた、その人の身内かもしれない」


 呪いをかける者には身内がいて、そんな人物の身内だからこそ、A子に危害が及ばないよう、呪いを受け止める依代を送り付けた。本当は別のものを送ろうとしていたのだが、それを先回りして回収、代わりに――


「そんなこと、あるかな?」

「あるね。というか、そうじゃないと説明がつかないから。オカルト的に」


 まったくのデタラメだが、病は気からならぬ、呪いは気からだ。疲れた心には良い方向に響く呪いの言葉もある。


「本当なら、A子の躰の一部とかを入れたかったはずだよ。でもそれはできないから精巧に作った」

「じゃあ、そう書いてくれればよかったのに」

「それはできないんだ。呪いも、呪い返しも、根本は同じでね。それが何かを説明したら効果が発揮されないんだ」


 呪いをかけている姿を見られたら、本人に呪いが返るという。その原理は単純で、呪っていたことを知られたという恐怖が術者を苦しめるのだ。呪いを呪いにするのはあくまでも人の心なのだ。


「問題はここからでね。運悪く、A子は俺に相談して、俺が箱の中身に気づいてしまったわけだ。すると依代が効果をなくしてしまう。つまり、A子の難聴は俺が秘密を暴いてしまったからなんだ。申し訳ないことに」


 そういって、私は頭を下げた。

 A子は慌てて両手を振った。


「そんな! 謝らないでよ! 私だってそんなこと気づかなくて――」


 こちらを気遣う余裕ができた。いい兆候に思えた。

 だから私は、さらに付け加えた。


「そこで、ここから儀式をしないといけない」

「儀式?」

「今から、俺が箱をA子に返す。すると呪いが依代に移るわけだ。そうしたら、A子は箱を手放さなくちゃいけないんだよ」

「手放すって……捨てればいいの?」

「それじゃダメだ。人手に渡る前に壊れたら呪いが外に出てしまうからね」

「じゃあ……」

「フリマアプリとかで売ればいいよ」

「……へ?」


 呆気にとられたとはこのことだろう。A子はポカンとしていた。

 私はここぞとばかりに続けた。


「一度、他人の手に渡ってしまえば、もう壊れても平気なんだよ。呪いは対象者を限定してかけるんだけど、そこにその人はいないからね。呪いの念は術者の元に返っていくのが一般的。だから大事なのは、呪いの箱だということが分かるように出品することだよ。いい? できる?」

「……本当にそんなことでいいの?」

「もちろん。わざわざ群馬まで行って調べてきたんだぞ?」


 私は自信たっぷりに胸を張った。もちろん演技だ。

 けれど、いま必要なのは説得力だけだった。


「わ、わかった。受け取って、出品すればいいんだよね?」

「そう。それじゃあ」


 私は箱を出し、できるだけ儀式めいて見えるようA子に手渡した。


「私は、A子に箱をお返しします」

「え、えっと……箱を、返されました」

「よし。あとは出品するだけだよ」

「……なんか、変なの。本当に?」 


 そういって、A子が笑った。ほぼ完了だ。

 私はその場でアカウントを作らせ、用意していた写真を使い、出品させた。そして当然、すぐ買い手がつく。

 驚くA子に、私はいった。


「ほら、これが呪いの力だよ」

「……この、買った人は大丈夫なの?」

「さっきも言った通り、平気だよ」


 私は笑ってみせた。


「っていうか、呪いがネット時代に対応してたら、もう譲渡も終わってるかもな」

「なにそれ」

 

 A子が笑い、私は内心でホッと胸をなでおろした。

 そして、彼女が安心したらトイレに行きたくなったと席を立ったところで、先生に電話をかけた。


「あ、先生。協力ありがとうございました」

『うん。それはいいんだけど……』

「なにかありましたか?」

『まあ、あとでね』


 そうして、電話は切れた。

 あとは二人での発送をして、結果を待つばかりとなった。

 

 私は、A子に言えなかった。

 突発性難聴が起きたであろう時間、箱は超音波検査の最中だったことを。

 そしてもちろん、箱に対して放射線検査をおこなったことも。



 ――顛末というのは、ここからだ。

 まず、A子の難聴は劇的な回復を見せた。精神が安定したおかげだろう。そうなると呪いのことなぞ子供だましとすら言い出す始末だった。


 それはよい。

 問題は、例の箱である。


 私はてっきり先生が用意した住所なのだとばかり思っていたが、箱を購入したのは先生ではなかったのだ。送り先の住所は長野N市のコンビニエンスストアで、その後、誰が持っていったのかは確認していない。


 それから、もう一つ。出品と同時に検索をかけた中石先生は、似たような箱を見つけ、間違えてそちらを購入してしまったのだという。後日届いた、同じ大きさのよく似た箱には、


 目


 と書かれた痕跡があった。

 私は巻き込んでしまった責任を取り、箱を先生から受け取った。


 そして。


 なぜだろう、箱を調べていると、時折、視界の片隅に何かの影がチラつくようになった。無論、目を向けてみても、そこには何もいないのだが。

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継ぎ目のない箱 λμ @ramdomyu

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