箱の中身

 中石先生は箱の外周をぐるりとライトで照らして回った。すると、


「あ、ほら、こっちにも」

「本当ですね」


 耳と書かれた反対側に、同じくかつて『耳』と書かれていた痕跡があった。

 ――と、いうことは。


「先生、正面は?」

「嫌だなあ。嫌だよねえ、これ」


 言いつつ、中石先生はライトを正面と思しき場所に当て、ホッと息をついた。

 何かが書かれていた形跡はなかった。


「電気つけて」


 先生はカーテンを開いた。暗闇はほんの数分の間だったのだが、集中していたせいか陽の光がやたらと目に染みた。


「多分、墨文字だね」

「まったく気づきませんでした」

「しっかりしたまえよぉ、観察が一番大事なんだって教え込んでやっただろうに」

「社会に出るとマジマジ観察してる暇なんてないんですよ」

「言ったな、大学教授に向かって」


 そう肩を揺らし、先生は唇に湿りをくれた。


「しかし参ったね、これ。完全に呪い的な奴でしょ」

「それなんですけど……寺でも神社でもわからないって言われて……」

「私も知らんなあ、こいつは」


 ふむと低く唸って、先生は箱を傾けた。

 コトリ、と箱の内側で物音があった。先生は耳と書かれていた面に耳をぴったりとくっつけたまま、また躰ごと箱を傾けた。コトリ、と鳴った。同じように、右に、左に、前に後ろにと躰を揺らし、置いた。


「分かった」

「え」

「これ仕掛け箱だよ。たぶん。なかに重りが入ってて、傾けるとそれが動くから音が鳴るんだね」

「あー……立体迷路みたいなやつですか? あの、鉄球を動かす」

「そういうこと。それで、重りを特定の場所に落としておくと、正しい面だけが動かせるようになるんだと思う」


 重力を利用した鍵の歴史は古い。自由に動くホゾを噛ませることで、通常では考えつかない動き――たとえば、一度さかさまにするなど――をしない限り動かない錠前は無数にあるのだ。


「じゃあ、これを解けば……」

「解いていいものかどうかわからないけどね」

「え……?」

「御神体かもって言われたんでしょ? ならほら、お守りとか、開けちゃダメな奴もあるからさ」

「じゃあ……どうすれば……」

「うん……そうだね……じゃ、超音波とかX線で中を見ちゃう? ツテあるよ?」


 こともなげにいう中石先生に、私は諸手をあげて伏したくなった。

 

「まあまあ、結果が分かったら私にも教えてよ。で、それを肴に一杯やりましょう。ウチのゼミ生も呼ぶからさ、久々に君の新ネタも聞かせてよ」


 そう肩を叩く手が、私にはとても温かく感じられた。

 そして。


「――なんか面白いことやってるよねぇ、中石先生もさあ」

 

 そういって対応してくれたのは、非破壊検査を専門とするJという会社の、先生よりも少し若い男性技術者だった。名は、本人の希望もあり、Eさんとしておく。


「それじゃあ、まずは放射線検査の結果からね」


 Eさんはいった。


「よくわかりませんでした」

「……は?」

「いや、うん。分かるよ、その顔。朧気にはわかるんだけど、たぶん中に金属の板を仕込んでるんだろうね。腐食してるのかところどころ見えなくはないんだけどはっきりしなくてね。でも大丈夫。超音波検査で大体の形は分かったから」


 そういって、Eさんはパソコンのモニターにワイヤーフレームで構成された立体図形を表示した。


「これが箱の中身なんだけど……」


 マウスを使い、ぐりぐりと図形を回転させた。箱の、耳と書かれた側のそばに複雑な形に渦を巻くいくつかの管があり、中央近くまで伸びている。そして、コトコトと音を立てていたのは鉄球などではなく、


「これはね、石だね」

「石……?」

「そう。小石が左右に一個づつ入ってる。これが動いて音が鳴るんだろうね」

「……ではこれは、仕掛け箱ではない、ということですか?」

「そうだね。みてココ」


 いって、Eさんが指さしたのは箱の四隅だ。


「ほら、構造的に切れ込みがないの分かる? つまりこれね、本当に削り出して作られたものってことなんだよね。すごくないかい? だって、中身がこうなってる木を見つけて切り出したってことなんだから」

「たしかに……」

「そいでもっとすごいのが、これ五百年くらい前に作られたものっぽい」

「それも放射線測定で?」

「だね。まあ、削って調べるのが一番なんだけど、あんまりね」


 私にはできない検査だ。ただ頷くしかない。

 だが、年代と中身が分かっただけでも収穫である。

 少なくとも、この箱は開いたりするようなものではないのだ。

 

「残念だったねぇ。開けてみたかったんだろ?」

「いえ……まぁ……」


 曖昧に答えるしかなかったが、ふと気づき、私はEさんに尋ねてみることにした。


「つかぬことをお聞きしますが……」

「うん。何でも聞いて」

「あの……この箱、見てて嫌な感じ、します?」

「するね」

 

 Eさんは即答した。


「だってこれさ、中身、耳の中とおんなじなんだもん」

「え」

「ほら、ここ、この渦巻き。これ拡大した蝸牛だよ」

「……耳の構造にお詳しいんですか?」

「中石先生とは同じ大学でね。ほら、動物実験なんかもやるから、医学一般として一通り人間の躰とか勉強させられたんだよね。必修でさ」

「……と、いうことは」

「うん。これ、人間の耳と同じ構造になってるんだね」


 私はそれ以上、何を聞くべきなのか分からなかった。

 画像を受け取り、ひとまず中石先生にだけ転送しておいて、箱の始末をどうするべきか思案しているときだった。


『どう? 何か分かった?』


 と、私のスマートフォンに、A子からの連絡があった。


『うん。ちょっとだけ』

『よかった。お祓いできそう?』


 その焦るような問いかけに、私はキナ臭いものを感じた。

 直観はときに意外なほど真実に迫っているものだ。

 私は尋ね返した。


『なにかあった?』


 やや間があった。


『突発性難聴だって』


 部屋のどこかで、カタン、と物音が鳴った。

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