恩師

 ご住職の紹介でS神社を訪ね、素戔嗚尊すさのおのみことを奉るという杜に足を踏み入れると、待っていたかのように宮司様がこられて社務所へと案内された。しかし、やはりというべきなのだろう、反応は芳しくなかった。


「これは……これはなぁ……よくないなぁ」


 矍鑠とした宮司様は、もはや呆れを通り越し、感心しているようなご様子だった。

 重厚なテーブルの上に白紗を広げ、そこに置かれた小さな木箱は、何やら奇妙な重力を発生しているようですらある。


「これはねぇ……お焚き上げ、でもないしなぁ……出自がわからないものを気軽に供養という話にもできないしねぇ……ご住職も困っておられたでしょう?」

「ええ、そうみたいで……いちおう預かってもいいとは仰られていたんですが……」

「ね。そうだよねぇ。嫌だもんなぁ、これ」


 もはやよくないものであることだけは、はっきりしていた。

 しかし、誰も何がどうよくないのか説明できないのだ。


「お祓いしてもいいものかもわからないもんな、これ」

「……そうなんですか?」

「うん。これね、御神体の可能性もなくはないんだよね」

「御神体、ですか」

「うん。一刀彫のね、なんというのかな、昔はご神木をくり抜くような形で像を彫ったりすることがあったりしたのね? もしかしたら、その一種かもなあ……」

「なぜそうと分かるんですか?」

「うん。これね、灰色になってるでしょう。つまりこれ、陽の当たる場所にあったわけなんだよ」


 そうか、と私は思った。

 木材の灰色化は、木に含まれるリグニンという物質が水に溶けだし、さらに日光を浴びるために起きるのだ。


「これさ、だいぶ古いみたいだけど木目が薄いでしょう、たぶんヒノキだよね。杉だったら木目が浮いてくるから。十センチ四方で継ぎ目がないってことは、まぁ削り出したってことだからさ、ヒノキを削り出して、なかに空洞があってとなると、まぁ絶対に何か意図があってそうなってるんだよ」

「それは……そうですが……」

「そう! そうですが、なんだよね」


 宮司様は口の端を下げて、灰皿を手元に引き寄せた。一瞬、目で吸っていいかと尋ねられ、頷き返すとすぐに火を灯して仰られた。


「もし御神体だとしたらさ、滅多なことできないでしょう。祟り神だったりするかもしれないし。かといって、そうじゃない、もっと悍ましいものだったら? お祈りもできないよねぇ。そういうことしちゃいけないものだしさ」

「では、どうしたらいいんでしょう?」

「まぁ……人に譲り渡しちゃう、とかねぇ。ほら、好事家はいるでしょう、どこにでも。気になるなら渡してしまうのも手ですよ」


 トン、と灰を落とし、宮司様は続けた。


「せめていつぐらいの物か……もしくは、中身がわかればねぇ。できれば壊したりしないでさ。出自がわかってくれば、対処のしようもあるとは思いますよ」

「そうですか……」

「あー……申し訳ないね、あまり力になれそうになくて」

「あ、いえ……でも、そうだ」

「ん?」

「中身が分かれば、もしかしたら、とか」

「ああ、うん。そのときはちゃんとね、お祓いとかもお引き受けできると思います。まあウチではないかもしれないけど」


 ハハハ、と笑い、宮司様は煙草を灰皿で押しつぶした――そのとき、社務所のどこかでガタンと重い物音があった。

 私と宮司様は、思わず辺りに首を巡らし、どちらともなく箱を見ていて、気づいた途端に二人して苦笑してしまった。


 誰にでも嫌だと思われる箱を持ったまま祖母の家に寄る気は起きなかった。前日に連絡していたのもあって心苦しくはあったのだが、急な仕事があってすぐに帰らないといけないと嘘をつき、私はまたノッキング音と戦いながら帰路についた。


 寺でも神社でもダメとなれば、もはや頼るのは科学とオカルティズムである。

 科学とオカルトを並べるなと言われそうではあるが、科学の基本は未知の解明にあるため非常に縁が近しいのだ。


 私は卒業以来、連絡を取っていなかった教授にメールを打ち、見てもらいたいものがあるとだけ伝えてアポイントを取った。それからの三日間は生きた心地がしなかった。部屋で鳴る音が、日毎に近づいてきているような気がしてならなかったのだ。


 その頃には箱を鞄から出すのも嫌になっており、ほとんど念仏のように気の所為だと呟きながら眠れぬ夜を過ごした。

 そして。


「――なんだよぉ、ようやく学業の世界に身を沈める気になったかと思ったのにさぁ、の相談だったのかい」


 そういって、中石なかいし女史はカラカラと笑った。

 私の師匠――ゼミの教授の部屋とは異なり整然とした研究室には、いまも中南米土産の置物や東欧由来の魔女の目などが飾られていた。


 私が中石先生を訪ねたのは、単にオカルトに明るいからというだけではない。

 先生は心理学分野では珍しい文献学に精通しておられ、したがって過渡期に多かった超常現象やら超能力といったオカルティズムの科学的検証にも詳しかったのだ。


「本当に、の話で申し訳ないのですが……これ、見てください」


 そういって私が箱を出すと、先生は一瞬で真顔になった。


「嫌なの持ってきたね、君。こういう本物もってくるとはなぁ……」


 先生のその反応は、さすがに私も予想外だった。

 いくらオカルトが好きだと言っても、元の専門は学習や記憶、知覚など、極めて生理学的分野に近いところにおられた方である。


「先生でも怖いと思うことあるんですね」

「そりゃ、あるよぉ……っていうかね、歳を取ったからかなぁ、ちょっとこういうのは嫌になってきたかもしれないね」

「先生らしくもない」


 私が学生の時分には徹夜麻雀に付き合い、誰よりも元気だったがために夜明けのチーホンなる異名まで取っていたのに。


「やめてよ、古い話はさ」


 苦笑し、先生はいった。


「なんていうか、由来が分かるのはいいんだけど、こういう執念深いのはちょっと怖いように感じ始めちゃってね」

「執念深い……?」

「そう。だってこれ、中で音がするってことはさ、木の状態でそういうのを見つけたか、割れ目がわからないくらい丁寧に組み上げてあるってことでしょ? 人が作ったのならすごい執念でしょ。物よりも、それが怖いんだよね」


 そういって、先生が箱を下ろすと、机の端で南米土産の人形が倒れた。

 フン、と小さく鼻を鳴らし、先生はライトを片手にいった。


「ちょっとカーテン閉めて」

「え」

「試したいことがあって」

「あ、はい」

 

 言われるままにカーテンを閉めると、先生が研究室の電気を消した。ペンライトの青白い光が箱を照らし、その表面をなぞっていく。


「あ、ほら」

「はい?」

「なんか書いてある」

「え」


 言われて目を凝らすと、反射光の僅かな違いが線を引き、文字になっていた。

 漢字だ。


「……耳?」


 天板なのか、あるいは天板が左を向いた側面なのか、耳、と読めた。

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