D寺
いくら箱の調査を引き受けたといっても、私にも日中は仕事があり、箱の調査は帰宅後に行なうしかなかった。
はじめの夜、私はまず箱の全面を写真に収め、天辺はどこかを探した。
箱というのは必ずどこかに蓋があり、それが正面にあたるからだ。この箱が呪物の類だとするなら、箱の蓋を下に向け、中のモノが外に出られないようにする必要があるのだ。
しかし、予想に反して、箱には蓋らしき部位は見当たらなかった。継ぎ目がないので当たり前といえば当たり前なのだが、箱を振ってみても、中のモノがカタカタとなるばかりで開く気配すらない。もしかしたら仕掛け箱の類だろうか、と各面を擦ってみたが、これも動くような気配はない。
つまり私は、初日から暗礁に乗り上げたというわけだ。
その日から三日に渡り、私は箱にまつわる怪談や呪いについて調べた。
箱というのは何かを入れる、封印しておくための道具であるため、全てに目を通すのは不可能と思われるくらいに資料が出てきた。
わかったのは、継ぎ目のない箱というのは通常、ホゾをつけたり斜めに切るなどして組み合わせた後、表面を加工をし継ぎ目を目立たなくするという知識だけだ。知ったからにはと木箱について調べたものの、逆に私は驚かされた。
その木箱は、木目が揃っていたのである。
つまり、箱のような形状で削り出したか、あるいは一本の木から箱の大きさで部材を切り出し、まったく大きさを変えることなく加工したうえで組み立てたことになる。
私は、ますます箱のことが気になり始めた。箱をつくる高度な技術もさることながら、私の周りで不可解な現象が頻発したためである。
それは、音だった。
夜、箱を調べていると、ふいにカタンと音がする。それは決まった場所ではなく、部屋中を探して歩いてみても、特に何かが落ちているということはない。
音が鳴るタイミングは不規則で、しかし必ず、箱を調べているときに鳴った。
それと気づいたのは五日目に入った頃で、ようやく、A子からダンボール箱と古新聞が送られてきた頃だった。
箱の差出人欄には名前も住所もなく、古新聞は私の故郷でもある群馬の地方紙の一つだった。発行は一九七◯年頃を中心に、前後五年分がまちまちに使われていた。念のために広げて中身を読んでみたが、特に共通性は感じられない。唯一、気になったのは、浅間で起きた日本史に残る大事件の記事が含まれていたことくらいだろう。
『どう? なにかわかった?』
そうスタンプつきで届けられたメッセージを見て、私は思わず笑ってしまった。
そのとき私は仕事の忙しさ以上に、繰り返される出所不明の音に神経をやられはじめていた。怪談好きではあるし、地権者に許可を取り心霊スポットを見に行くこともあった私だが、実際に霊障じみた体験をするのは初めてだったのだ。
『まだなにも』
『次の休みに群馬に行ってみる』
私は二つ続けてメッセージを返した。正直、突き返したくもあったのだが、呪物らしきものを引き受けたからには、私自身も一定の解決を見なければ安心できなかった。
次の土曜日、私は午前六時から車を出し、群馬を目指した。
行き先はDという寺で、私の家ではもう十代以上もお世話になっていた。いまのご住職も私の知る限りでは四代目にあたり、分家の檀家という立ち位置ながら親子ともども懇意にさせてもらっていた。
連絡はすでに取り付けてあり、昼前なら少し時間が取れるとのことだった。
そこで私は朝から家を出たのだが、高速に乗ったところで自らの失態に気づいた。
コン、コン、と車の内部から物音がしたのだ。いわゆるノッキングである。
私の失態というのは、もちろん車の整備不良ではない。
『怪異にまつわる物を持ち歩くときは、公共交通機関を使ったほうがいいよ』
大学時代に私がお世話になっていた教授――ゼミ生ではなかったが、同じオカルト好きとして色々とよくしていただいた――に言われたことがあったのに、それを失念していたのだ。
呪いというのは、呪いをかけられているという事実による精神的疲労と、それに伴う注意力散漫が主な効果だ。車の運転などもってのほかで、電車とタクシーを利用するべきだったのだ。
私は逸る気持ちを押さえて高速を降り、下道を走ることにした。途中、車検もやっているガソリンスタンドに立ち寄り見てもらったのが、やはりというか車には何の異常も見当たらなかった。
私には分かっていた。
音は、箱をいじっていると部屋の何処かから聞こえてくる、あの音だった。
それ以上の運転は気が引けたが、そこに置いていくわけにもいかず、私は慎重すぎるほど慎重に車を走らせるしかなかった。
音は、その後も三度ほど鳴った。
警戒していたのもあり、寺には三十分以上も遅刻して到着した。
途中、電話をしていたのだが、運良くご住職のほうも予約のキャンセルがあったとのことで、本堂での相談に応じてもらえた。
大雑把な内容だけは伝えてあったからだろう、ご住職は観音様を背負い、磨き抜かれた床に白布を広げて、そこに箱をだすよう仰られた。しかし、
「――これは私のトコじゃないなぁ」
開口一番、ご住職はそう顔をしかめられた。
私は目の前で糸がプツリと切れたような思いだったが、考えてみれば当然のことではあった。D寺は――つまり私の家は曹洞宗であり、密教系とは異なり座禅による精神修養を本義としている。呪いへの対処となれば内なる弱気との対峙が中心で、念仏により呪いを払うなどはしない。
「もしアレでしたら……ウチでお預かりして、経をあげるということもありますが」
「いえ……あ、でも、そのほうがいいんですかね?」
「さぁ、どうでしょうかねぇ。それでご安心なされるのなら、ということになりますかねぇ……ただこれ……うーん……」
ご住職はひとしきり唸ったあと、箱を持ち上げ、四方八方を眺め回した。中でカタリと音がした。また一つ唸りながら箱を布の上に戻して、仰られた。
「あんまり、良くない感じするよねぇ、これ……」
「やはり、ご住職もそう思われますか?」
「うん。別にね、私は仏教徒ですからね、霊感がどうのなんて――」
ガタン、と本堂のどこかで、物音が鳴った。
ご住職は正座したまますらりと背を伸ばして肩越しに振り向くと、手に数珠を持って繰りながら低く念仏を唱えた。
「霊感がどうのとはいいませんがね。これは、よくないですよ」
言い直し、ご住職は膝に手を置いた。
「もしよろしければ、神社のほうをご紹介しますよ。そちらで見てもらったらいかがでしょうか?」
遠回しな拒否である。そのくらいのことは私にも分かった。
また一つ、本堂のどこかで音が鳴った。
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