下宿クエスト!

兵藤晴佳

第1話

卒業おめでとう。

下宿は決まった? へえ、京都……お母さんも学生時代に。

ひとりで行って、自分で見つけたの? すごいね。

紹介してくれたのが、お母さんが棲んでた部屋のお隣さんだったんだ……不思議な縁だね。

仲良きことは、美しきかな。

そうそう、僕も学生時分、京都で下宿探しをしているときに、こんな話を不動産屋から聞いたことがあってね。


昔、下京の塩小路辺りに部屋の間借り人を探している小さな家があった。

部屋は4畳半で広くはないが、日当たりのいい南向きの部屋だ。

家賃も敷金礼金なしで15,000円と、京都の街中にしては信じられないほど安かった。

ところが、入った人はひと月としないうちに出ていく。

家主が事情を聞いても、目をそらすばかりで何も答えないらしい。

仕方なく、間借り人を求めて不動産屋に仲介を求めに行く。


不思議に思ったひとりの学生が、わざわざ、その部屋を選んで住むことにした。

その不動産屋のオヤジの紹介を受けて、その家へと足を踏み入れる。

出迎えたのは、人のよさそうな老人だった。

「息子の部屋やってんけどな、家を長く空けてるもんやから」

そう言いながら案内された2階の部屋は、畳も新しくて、明るく、風通しもいい。

窓の外は通りに面しているが、人通りはそんなに多くないので、静かに暮らせることだろう。

ひと月も持たないどころか、卒業までのんびり過ごしたくなるほどであった。

もっとも、京都というところはひと月どころか、よそから来て1週間もいると呆けてくるものであるが。

この学生も、窓から外を呆然と眺めていたが、ふと尋ねた。

「ここから見える下宿先は、他にどれだけありますか?」


下宿屋が学生を連れて行ったのは、木造2階建てのアパートだった。

錆の浮いた鉄の階段を登っていくと、ペンキの剥げた扉が4つばかり並んでいる。

敷金20000円、礼金で40000円で、家賃は月20000円である。

どう見ても入居者はそんなにいそうに見えないのだが、その端の部屋だけが空いていた。

部屋を見る前に、学生は尋ねた。

「どうしてなんです?」

不動産屋は尋ね返した。

「ご覧にならはる勇気がおありでしたら、ご覧に入れますのやけど……お隣も」

学生は即答した。

「よそを紹介してください」


続いて紹介されたのは、鉄筋4階建てのワンルームマンションだった。

エレベーターで最上階まで登っていくと、見晴らしのいい部屋に案内される。

広さは最初と同じ4畳半だったが、清潔なバス・トイレ・キッチンがついていた。

敷金・礼金なしで月53000円。

窓から外を眺めながら、学生は言った。

「バイトなしでは、ちょっと大変そうですね」

不動産屋は、おもむろに頷いた。

「ごもっともでございます。それでも、京都やとこれが相場ですねん」

すると学生は、首を傾げながら尋ねた。

「変ですねえ……もう一軒あるんじゃありませんか?」

不動産屋は、困ったような顔をした。


案内された3軒目のマンションの前で、学生は立ち止まった。

「あるじゃありませんか」

不動産屋は、そそくさと立ち去ろうとする。

「ここはご紹介できるところやおへん」

学生は不満気に、エントランスの前へと歩いていく。

「開けてくださいませんか? 入れてもらえるんでしょう? 内見だって言えば」

慌ててあちこち見渡しながら、不動産屋はその前に立ちはだかった。

「堪忍しとくれやす、ここは女性用ですよって!」

そのわきをすり抜けながら、学生も答えた。

「私も女性ですが何か」


3階の空いた部屋に通された学生は、窓際へと近づく。

外を眺めようとしたところで、不動産屋は止めた。

「ああ、窓は開きまへん」

一見、若者に見える女子大生は、もっともらしく尋ねた。

「覗き防止ですか?」

不動産屋は、力強く頷いた。

「お風呂場に乾燥機がおます、そちらをどうぞ」

学生が家賃を尋ねると、敷金・礼金なしの、月85000円だった。

それを聞いて、考え込むのも無理はない。

しばらく経ってから、また尋ねた。

「隣は、空いていますか?」

不動産屋は、いかにも残念そうに答えた。

「ふさがってるんですわ、人気の物件ですねん」

それが利いたのか、女子大生は、あっさりとそこに決めたのだという。


そこまで聞いて、だいたいは察しがついたんじゃないかな?

隣の部屋は、ふさがっていなくちゃいけなかったんだ。

女子大生は、その住人に用があったんだからね。

その部屋からは、あの家の2階が見えたはずだ。

と、いうことは、あの部屋からも、窓際の彼女は丸見えだったことだろう。

もし、窓際で着替えなんぞしようものなら……。

遠くで独り暮らしを始めるときは、気を付けたほうがいい。

気付かれていないと思っていても、そんな顔は、望遠鏡とか、スマホのズーム機能とかで撮られてるもんだよ。


だから、間借り人たちはひと月と立たないうちに出て行ったのさ。

不動産屋が女子大生から聞かれたことを家主に聞いてみると、ドンピシャリだった。

その直前に必ず、「~様方の間借り人様」って封筒が届いていたって。

家主も変だとは思っていたけど、出ていく間借り人のプライバシーは詮索できなかったらしい。

たぶん、中身は、窓から突き出た、鼻の下伸ばしてスケベ根性丸出しにした顔の写真だったんだろうな。

そりゃ言えないよ。いい恥さらしだ。


じゃあ、何で隣の女の子が、あの家主の名前を知っていたのかって?

そのとおり。

出て行った息子を知っていたのさ。

たぶん、恋人だったんだろう。

あの家主のお爺さん、息子には意地を張っていたんだろうさ。

二度と帰って来るなと部屋を間貸ししたわけだな。

女の子は女の子で、恋人が帰る場所を取り戻してあげようと、間借り人を追い出すために罠を仕掛けたんだ。

危険なハニートラップをね。


もちろん、息子さんは知らなかっただろう。

きっと、遠くへ行ってしまったんだ。

生きているのか、死んでいるのか、それは分からない。


娘さんは?

ずっと、その息子に恋焦がれたままだったんだろう。


ああ、大学決まって、京都に行くんだって?

下宿先は?

へえ、ご両親も挨拶に行く? 律儀なんだね。


え? ここ?

ああ、そういうことか。

不思議な縁だね……何にせよ、仲良きことは、美しきかな。

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下宿クエスト! 兵藤晴佳 @hyoudo

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