エピローグ


 校庭は真っ白で、四人は止まった時間に佇んでいるようだ。今は、約束の時間と少し。冷気が満ちている。そして、しんとしている。

 しばらく後、ヘリコプターが鳩の大群の羽音を伴いながらやってきた。校庭の真ん中に対空して、ゆっくりと降下する。自衛隊だった。


「いつか、こんな平和な朝があった気がする」


 と、黒井の吐く息は白い。

 空は少しづつ、明るくなっている。その空模様は新しい、なんの変哲もない平和な日常の始まりを予感させた。それにしても、よく晴れた空だ。北西の空に巻雲が一つたなびいている。


「部活動で朝練があって、学生時代は早起きしたものだ。みずみずしい感覚が戻ってくるようだな」


 長谷川は懐かしむ。黒く長い髪は、純粋にまっすぐ降ろされていた。

 毎日がなんとなく過ぎていく。二人は、そんな日々にふらっと帰れる気がした。陽が出る前のまったりとした時間が、この先もずっと続く気がした。


「おい、お前、それは脱ぐな。お前は直射日光に当たるべきではない。白い皮膚は、紫外線を遮断できないからな」

「……………… 今まで問題なかったけど」


 布越しに、少女が長谷川を見上げているのがわかる。彼女は、羽毛をランプシェードみたいにかぶせられていた。古典的な幽霊の格好だ。警察になんと説明するべきか。


「……………… 暗い」

「これから明るくなるさ」


 彼は断言した。この調子なら、日の出はヘリコプターから見ることになりそうだ。

 着陸後、機内の隊員が急かすように手招きする。もしかしたら黒井達は訓練の練習台にされているのかもしれない。神宮寺の呪いがなくとも、日本には、様々な大災害が控えている。必ずやってくる日に、彼らは備えているのだろう。

 女将以外の三人は、ヘリに乗り込んだ。独特のシートベルトを締めたのを隊員が確認すると、機体が浮かび上がる。旅館の彼女は、正門付近で、大きく手を振っていた。


「おい、黒井」


 騒音の中、己の名前が呼ばれているとようやく気が付き、隣を振り向いた。長谷川は暴風で乱れようとする髪の毛を抑えている。


「どうした」

「私は最後に推理を残している」

「まだ謎があったのか」

「そうだ。まだ、謎があるんだ。だがしかし、それは確証はない。だから、間違っているかもしれない」


 轟音の中で、声が切れ切れに聞こえる。


「ずっと謎だった。なぜ、妹の子供のために、そこまでするのかとな」


 その原動力は一体どこからくるのだろう、という疑問。


「お前の妹の子供は、お前の子供でもあるんじゃないか」


 騒音が一瞬遠のき、彼女の声がはっきり聞こえた。瞬く間に聴覚は戻り、轟音が場を埋め尽くした。彼は、正直に答えることに決める。


「ああ、そうさ。妹の妊娠は意図したものじゃなかった。だが、責任を持つつもりでいた。少々、楽観的だったかな。周囲はなんだかんだ受け入れてくれるだろうって、思ってた。でも、それは間違いだった」


 遠くにある地面が遠ざかる。さかさまに落ちているように。


「中絶するには遅すぎた。妊娠から二十二週以上すぎていたから。それなのに、周りは堕ろせと迫る。俺たちはノイローゼになった。社会からの目線や子供の病気、どうすることも出来ない」


 彼は、じっと下界を観察していた。山裾が途切れ、下町に移り変わる。住宅街が延々と敷き詰められた街、一つ一つに生活がある。空気も、いつもの吸いなれた質に着々と変わっていく。あの閉じた村から、俗世に追放される。


「妹は心中だった。クリスマスの日、電車に飛び込んで、息子を神宮司に殺させた。自分の手で殺したくなかったんだろうさ。鬼子母神ですらそうなんだから。神宮寺と、どこで知り合ったかは知らない。おそらく、インターネットだろう」


 儀式のために百人もの人間を集める方法は、それくらいしか思い浮かばない。

 黒井は続けた。


「もし、全員が同じ痛みを抱えて入ればな」


 機械の羽音が鼓膜を圧迫する。


「それで、これからどうする」

「ジャーナリストになろうと思う。当分の目標さ。いろいろな無関心に光を当てよう。きっと、俺たちは知らないだけだ」


 薄青の空が、機内を覗き返していた。この鬱屈とした地上界を覆う、美しい天球が、覗き込んでいた。その下で、まだぽつりぽつりと灯っている家の明かりが、百目の怪物に見えた。もし、彼らが無関心であり続けるなら、神宮寺の身から出た灰は、人の形をとって様々な犯罪を引き起こすに違いない。まさしく、百鬼夜行の始まりだ。




 その時、地平線の彼方から朝日が顔を出して、世界をオレンジに照らした。

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『聖域』 高黄森哉 @kamikawa2001

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