飼い犬が死んだ。
子供のころからずっといた犬が死んだわけだが、どういうわけかあまり悲しくない。振り返ってみると、ペットとかが死ぬのは悲しいの範囲に含まれないのかもしれない。
悲しむことができない人生と、悲しむことができる人生どちらが豊かなのだろう。悲しめるほど目の前に没頭することが出来れば、その分、世界がぐっと狭まって、幸福でいられる気がする。
今よりも小さい世界に生きるべきかもしれない。その世界では、目に届く範囲がすべてであり、相対的なものは存在しない。その範囲で一番の存在は、世界で一番の事物であり、その領域で最下位に属するなら、それ以下は存在しない。
グローバル化というのは、楽園追放のようなものだ。自分と周り以外、何者も存在しなかった時代が懐かしい。すべてが身辺で解決し、大きな流れは飽くまで他人事でしかなかった。
マクロな視点ではすべてが点景化してその意味をなくしていく。やがて、そのズームアウトの果て、現実における小さな物語は最小ピクセルに押し込まれて消えるだろう。