村上春樹の『スプートニクの恋人』を読んで、とても共鳴した。自分も物語世界への入り口を探している一人なのだから。
というのも、引っ越しをする前は、自分は自分の作り出した虚構、物語世界へと没頭していた。己こそが世界の主人公であることを疑わなかったし、おおむねそういう風に周囲は動いていた気がする。しかし、転校することで、その一つの物語から追放されてしまった。そして、その物語は、永遠に失われてしまったのである(すべてがうまく運ばなくなった)。
共鳴する部分がもう一つある。
死んでこそいないが、転勤族である自分は多くの人間と、今生の別れを経験している。だから、この本の主人公が持っている失われたなにかを感じることができる。
とここまで書いてみたが、本当は、村上春樹の考えや、感じているもの、伝えたかったこと、はそんなものではないのかもしれない。もちろん、違う人間なのだからまったくぴたりと同じ、ということはないだろうが。
多くの読者がこの作品を好むということは、物語の日を消すことのなかった幸運な人間を除いて、皆、似たような気持で生きているのだろう。
現実の物語化、虚構との同一視。筒井康隆で言う虚構論の変形だし、三島由紀夫の『美しい星』のテーマ。一番好きな題材である。