犬アレルギーにも関わらず、ずっと犬がいる家庭で育ってきたわけだが、ひとり暮らしをしてからは、鼻が利くようになってきた。すると、今まで気にならなかった匂いが現れたのだった。
臭さは実際どうでもよいのだが、耐えられないのは他人の匂いである。その匂いがすると、その匂いの人間を想起してしまう。それがなぜ堪えられないのかは知らない。
それまでは、人間というのは、もっと淡白な存在だと思っていた。違うのは性格と見た目だけだった。今では、もっと区別できるものである。そこに、耐えがたい拒否反応を感じる。
驚くことに、目をつむっても誰か区別できるのだ。今まで、そんな情報にアクセスできていなかったのはさらに驚きである。だーれだ、という遊びも今なら当てられる可能性がある。もしかしたらそもそも、匂いで誰か推測する遊びだったのかもしれない。
これを読んでいる人間に、この仰天を理解させるのは至難だが、こう例えればわかってもらえるだろうか。
『テレパスという六感があり、貴方はそれを知っていたが、心理術程度と思い込んでいたし、それ以上は使いこなせなかった。しかし、なにかの切欠で能力が開放されると、誰かの思考がまさに流れ込んでくるようだった』
共感覚と混ざってさらに匂いの問題は深刻化している。私はよく、感情を味と結びつけている。それは感情とはまったく関係のない味で、人工物を舐めている奇妙な味わいなのだ。すなわち、恋したからといって甘くはなく、古びたカーペットを舐めているかのような味がするのである。
匂いはダイレクトに味になる。そのままの味なのは有難いが、しかし、食べ物の匂いに限らないのは勘弁してほしい。ただ、おそらく、この経験、匂いが味になる経験は、感情の味とは違って、多くの人間がしているのだろう。変に騒ぐと変な奴だと思われるからやめておこう。もし恥でもかいたら、ケツから火を吹く思いだ。