信号無死の交差点

朝倉亜空

第1話

 “プロローグ”

 市内のスクランブル交差点で正面衝突が発生した。五方向からの道が交差するこの場所は、死亡事故が多発することで有名で、常日頃から危険地帯だと周知されているところだった。警察官である我々でさえ、交通整理中にヒヤッとする目にあったことが幾度かあるほどである。

 なまじ、見通しがいいことが災いし、スピードを出しすぎてしまいがちになりやすいうえ、歩行者、クルマともに信号無視も非常に多かった。今回、クルマ二台がほぼ正面衝突。原因はそのうちの一台によるオーバースピードと信号無視であった。二台とも車体はぐしゃぐしゃ、乗員は全員即死という大惨事だったのだが、双方のクルマには、それぞれ、仏教徒、キリスト教徒が乗っていた。因みに、事故を起こした運転手当事者ではない。

 被害者を弔うために事故現場において、追悼の祈りが唱えられた。もう、二度とこのような痛ましい事故が起こることがないようにとの思いで、高名な僧侶が仏教式に念仏を唱え、高名な神父がキリスト教式に祈った。

 ブッダのパワーとキリストのパワー、東洋と西洋の超絶二大スピリチュアルパワーの融合によるものなのか、摩訶不思議なことに、それ以来、この交差点での死亡事故というものが一切なくなったのだ! 信号無視による衝突事故がなくなったわけではないのだが、どんなに大変な激突であっても、人間にはかすり傷一つの怪我もなく、けろりとした表情でクルマの中から出てくるし、歩行者がはねられたとしても、何事もなかったような顔をして、すっくと立ちあがってくるのだ。また、クルマのほうも小さなへこみ一つも見当たらない、こちらも同じく、何事もなかったかのような状態で存在するのであった。

 町の住人は、もう、誰も死なない、信号無死のミラクル交差点だと言って、喜んでいた。のだが……。

 “本編”

 市内のスクランブル交差点で正面衝突が発生した。五方向からの道が交差するこの場所は、死亡事故が多発することで有名で、常日頃から危険地帯だと周知されているところだった。警察官である我々でさえ、交通整理中にヒヤッとする目にあったことが幾度かあるほどである。

 なまじ、見通しの良さが災いし、スピードを出しすぎてしまいがちになりやすいうえ、歩行者、クルマともに信号無視も非常に多かった。今回、クルマ二台がほぼ正面衝突。原因はそのうちの一台によるオーバースピードと信号無視であった。二台とも車体はぐしゃぐしゃ、乗員は全員即死という大惨事だったのだが、双方のクルマには、それぞれ、仏教徒、キリスト教徒が乗っていた。因みに、事故を起こした運転手当事者ではない。

 被害者を弔うために事故現場において、追悼の祈りが唱えられた。もう、二度とこのような痛ましい事故が起こることがないようにとの思いで、高名な僧侶が仏教式に念仏を唱え、高名な神父がキリスト教式に祈った。

 ブッダのパワーとキリストのパワー、東洋と西洋の超絶二大スピリチュアルパワーの融合によるものなのか、摩訶不思議なことに、それ以来、この交差点での死亡事故というものが一切なくなったのだ! 信号無視による衝突事故がなくなったわけではないのだが、どんなに大変な激突であっても、人間にはかすり傷一つの怪我もなく、けろりとした表情でクルマの中から出てくるし、歩行者がはねられたとしても、何事もなかったような顔をして、すっくと立ちあがってくるのだ。また、クルマのほうも小さなへこみ一つも見当たらない、こちらも同じく、何事もなかったかのような状態で存在するのであった。

 町の住人は、もう、誰も死なない、信号無死のミラクル交差点だと言って、喜んでいた。

 そしてその中には、死なないことをいいことに、わざと信号無視し、猛スピードで突っ込んでくる自動車に体当たりをかます、悪ふざけを楽しむ不埒な者も現れだした。


「こら! そういうことをしちゃいかん! 危ないだろ!」

 私は大声で怒鳴った。

 下校途中の小学生が、またわざと信号無視をして、走ってくるクルマに向かい、飛び出していったのだ。

 バウーンと大きな音を立てて、その児童は三、四メートルほど飛ばされたものの、悪びる様子もなく起き上がって、笑いながら言った。「全然! ここは危なくなんかないんだよーだ。へへ」

 絶対死なないミラクル交差点なんだからーっ、と言いながら、児童は走り去っていった。

「しょうがないなぁ、まったく……」

 私はふぅ、と小さなため息をついた。

 このスクランブル交差点の一角にある小さな交番が私の勤務先である。確かにさっきの小学生が言った通り、この場所の安全監視はずいぶんと楽になった。しなくても良いと言ってもいいほど、楽だ。人身事故が絶え間なかった以前とは全くの真逆である。

 しかし、いくら絶対に死なないからといって、子供がわざと飛び出すなんてことがあってはならない、はずだ、と思うが……。だから私は注意するのだ。

 なんてことを考えている間にも、グワッシャーンという物凄いクラッシュ音が聞こえた。クルマ二台の正面衝突にさらに一台が後ろから玉突き衝突し、おまけに歩行者が一人、あおりを食って跳ね飛ばされていた。普通だったら、超エグい多重事故だ。だが、事故当時者たちは皆、数秒後にはさらりと事故現場を離れ去っていった。本当にここは危ない場所だ。見通しが良いのも考えものだな。運転手も歩行者もかえって油断しすぎてしまう。まあ、誰も死なずに何ともないんだから、よかったよかった……?


「……今日、午後四時過ぎ、市内の交差点で、信号無視による自動車二台が正面衝突し、そのうち一台と玉突き事故が重なり、さらに、歩いていた歩行者がはねられるという、痛ましい多重事故が起きました。運転手、歩行者らは病院へ救急搬送されましたが、全員死亡が確認された模様です……」

 翌日、非番日であったため、自宅で夕食を取っていた私の耳に、何気に点けていたテレビから、ニュースキャスターの声が入ってきた。おや、と私は思った。

 昨日、私が信号無死の交差点で見た衝突事故にそっくりじゃないか。小学児童が下校中だったから、事故発生時刻も大体一致している。二日連続で同じような大惨事が起きるとは、しかしまあ、こっちの方は死亡者なし、なんだが。

 テレビからのニュースキャスターの声は続いた。「……じつは、その少し前のほぼ同時刻、市内の別の交差点でも、もう一軒、交通事故がありまして、信号確認を怠った小学生の男の子が道路に飛び出し、走っていた乗用車にはねられ、即死したという、なんとも痛ましいものでした。亡くなられた方々の、ご冥福を……」

 えっ! 私は仰天した。それも一致してるじゃないか! ふざけた学童がわざとクルマにぶつかっていった奴だ。

 なんという偶然⁉ いや、偶然なのか? 何か嫌な疑問が私の心にトゲとなって、引っ掛かった。そしてまた、その疑問から導き出された、ある一つの恐ろしい仮説が心に浮かび上がり、トゲの痛みは嫌な疼きを増していった。

 明日は日勤なので夕方からは時間が空く。私は仕事終わりに警察署まで足を延ばし、その仮説を確かめることとした。

 そして、翌日の午後八時ごろ、私は警察署内の交通課記録保管室にいた。そこで私は持参した自前の手帳の記述と交通課の記録を照らし合わせていた。

 手帳には、私が実際に目撃した、信号無死の交差点で発生した事故の様子が記されてある。いつか何かの参考にでもなるかと思い、私が勝手にメモして残していたものだ。誰も死なず、怪我すらしないのだから、どんな大ごとの衝突事故であっても、正式な業務書類に記載する訳にもいかないものだったからだ。

 私の手帳にある事故の日時、規模、様子、当事者は男か、女か、年齢は? などを二十四時間後の署内の記録と照らし合わせる。市内のどこかで同じような人身事故が起きていないか?

 やはりあった! ほぼ一日後に、ほぼ同じ規模、ほぼ同じ年齢層や社会的立場、同じ性別の交通事故が発生していたのだ! 手帳にあるすべてのケースがこのパターンに当てはまっていた。私の仮説は当たっていたのだ。

 誰も死なない信号無死のミラクルパワーは必ずその分、一日ズレた後、市内のどこかにしわ寄せがいくのだ。死んだはずなのに死んでいない、もう、いないはずなのにまだここにいる、は、この物質世界において許されないことなのだ。必ず誰かで帳尻合わせをしなければいけないということなのだろう。……私は戦慄した。

 パニック状態で頭が混乱したまま帰宅する私の足取りはわけもなく早足になっていた。どうすればいい? 何か良い打つ手はないか? と、とにかく、普通にしていればいいんだ。ごく一般的な道路交通整理をして、事故を未然に防ぐという当たり前のことをしっかりとやる。それと、子供たちだ。悪ふざけでわざとクルマに当たりに行く。あれを絶対に止めさせなければ。

 あれやこれやといろいろ考えながら、私は信号待ちをしていた。

 と、なぜか私の意志とは無関係に、私の両足が赤信号を横切ろうと勝手に動き出したではないか! パアアーン! という大きなクラクションの音とともに、車道に飛び出した私に向かって大型トラックが急速に迫ってくる。死を直感した私は同時に確信したことがあった。

 私の非番だった昨日のこの時間、信号無死のミラクル交差点でトラックによる人身事故が発生し、その被害者は私の同僚の警察官だったのだということを……。

 

 

 

 

 

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