猫とケーキ
「えー! あの時、それで振っちゃったの?」
古くからの友人が十年振りにケーキを手土産にやってきた。持参したケーキにフォークを立てて、友人の千佳子がそう言った。私は香り高いレモンクリームを存分に味わってから、うなづいた。
「昔のことだって。もう二十年も前の話しよ。だって、ほら、年も離れてたし……」
「それだけ?」
「ん、まぁ。向こうの気持ちも、ちょっと冷めかけてるって感じだったし、浮気されたし」
「なに、それ。少女マンガか」
千佳子はそう言って笑った。
「うん。だから、若い時の話しだって」
私はお皿をテーブルの真ん中に押しやって、ひざの上て丸くなっている猫の耳の間を掻いてやった。振り返り思い出すと、痛みはしないがそこにまだ傷があるとわかる。
「泉ちゃんたら、また猫飼ったの?」
「うん、保護猫の譲渡会でね」
ふーんと意味深な千佳子の視線を受けてにっこり笑うと私はひざの猫を見下ろした。白い毛に灰色の縞模様。
「その仔も、ユーマ?」
「違うって。この仔は、虎太郎」
「へぇー。コータ……ね」
私はあの日。彼に「さくら、咲くといいね」と言って別れた帰り道。本当にベタだと思うのだけど、仔猫を拾ったのだ。親とはぐれたのか、しばらくそこで見ていたけれど親猫は現れなかった。
ミィミィと心細げに鳴く猫が、寂しくて仕方ない自分と重なって思わず連れて帰った。「ゆうま」と名付けた……そうだ、別れた彼の名前だ……この茶トラの猫に私はずいぶん救われた。
そんな「ゆうま」とは七年暮らした。
その間幾つかの出会いもあり結婚もした。子どもも二人生まれて、「ゆうま」を看取ったのは煙るように美しい桜の頃だった。
その頃には「ゆうま」は激しい恋の相手の名前ではなく、足元にすりよりこちらを見上げて鳴く、茶トラの猫の名前となっていた。
「なんだかね、ゆうまを見送った時にね。あぁ、私のあの恋はもうとっくに終わってたんだなって思った」
「そっかぁ」
千佳子は猫を撫でる私の手元を眺めて、話を変えた。
「で、子どもたちは元気?」
「ありがとう。陽菜が今度大学受験で大変よ」
「うわぁ、もうそんな歳? 私たちが老けるわけだ」
そう笑ったた彼女は咳払いをして、
「そのさ、さっきの昔の彼氏。内藤佑馬って名前だったよね」
「よく覚えてるなぁ。友達の昔の男の名前」
「うん、ちょっとね」
それから千佳子はケーキの最後のひときれをフォークで綺麗にさらえた。
「あのさ、うちの子が教育実習で行った先にね、内藤佑馬の娘がいたんだわ」
「へぇ、そんな偶然もあるんだ」
「だよねぇ。でね、その子……」
その子の名前は「緋桜」と書いて「ひお」と読むらしい。あの頃私が好きだと言ってた「緋寒桜」。その名前から取ったのだろうか。
それなら……。
ロマンチックなのね、男って。
ひざの虎太郎がゴロゴロと喉を鳴らしていた。
おもいで 小烏 つむぎ @9875hh564
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