その道は、ただ地獄へと続く

五色ひいらぎ

地獄へと続く道

 並ぶ住所を一瞥し、弟子は大きく首を横に振りました。あーぁ、と、露骨な落胆の声をあげながら。


「師匠。なんでこんな郊外の物件ばかり、持ってくるんですか」

「せめて内見くらいはしてみなさい」

「嫌ですよ。いくら師匠のご指示でも」


 弟子――ラウル・セリーノからの非難の視線を、私は正面から受け止めました。

 あなたの考えくらい、わかっています。ですが私は、あなたに道を誤らせたくはない。同じ道を既に通った者として。


「修行の旅の間に、名前はあちこちで売ってきました。ひとたび開業すれば、俺の飯を食いたいって人間はごまんといるはずなんです。だのに、こんな街外れじゃあ――」

「だからですよ、ラウル」


 私は、あらためて弟子の顔を見つめました。

 諸国を巡る修行の、そして美食探求の旅の間に、彼の顔つきはすっかり変わっていました。日に焼け、精悍さが増し、瞳の奥にはなにがしかの覚悟の色が加わりました。

 試しに料理を作らせてみれば、腕前は既に私を凌駕していました。幼き頃に素質を見出し、手元に置いて技を叩き込んだ、あの日々は無駄ではなかった。才と技に、経験と知識とが加わり、やがて大いなる高みに至ろうとする様が見て取れました。

 だが、だからこそ。


「ラウル、あなたの腕を安売りしてはなりません。いかにあなたが技を尽くしたとて、繊細な技芸の極みを味わえる人間はこの世に少ない。多くの人間は、積んだ金貨の枚数でしか料理の価値を量れません……あなたの皿は、真にあなたを求める者だけに供すべきです」

「師匠のおっしゃることも、わかりますがね」


 言うと弟子は、懐から一枚の書付を取り出しました。見れば建物の売買契約書でした。店舗と住宅の機能を兼ねた、城下町デリツィオーゾ中心にほど近い建物でした。街で最も賑やかな界隈です。


「もう内見も終えて、あとはサインをするだけです。……俺は、たくさんの人に飯を作りたいんですよ。貴族も市民も、男も女も老いも若きも、誰しもに」


 日焼けした顔が、にいっと笑いました。


「旅の間、色々な人に会いました。色々な土地で、色々な料理を教わりました。受けた恩は、色々な人に返したいんですよ」


 ああ、輝くばかりの笑顔。

 いかなる闇も寄せ付けないほどに、眩しい眼差し。

 こうなれば何を言っても、今の彼には通じないでしょう。かつての私がそうであったように。


「……しかたありませんね。ならば、そこで店を出すといいでしょう。多くの人々が行き交う場所で、多くの人々に向けた料理店を」

「ありがとうございます、師匠!」


 弟子ラウルは、深々と頭を下げました。

 ああ、私には見えます。

 いずれ彼は絶望するでしょう。持てる技の限りを尽くした逸品と、七割の力でうわべだけを整えた張りぼてと。区別できる人間は、彼が思うほど多くはないのだと。

 望みを失くした大鷲が、自尊心の檻の中でどう足掻くのか――私にはわかりません。ですが、決して良い形にはならないでしょう。かつての私が金貨に溺れ、次第に技量を鈍らせていったように。

 あなたにだけは、私の轍を踏んでほしくなかったのですが。


「今はただ、あなたの門出を祝福しましょう。あなたの進む道に、神のご加護がありますよう」


 祝いましょう、たとえ知っていたとしても――その道は、ただ地獄へと続くのだと。

 私はただ、祈るばかりです。

 彼が絶望する日が、できるかぎり先でありますよう。

 彼が地獄へ堕ちることが、ありませんよう。

 そして、もしも堕ちたならば――望みを失った彼の前に、光となる何者かが現れますよう。

 神よ、どうかお守りくださいませ。私の、大切な弟子を。



【了】

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その道は、ただ地獄へと続く 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

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