未事故物件
佐倉みづき
◇
「うわー、良い部屋ですね!」
内見に訪れた客は、部屋に一歩踏み入るなり感嘆の声を上げた。
築十五年のマンションの一室。1LDKのこの部屋は角部屋のため窓も多く、明るく開放的な作りとなっている。家具の一つも置かれていないリビングは広々としており、フローリングの床は窓から差し込む陽光を反射して輝いていた。十階建ての最上階であり、見晴らしも抜群。更には駅から徒歩五分圏内と交通の便も良くスーパーマーケットも近い。まさに理想の物件だった。
「築年数は十五年ですが、水回りの設備は最新のものに取り替えてあります。内装もリノベーションされているのでこのように開放的で明るいですし、全然古く見えないですよね」
「確かに新築みたいです。言われなきゃわかんないですよ」
客は頷きながら俺が語る説明に耳を傾けている。
「それに、この辺りは駅近で夜も人の通りが多いんです。なるべく人が多くて賑やかな方がいい、と仰ってましたよね」
「そこまで考えて調べてくださったんですね。やっぱりおたくに頼んで正解でした。どんな要望も叶えてくれる、って仲間内でもすごく評判いいんですよ」
興奮気味の客の賛辞を曖昧に笑ってやり過ごす。
「決めました、ここがいいです。今日から住みたいのですが可能ですか?」
即断即決。本来であればここから更に面倒な手続きが必要となりすぐには部屋を貸せないのだが、俺は頷いた。
「ええ、問題ありません。こちらからお伝えする留意点は一つだけ。この部屋は今から事故物件となりますがよろしいですね?」
「はい、大丈夫です。自分が怖い目に遭う訳じゃないし。むしろ怖がらせてやりますよ」
からりと笑った客の姿が空気中に溶けて消えた。俺一人が佇む室内は先ほどまでと打って変わってどこか薄暗く、空気も淀んで重たく肌に纏わりついてきた。あの客は無事に部屋に棲み憑いたのだ。
背筋にうっすらと寒さを覚えた俺は足早に職場に戻った。休憩中なのだろう、店の外で煙草を燻らせる先輩が出迎えた。
「よお、お帰り。どうだった?」
「先輩……俺達、何でこんなことしてるんですかね。幽霊に空き部屋を斡旋するなんて……アイツら金払わないから利益も出ないじゃないですか。こんな無駄なこと、やる意味あります?」
俺が就職した不動産屋は事故物件を専門に扱っている。事故物件は過去に孤独死があった、殺人が起きたなど、何も人死にが出た部屋だけを指す言葉ではない。幽霊が出たといった心理的な瑕疵がある部屋も事故物件にカウントされる。
うちの不動産屋を訪れる客は二種類いる。事故物件でも構わないと格安の部屋を望む人間。そして、棲み憑く部屋を探している浮遊霊。先ほど内見をしていた客は後者だ。驚くべき話だが、家賃が高い物件はなかなか借り手が現れないため、家賃を抑えて店子が得られるなら多少の曰くがあっても構わないという管理方針が多いらしい。最近は事故物件だと知った上であえて住もうとする物好きな人間も多く、恐ろしく利害が一致している。俺には到底理解できない話だ。
「無駄じゃないから俺達がいるんだろ。生きてる人間は曰くつきだろうが安くて利便性が良い部屋を求めてるし、浮遊霊だって落ち着ける居場所を求めてる。相手が生きてようが死んでようが関係ねえよ。客に誂え向きの部屋を仲介してやるのが不動産屋の仕事だ」
先輩は紫煙を燻らせながら言う。俺は先輩のように割り切ることは出来ない。慣れる前に絶対に辞めてやる。そう誓って半年が過ぎたが、悲しいことに再就職先が決められないでいる。そもそも、今の職場もなかなか内定を得られずにあちこちの企業からお祈りされていた中、半ば騙されるような形で採用されたのだ。幽霊が視えることが採用条件だと知っていれば面接を受けなかったものを、と後悔している。
「そういや、こないだお前が部屋紹介した人いるじゃん。お前の仕事ぶり絶賛してたぞ。天職じゃないかってな」
それは幽霊と生きた人間どちらの話だろうか。褒められたところでちっとも嬉しくなかった。
未事故物件 佐倉みづき @skr_mzk
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