順行再生法

 車は流れに乗って、先程までの町並みを離れていく。

 

 ――どうして?


 僕は思った。どうして、車に乗ってしまったのだろう。若い夫婦が殺されたという部屋――正確には、そういう事件があったのと同じ間取りの部屋を出たあと、もうこの辺でといえばよかったはずなのに、どうして――


「あの、僕――」

「次の物件はちょっと凄いですよ」

 

 僕に拒否権はないというのだろうか、奏汰はいった。


「いままでは同じといっても間取りだけだったのですが、次は家具付きになっていまして、なんと――」

「事件と同じ家具を揃えた?」

「左様でございますね」


 僕は笑ってしまった。ポケットに手を入れ、改めて名刺を出してみた。


『MIRAI不動産 田中奏汰』


 ずいぶん簡素な名刺だ。名前に見覚えはない。記憶にもない。

 しかし――


「過去の事故物件と同じ間取りばっかりつくって、なんで未来?」

「アハハ。よく言われます。それはまあ、その止まってしまった過去の部屋から、改めて未来をはじめよう、だとか、そんな感じでどうでしょう?」

「そんな他人事な――」


 終わったことは終わったこと――そこで時を止めた部屋から、


「……なにを、始めようって……」


 その疑問は、僕の意志を超えて口から飛び出た。

 奏汰はバックミラー越しにこちらの様子を窺いながら答えた。


「先ほどお話しした、順行再生法ですよ」

「……なに? なんだって?」

「順行再生法です。順におこなっていく再生法、ですね。簡単にいうと、あるときを始点にして、そこから順番に今までを思い出していく方法です。逆に今の時点から遡って思い出していくのを、逆行再生法といいます」


 奏汰はいった。

 たとえば、警察が聞き込みをするとき、事件が発生した直後は遡るように質問を重ねていく。事件の発生した時間帯に何か不審な物音を聞かなかったか、その前に怪しい人影を見なかったか、もっと前に変な噂を聞いたことはないか――という具合だ。


「聞き込みは何度も行なうものなんですが、事件から時間が経つと、逆行再生が難しくなっていくんです。なにしろ一日ごとに古い記憶になってしまいますから。そこで二回目は当たりをつけた日付から順番に思い出してもらうんです。元が思い切り昔なので最初は思い出せないんですが、事件の起きた日に近づいていくと、だんだん記憶が鮮明になっていくんだそうで」


 逆行再生と順行再生は記憶の再生につかう手がかりが異なる。したがって、思い出す内容に違いも出てくる。警察ならば順行と逆行の結果を突き合わせて矛盾を発見したりすることに利用するが、警察以外ではまた別の使い方をする。


「また別の使い方、ですか?」

「はい。いわゆる逆行性健忘の回復ですね」


 僕は内心どきりとした。見透かされていると思ったのだ。

 奏汰は構わず車を走らせながら話を続けた。


「逆行性健忘は何が切欠で記憶を取り戻すのか、まったく予想がつきません。ですが最近の脳科学の見地から、同じ体験をするというのが有効な手の一つらしいと分かってきたんです」

「それは……なぜです?」

「ニューロンの発火が……えーと、なんていえばいいんですかね? 人間の脳は何かを見聞きしたりすると、脳にある種の反応が起きるんです。細胞同士を繋いでいるシナプスという紐があって、ある刺激に対して特定のパターンでニューロンを発火させているんです」


 その発火のパターンは人によって異なるが、一人の個人は一つの刺激に対して一つのパターンで記憶している。そこに類似の刺激が加わると、僅かに違う別の枝葉を付け加えることで区別しているという。


「つまり……あ、デジャヴか」

「ですです。よく似ていれば、たとえ別の場所であっても、よく似た形のニューロン発火が起きて、記憶を再生してくれるわけです。そのとき大事なのは、ディティールの深さなんですね」

「デティールというと、精密性、という感じですか?」

「飲み込みが早いですね。仰るとおりです」


 最初はぼんやりと似ているものを見せて、記憶のいわば外形を刺激する。

 次はもう少しだけ詳しくして、記憶の中身を刺激してやる。

 その次はさらに詳しく――


「そうやって、徐々に記憶を詳しく思い出させていくんです。このとき重要なのが思い出してもらいたい記憶――ターゲットというんですが、ターゲットに向かって刺激の距離をつめていくんです」

「距離?」

「はい。時間敵距離と、さっきいったディテールを揃えるんです。たとえば、私が扱っている物件でいいますと――」


 時間は、古いものから新しいものに。つまり遠い記憶から近い記憶に。

 情報は、ありふれた間取りから、少し珍しい間取りに。つまり複雑なものに。


「そうやって、記憶の奥深いところに閉じ込めてしまったものを、文字通り改めて作り直す――再生するように刺激してやるんです」


 車が止まった。また別の、見覚えのあるアパートだった。奏汰の話を聞いていたからだろう。つい最近、見たような気がした。それが幻覚なのか、順行再生法により戻ってきた記憶なのか、僕には判別する方法がなかった。

 後部座席のドアが開くと、僕は導かれるようにして車を降りていて、見覚えのあるエントランスを抜け、見覚えのあるエレベーターに乗り、見覚えのある階の見覚えのある角を曲がって、見覚えのある部屋に入れられた。


「ここは……」


 ――ガチャン、と僕の後ろで、聞き覚えのあるオートロックの音が聞こえた。


「ここは、来たことがある……気がします」


 入ってすぐがダイニングキッチンになっており、左手側が寝室と居室を兼ねる1DKの部屋だ。奥はトイレと浴室で、右手側にビルトインタイプのIH式コンロが二口あって、床はカーペット敷きでローテーブルを置いて。


「来たことがある。僕はここに来たことがあります」


 僕の口は勝手に動いた。足は勝手に部屋に上がり、手は寝室につながるスライドドアを引き開けていた。

 寝乱れたような形跡のある青い布団のベッド――


「ありませんよ。だって、ここは同じ間取りにしているだけの、別の部屋ですから」


 いつのまにか背後にきていた奏汰が低い声で言った。

 僕は胸の奥がムカムカとし、腹の底から込み上げてくるものを感じた。それが何であるのか、僕には分からなかった。けれど、順行再生法とやらが僕のニューロンを刺激して思い出したくない記憶を再生しようとしていた。


「この部屋の再現度は凄いんですよ。見ててください」


 いって、奏汰は寝室の窓にかけられた厚手のカーテンを引いた。薄青い見覚えのあるカーテンは遮光性が高く、部屋は夜中のように暗くなった。


 パッ、と奏汰の手元から青い光が伸びた。光の線が床から壁に移ると、点々とついた何かの染みが強く発光していた。染みは壁際の棚に並んだぬいぐるみを濡らし、ベッドの上で大きな大きな水たまりをつくった。


「――違う!」


 僕は叫んでいた。なぜ叫んだのか僕にも分からない。慌てて両手で口を覆ったけれど、吐き出された言葉は飲み込めない。

 奏汰は僕に低い声で尋ねた。


「どこか違いますか?」

「そ、それは……」

「死んだ場所?」

「お、お前、なんなんだ……誰なんだよ!」


 僕はまた叫んでいた。


「な、なんでそんなこと知ってるんだ! お前、お前が殺したのか!?」

「はあ? 違うといったのは高橋様では?」

「そ、それは……それは、ニュース! ニュースで、見たんだ! だから、ここじゃないって知ってる! 死んでたのは、風呂場で、ばラ、ば……バラ、バラ、に……」


 僕は思わず後退った。ドン、と背中がスライドドアを揺らした。違う。そうだ。僕の頭の奥で記憶の欠片が閃いた。


「僕だ、僕……僕が、殺し……た……」


 僕はこの部屋で彼女を殺した。前の部屋で夫婦を殺した。僕は奥さんと話をしてみたかっただけなのに旦那が邪魔をしてきから静かにさせようと思っただけだった。二つ前の部屋のは偶然だった。殺す気はなかった。ずっとそうだ。最初の部屋の子だって殺す気はなかったのだ。単に、事故が起きただけで、その場に僕が居合わせただけで、忘れてしまおうと思っただけで――


「じゃあ、お前、は? お前は、誰なんだよ。なんで知ってる?」

「私は不動産屋ですから」

「ふ、ふざけんな!」


 僕は頭を掻きむしった。頭が痛くて割れそうだった。


「警察? 警察か!」

「落ち着いてください。警察がこんな手間をかけるわけないでしょう?」

「嘘つくな! 間取りは分かっても、警察以外に家具調度品まで分かるかよ!」

「わかりますよ。よく考えて」


 奏汰の声が酷く冷たく聞こえた。励ますように握られた手の中で、青い光を放つライトがギシリと軋んだ。

 瞬間、僕は膝をついた。両膝をついて謝った。涙が溢れてきた。


「ご、ごめんなさい! 許してください! 殺すつもりはなかったんです! ぜんぶ事故だったんです!」

「……はぁ?」


 奏汰が呆れたような、間の抜けた単音を返してきた。

 僕は恐る恐る顔をあげ、尋ねた。


「だ、だって……部屋に、入ったことが、なくちゃ……」


 被害者の部屋に入ったことがある人間がいるとしたら、不動産屋と、警察と、他には身内――家族だ。


「……遺族じゃ、ない?」


 奏汰が夜のように暗い部屋で、歯を剥いて笑った。

 ――歯を剥いて笑っているのがわかった。

 手に握る、血液を青白く照らすライトの光りで、歯が点々と光っていたから。


「お前に男だよ」


 そういって、不動産屋が笑った。

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順行再生法 λμ @ramdomyu

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