需要

「事故物件と……同じ……って……ここ、まさか……!?」


 僕の震える声に、奏汰はニヤリと笑って、いった。


「いやいやいやいや! そんなわけないじゃないですかあ!」


 破顔。僕はドッと息をついた。

 奏汰さんは肩を揺らしながら続ける。


「いえまあ、事故物件と同じ間取りというのは本当なんですけどね?」

「ええ!? ちょ、なんですか、それ」

「いえね? 何年前でしたかね……女子大生が部屋で亡くなられていたことがありまして、それがまったく同じ形の部屋でして」

「ええ……?」

「それが、その女子大生、この床下収納に折りたたまれて入っていたんです。こう――」


 いいつつ、奏汰は両手を躰の前に伸ばして、ちょうど前屈運動をするような仕草を見せた。


「どっち向きだったかな……たしか、お尻が玄関の方を向いてたんだったか……」

「ちょっ……やめてくださいよ。気味悪くなってきたじゃないですか」

「ははは、それじゃあ、別の物件もご覧になってみます?」

「え?」

「いえまあ、高橋さんみたいな手強いお客様に出会うと、不動産屋としては燃えてくるってものなんですよ。よし、絶対にここにするって言わせてやる! みたいに」


 そういって、奏汰は床下収納の扉を閉めて立ち上がった。

 不動産営業ってそういうものなのだろうか、と僕は苦笑しながら腰を上げた。


「だとしたら、今の悪手じゃないですか?」

「悪手、ですか?」


 奏汰は鍵をかけながら言った。

 僕は先を促されて車まで歩きながら答えた。


「いやほら、事故物件と同じ間取り、とか。絶対に言わなくていい情報でしょ」

「いやあ、それが最近はそうでもないんですよ」

 

 奏汰は車のキーを回して、助手席のシートに手をかけるようにしてバックさせながらいった。


「ホラー好きというか、オカルト好きというか、事故物件のマニアさんとかもいらっしゃいましてね? まあ事故物件なら賃貸料も安くなるというのはあるんですが、最近はそこにもうちょっとライトな需要がではじめていて」

「ライトな需要、ですか」

「はい。本当の事故物件に住むのは嫌だけど、同じ間取りの家には住んでみたい、みたいな」


 僕は思わず肩を揺らした。


「なんですか、その需要?」

「ですよねえ? わかります、わかります。でも、たしかにそういう需要もあるんですよ。まあオカルト好きというより、犯罪マニアのほうに近いのかもしれませんが」


 仮に犯罪マニアだとして、なんで同じ部屋に住みたがるのだろう。事故物件そのものならまだしも、同じ間取りというだけの別の部屋に何があるというのだろう。

 僕の疑問を察したのか、黄色信号を前にやや急ブレーキ気味に車を止めて、奏汰はいった。


「なんていうんですかね、加害者はどうしてこんなことをしたのだろう、みたいな、そういう追体験をするような感じらしいですよ」

「ああ……なるほど……?」

「ピンときませんか? ええっと……つまりですね。さきほどの部屋ですと、なんで床下に隠したのだろう、とかですね」

「なんでって……」


 僕は苦笑した。人一人を殺したとして、1Kの部屋に隠すところなんてない。せいぜいがクローゼットに押し込むか、屋根裏に引き上げるか――けれど、いくら女子大生とはいえ四十キロは下らない。立てて置くのは難しく、持ち上げるのはもっと難しいだろう。床下にいれられそうなスペースがあるなら、そこを使わない手はない。


「そんなことを理解して、何になるっていうんです?」

「さあ……私は不動産を取り扱っているだけですからね。そこまでは――」


 信号が青に変わり、再び車が走り出した。


「ただまあ、同じ部屋に暮らしてみないとわからないことはありますね」

「たとえば?」

「そうですね……たとえば、最初にお連れした部屋とか」

「最初の部屋……って、あのロフト付きの? ええ……? まさか、あそこも事故物件と同じ間取りの……?」

「そうなんですよ」


 奏汰は楽しげに笑った。

 その事件の被害者も女子大生で、ロフトにつながる梯子の天辺にチョーカーベルトを引っ掛け、首を吊るようにして死んでいたのだという。


「ロフトって、使ってみると分かるんですけど、酔っ払っていたり、風邪を引いていたり、あとは眠かったりとか、たまに足を踏み外してヒヤっとするんですよ。なので、首に長いものを巻いておいて、降りるときに引っ掛けちゃって、それで――」

「そんなことあります?」


 いくらなんでも無茶だ、と僕は思った。

 奏汰は頷きながら答える。


「ないです、ないです。そういうシナリオを思いついたりするってことですよ」

「シナリオというと……あ、つまり、あれだ。偽装工作」

「です、です」


 我が意を得たりと、奏汰はバックミラー越しに僕のほうを一瞥した。

 たとえば、行きずりの女子大生と関係をもって、なにかしらのトラブルが発生し、勢い余って殺してしまったとする。当然、そんなつもりはないので犯人は焦る。どうにかして殺害を隠蔽しなくては。


「そんなとき、男は気づくわけですよ」


 奏汰はいった。

 そうだ、この梯子を使えばいいんじゃないか? 

 普通はそんなことを考えない。さっさと逃げるくらいだろう。けれど、先に偽装工作を思いついたら、人間はそちらに走ってしまう。


「幸い、女はしこたま酒を呑んでいるし、あとは首についた手の跡を隠しつつ、首を吊って死んだことにすればいいんじゃないか」

「……ちょっと無理ありません?」

「実際にあった事件ですから」

「ああ、そっか……」


 女の部屋のクローゼットには幅広のチョーカーと、そこにつけるアクセサリー類が豊富にあった。男は手袋をして女に細工し、ロフトの梯子から吊るした――


「意外な話ですが、事故・自殺から殺人事件に切り替わるまで、けっこうな時間がかかったみたいですよ? そのせいか――」

「犯人は未だに捕まっていない?」


 先手を打って、僕は腹を突き上げてくる笑いを噛み殺した。


「いやいや、下手な怪談話みたいなオチじゃないですか」

「ははは。すいません。でも、事実ですから」


 事実ですから、という奏汰の声が、やけに重く、低く聞こえた。

 車が速度を落とし、また見覚えのあるマンションの前に止まった。


「今度のは少し大きい部屋ですよ」


 見覚えのあるエレベーターに乗り、どこか懐かしい四階の表示を見て、左に曲がって、403号室に。


「……なんか、ここまでくると、すごいですね」


 入ってすぐ左手にバス、トイレ、広々としたリビングダイニングから一段――およそ五センチほど高さをあげて洋間が一つ――。


「どうされました?」

「既視感……デジャヴでしたっけ」

「ありますか」

「――そこ」


 僕はリビングに併設された洋間を指さす。


「元は和室ですよね?」

「さすが! お目が高い」


 お目が高いは違うだろう、と僕は笑った。


「見ればすぐに分かりますよ、リビングの床より少し高くしてあるんですから、普通はそこでスリッパを脱ぐとかするんでしょう? 襖が入っていたから敷居の分だけ上がってて……なんで洋間?」


 僕は思わず呟いていた。洋間に作り替えたなら、床の高さも下げればいい。床や敷居の名残はそのままにする意味がどこにあるのだろう。

 振り向くと、奏汰は首を傾げていた。


「どうして……どうしてなんでしょうねえ?」

「え?」

「いえね? ウチとしましても、同じ間取りにしようとしただけなので、どうしてと言われますと、ちょっと……」

「事故物件と同じ形にすることに拘ってる、と?」

「そういうことになりますね」

「……さっき言ってた需要……だけじゃ、足りませんよね?」

「左様でございましょうか」


 僕は洋間に振り向いた。何か引っかかった。エレベーターも、階数案内板も、曲がった方向さえも既視感があったのだ。もしやという思いが、僕の口をついて出た。


「あの、ここもしかして、本当に事故物件なんじゃ……」

「いえ違います。同じ階の、同じ方向に曲がる、同じ間取りの家ですね」

「そ……こ……まで、します? さっき言ってた需要なんて、ニッチもニッチ、現実にはほとんどないでしょう?」

「いや、それがそうでもないのです。もちろん限定的ではありますが、極めて高い需要があるんですよ」


 奏汰の声と、気配に、僕は居心地の悪さを覚えた。


「ここと同じ間取りの事件はかなり凄惨でしてね。まだお若いご夫婦の事件で。ちょうど奥様が妊娠されていたのだとか。それで――」

「この洋間で、奥さんが死んでいた?」


 僕の口は自然と動いた。

 奏汰が、薄っすらと笑っていった。


「思い出されましたか」


 そんな手に引っかかるものか、と僕は答えた。


「ニュースで、見たことがある気がします」

「間取りは――」

「出てましたよ。新聞も、テレビも、わざわざどこで死んでいたのか、イラストつきで報道しますからね。なんの意味があるのか知りませんけど」

「さすがです、高橋様」

「――え?」


 またしても、僕は間抜けな声で返していた。


「それこそが極めて高い需要――順行再生法です」


 いって、奏汰は廊下のほうへと手を広げた。

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