時間ならまだあるから
酔
その大学生には、三分以内にやらなければならないことがあった。すなわち、先ほど書き上げたばかりのレポートの提出である。締切時刻の零時を過ぎてしまえば、国際関係論の単位は不可になるとみてまず間違いないだろう。そうなれば留年に限りなく近づいてしまう。ただでさえ単位はギリギリだというのに。
逸る鼓動を抑えながら、
次こそはもっと計画的にレポートを書こう。
晴人がノートパソコンの前で、大学生になって何度目かわからない反省をしていると、スマートフォンがけたたましく鳴った。画面には『桃花』と表示されている。晴人は迷わず通話ボタンを押した。
「うぃっすー!」
夜中だというのに、電話の声の主はいつも通り底抜けに明るい。その快活さに癒やされつつ、晴人も「うぃっすー」と返した。
「日付変わっちゃったけど、レポートは提出できた?」
「なんとか」
「おおっ、がんばったじゃん!」
「桃花が貸してくれたノートがなかったらレポート書き上げられなかったと思う。まじでありがとうな」
「どういたしまして。晴人の役に立ててよかったよ」
「約束通り、お礼にメシおごろうと思うんだけど、いつがいい?」
「あ、それなんだけど……」
桃花の声のトーンが急に落ちたので、晴人は不安に襲われた。
「どうした?」
まさか自分とご飯に行きたくないとかだろうか。だとしたら、レポートのお礼をダシに食事に誘うにはタイミングが早かったのかもしれない。桃花とは友達としての付き合いは長いが、今まで二人きりで行動したことは一度もなかった。
晴人がいろいろと悪い方向に予想を立てていると、桃花が「えっとね」と切り出した。
「行きたいお店があるんだけど、そこでもいい?」
「え」
「だめかな」
なんだそんなことか、と心底ほっとした。
「それくらい全然いいに決まってるじゃん。……っていうか、好きな店連れてくよ。お礼なんだから」
本心からそう返事をしたのだが、なぜか桃花は黙りこくってしまう。
「桃花?」
「その、いろいろ説明が必要なお店なんだよね」
桃花の意味深な言い草に、頭の中に?マークが乱立する。
説明が必要なお店ってなんだ。
「……まさかフレンチのフルコースとか」
「違う違う! そういうのじゃなくって」
桃花は観念したように続けた。
「晴人は、コラボカフェって知ってる?」
「コラボカフェ?」
予想外の単語が出てきて、オウム返しをしてしまう。コラボカフェってあれだよな。なんかキャラクターモチーフのご飯やらドリンクやらが出てくるやつ。そちらの界隈に疎い晴人でも、コラボカフェがどんなものなのかはSNSを通じてなんとなく知っている。
そう伝えると桃花は「そうそう!」と嬉しそうに肯定した。
「すごく好きなマンガのコラボカフェの整理券が当たったんだけど、スケジュールの合う人がいなくて本当に困ってて。だから、もし晴人の都合がよければ一緒に行ってほしいの。特典、できる限り回収したいし。もちろんおごりじゃなくていいから。日時指定は次の月曜日午後なんだけどどうかな?」
桃花は一息に話す。晴人が今までに見たことのない桃花の姿だった。
「わ、わかったよ。その日ならたぶん都合つけられると思う。……俺でよければコラボカフェ、行こう」
桃花にやや気圧されつつ、晴人は肯定の返事をした。途端、電話の向こうで「やったー!」という快哉が上がる。実際のところコラボカフェの実態についてはよくわかっていないが、桃花が自分と会えることを喜んでくれているという事実だけで、晴人はすべてオッケーな気がした。
その後、夜ももう遅いし明日もお互いに一限目があるから、ということで通話は早々に終わった。しばらくして桃花からコラボカフェの詳細な情報が送られてくる。そこで桃花が好きだというマンガのタイトルを確認した。晴人でも名前だけは聞いたことあるような人気作だった。
「桃花ってこういうのが好きなんだな」
ベッドにダイブして、ひとり呟き大手通販サイトを開く。マンガのタイトルを検索ボックスに打ち込むと、すぐに電子書籍ページが現れた。晴人は少し躊躇ったあと、思い切ってまとめ買いボタンを押す。ボリュームがある分やや値は張るが必要経費ということにしよう。
間もなく、晴人のスマートフォンにデータがダウンロードされ始めた。
その様子を眺めながら、晴人は桃花とのデートを思ってにやけてしまう。
よし──と、晴人は誓う。
このマンガの予習だけは欠かさないようにしよう。
レポートの反省を活かして、今度は計画的に。
たっぷりと時間を使うのだ。
好きなものを分かち合えたら、それはきっと一歩を踏み込む勇気になる。
時間ならまだあるから 酔 @sakura_ise
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