その時、私はバッファローの群れに轢かれて死のうと思った

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「死のう」


 唐突にそう思った。


 しかも、ただ『死のう』と思っただけではない。


「他に類を見ない状況で、死のう」


 何でそんなことを思い至ったのかは、よく分からない。多分きっと、それまでの間に色々とあって、思い立っても自殺を実行できなかったからだ。


 その時、ふと私の目に、草原を大量のバッファローが波打ちながら疾走する景色が飛び込んできた。


 これだ、と思った。


「よし、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れにかれて死ぬことにしよう」


 別に私が幻覚を見ているわけではない。ショッピングモールのエスカレーターにぼんやりと乗っていた私の目に、家電量販店の店頭にズラリと並んだテレビの画面が飛び込んできただけである。


 家電量販店の店員も、画質の良さをアピールするために大自然を映しているテレビ画面を見た人間が、その映像を決め手として自殺手段を決めたとは夢にも思うまい。


 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れ。そこに飛び込んでしまえばきっと、否応もなく死ねるに違いない。昔のモンゴルかどこかにも似たような処刑法があったはずだ。ほら、大量の馬をけしかけて轢き殺す的な。


「ふふっ……うふふっ……」


 ビルの屋上に登ってみても、足がすくんで跳べなかった。電車に飛び込もうと思ってホームに立ってみても『ダイヤの乱れに巻き込まれる人、大変そう』と思ったら飛び込めなかった。なお、首をくくろうとしても、不器用すぎる自分はロープや紐がうまく結べなかった。


 でも、この方法なら……いや、でもちょっと待てよ?


「野生のバッファローって、どこに棲息してるんだ?」


 まずはそこから調べなければならない。日本ではないことだけは分かる。


 ならばまずはパスポートを取って……棲息地にたどり着くために、現地の言葉も覚えなければ。


 降りのエスカレーターが終わるまでにそこまでのことを考えた私は、ひとまず動物図鑑を入手するために本屋へ向かうことにした。




  ※  ※  ※




「というのが、私がバッファローの研究を始めたきっかけですね」

「いや何ですかそれ! 突拍子もなさすぎる!」

「だから言ったでしょう。『しょーもない理由ですよ』って」


 長いようで短い話を終えると、私の助手を名乗る研究生は『しょーもなくは、ないですけども』と何とも言えない顔で呟いた。


 その顔に苦笑を浮かべながら、私は部屋の中をグルリと見回す。


 論文と資料と地図と標本と、その他諸々でギュウギュウに詰まった研究室。整理がまったく追いついていない状況だが、私が片付けをする気になるよりも、次のフィールドワークが始まる方がきっと早い。


 あの日、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに轢かれて死ぬことを夢見てから、実に25年。


 私は結局その夢を叶えられないまま、バッファローに追いかけられるどころか、バッファローを追いかけて生きている。


『どうしてこうなったのか』と思わなくもない。だけどあの日、あの足で行った本屋で子供向けの生物図鑑を開いた瞬間から、それまでずっと私に纏わりついていた希死念慮は限りなく薄くなってしまった。


 だからきっとこれは、天命とでも言うべきものだったのだろう。


 ──あぁ、でも。


 そこまでぼんやりと考えてから、私はふと内心で呟いた。


 ──やっぱり人生の最後には、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れに轢かれてみたいかもしれない。


 研究者として、こんなに幸せな最期はないだろう。


 そんな戯言ざれごとを胸中だけで呟きながら、私は机の上に放り出していた資料を笑みとともに手に取った。



【END】

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その時、私はバッファローの群れに轢かれて死のうと思った 安崎依代@1/31『絶華』発売決定! @Iyo_Anzaki

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