【絶華の契り 仮初め呪術師夫婦は後宮を駆ける】発売から本日で3週間になりました!
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さて、今週のSSの舞台は第1週、第2週で話題になっていた小華楼です。モブ女給視点、本編前、紅珠が明仙連で『武侠仙女』をしていた頃のお話になります。
第1週記念SSはこちらから↓↓
https://kakuyomu.jp/users/Iyo_Anzaki/news/16818093093626409663第2週記念SSはこちらから↓↓
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【聚散十春】
……風のような人だと思った。
「こんにちは」
フワリと風が迷い込んできたと思った瞬間、店表にかけられた薄絹を払って一人の女性が来店した。
柔らかい語調なのに芯の強さを感じさせる強い声に、明玉は自然と声の方を振り返る。
「今って、もう優先入店札がなくても、入店することはできますか?」
フワリと明玉に笑いかけ、礼儀正しく問いかけてきたのは、墨染の衣に身を包んだ若い女性だった。
袖と裾が詰められた男性物にも思える装束から、彼女が女だてらに戦うことを仕事にしているのだということが分かる。
その証拠に、彼女の左手には金の装飾が映える黒鞘の剣が握られていた。後頭部でひとつに結わえ上げられた日焼けした髪といい、気の強そうな顔立ちといい、いかにも女武人といった風体だ。
そうでありながら、明玉に柔らかく笑いかける表情には、女性らしいたおやかさがあった。自信に裏打ちされた落ち着きのある挙措は上品で、女性が纏うには粗野とも見受けられかねない服装との落差が逆に彼女の魅力を引き立てている。
思わず女性に見入っていた明玉は、女性が問いかけるように微かに首を傾げたのを受けてハッと我に返った。
「え、……あっ、はい! 大丈夫ですっ!」
「そう。では、一人なんですけど、いいですか?」
「はいっ! こ、こちらへ……っ!」
穏やかに続けた女性へギクシャクと答えてから、明玉はぎこちなく女性を空席へ案内する。
そんな明玉の受け答えに変な顔をすることもなく、女性は軽やかな挙措で明玉の後ろへ続いた。足音がしないしなやかな足捌きは、まるで仙女が宙を滑って移動しているかのようだ。
「こっ、こちらのお席でよろしいですか?」
「ありがとうございます」
明玉が女性を案内したのは、中庭を臨む奥まった角席だった。
他の席に比べると少し手狭ではあるが、配置の関係で店表からも他の席からも人目に付きにくい。女性の一人客でも、きっと人目を気にせずくつろげるはずだ。
そんな明玉の気遣いを、きっと女性は汲んでくれたのだろう。穏やかに笑みを深めた女性は、きちんと明玉に視線を合わせてから謝辞を口にすると、しなやかな身のこなしで席につく。
そんな何気ない所作のひとつひとつに、視線を惹きつけられてやまない。
またポウッと女性に見入っていたことに気付いた明玉は、己の仕事を思い出すと慌てて口を開いた。
「あ、えっと、当店のオススメは……っ!」
「ごめんなさい。注文はもう決まっているんです」
だが女性は明玉の言葉を柔らかく遮る。さらに続けて『華月青茶と、あと棗と胡桃の月餅。それぞれふたつずつ、お願いできますか?』と口にした女性に、明玉はパチパチと目を瞬かせた。
「ふたつ?」
もしかして、待ち合わせだったのだろうか。先程の『一人なんですけど』は、あくまで『今は』という意味だったのかもしれない。
「あぁ、大丈夫です。後から誰か来るってわけではないので」
待ち合わせならば、もっと店表から目に付く場所にいた方が都合がいいかもしれない。
そう気を揉んだ明玉の内心を、今度も女性は察したのだろう。少しだけ苦笑を滲ませた女性は、視線を明玉から対面の空席に置く。
「両方とも、私がいただきます。……食いしん坊なんです、私」
決してそうは見えなかったが、それ以上は明玉も突っ込んで訊けなかった。
結局、少しだけ口元をまごつかせた明玉は、何も言えないまま『かしこまりました』と、他の客に対する時と同じように頭を下げたのだった。
* ・ * ・ *
一人で席に着いた女性は、茶と菓子が運ばれてきても、しばらくどちらにも手をつけなかった。
ただゆるりと足を組み、卓に片肘をついて顎を預け、同じように茶と菓子が配された対面の空席に視線を向けている。
まるでそこに見えない誰かを見ているかのような。約束に遅れている待ち人を待っているかのような。
そんな雰囲気を纏ったまま、女性はただただ静かに対面の席へ視線を置き続けていた。
──まるで、あの空間だけ、時間が止まってしまったみたい。
時刻は夕刻に差し掛かろうとしている。お茶時を回った茶寮の店内は人の気配もまばらで、給仕である明玉が離れた場所に控えてその空間を見つめていても、咎める者は誰もいない。
緩やかな時の流れを示すかのように、女性の手元からは茶杯が上げる湯気がたなびいていた。迷い込む風に、女性の髪が微かに揺れている。
「……ねぇ」
そんな風の中に溶かし込むかのように。
不意に、沈黙を保っていた女性が唇を開いたのが見えた。
「今どこにいるのよ、あんた」
本当は、直接声が聞こえたわけではない。女性が見える場所に控えていると言っても、微かにこぼれる独白の声を明玉が拾うには距離が遠すぎる。
それでもなぜか、明玉には彼女がそう囁いたのだという確信があった。
「元気? ちゃんとご飯食べてる? 無茶してない? 誰か……」
──誰か、あんたの隣に、いてくれてる?
誰もいない空席に問いかけた女性は、その問いを最後にキュッと唇を引き結んだ。顔は上げられたままだが小さく視線が伏せられ、卓に乗せられていた手が緩く拳を握る。
──あぁ、彼女は。
ふと、明玉は気付いてしまった。
──以前、誰かと、ここに来たことがあるんだ。
今は隣にいない、誰かと。
その『誰か』と、この店で過ごした記憶を通して会話をするために、彼女はこの店を訪れた。
そんな背景を、覗き見してしまったような気がした。
思わず明玉は盆を抱えた腕にキュッと力を込める。
その瞬間、何かがスイッと明玉の眼前を横切っていった。
「キャッ!?」
思わぬことに、明玉は反射的に一歩後ろへ下がりながら顔を庇うように盆を上げる。だが明玉の前を通り過ぎた『何か』は、明玉の動きにも、他の客にも構うことなく店の奥へ飛んでいった。
無意識のうちにその動きを視線で追った明玉は、その『何か』が淡く光を纏った小鳥で、向かう先にあの女性がいることに気付く。対する女性は、まるでその小鳥が現れることを知っていたかのように冷静に顔を上げ、片腕を上げて小鳥を迎え入れた。
「あっ」
女性が伸ばした指先に、翡翠の輝きを纏う小鳥が降り立つ。
その瞬間パッと光は弾け、ヒラリと一枚の紙片が女性の手の中に収まった。
「えっ?」
一部始終を見ていた明玉は、思わず困惑の声を上げる。
何が起きたのか分からず目を瞬かせる明玉の視線の先で、女性は落ち着き払った態度のまま紙片に視線を走らせていた。恐らく紙片は手紙か何かだったのだろう。そこに書き付けられた文字を読み切った女性の目元にスッと険が宿り、穏やかだった雰囲気が一気に張り詰める。
そこからの女性の行動は早かった。
紙片を懐に突っ込んだ女性は、返す手で財嚢を掴み出しながら反対側の手で茶杯を手に取る。そのままグイッと茶をあおった女性は、実に器用に反対側の指先で財嚢から金子を引き抜いていた。
さらに女性は続けて月餅を口元に運ぶ。その月餅が三口で消えた時、すでに財嚢は懐に戻され、空いた片手が対面の席に置かれた茶杯に伸びていた。
そんな勢いで食べて喉に詰まらせないのかとヒヤヒヤする明玉の前で二杯目の茶も一息に干した女性は、次いで二個目の月餅に手を伸ばす。
二個目の月餅は、口に運び込まれる前に動きを止めた。口元と呼ぶには少し距離がある場所で動きを止めた女性は、わずかに躊躇ってから反対の手で懐を漁る。今度取り出されたのは手巾で、女性は丁寧に二個目の月餅を手巾で包むと大切そうに懐に入れた。
「ご馳走様でした!」
女性が声を上げながら朗らかに明玉を振り返った時には、いつの間にか腰に剣まで装着されている。いつの間に、と目を瞠る明玉へ足早に近付いてきた女性は、そっと明玉の手を取ると丁寧にお代を乗せた。
「お釣りは取っておいてください。あなたのおかげで、久しぶりにゆっくりあいつに逢えましたから」
どれだけ呆気に取られていようとも、明玉も開店当初からこの茶寮に勤めている給仕だ。置かれた金子が本来の代金よりも多いことくらいは即座に分かる。
明玉は反射的に顔を跳ね上げた。
その瞬間、真っ直ぐに明玉を見つめていた女性が、フッと不敵な笑みを浮かべる。
「『あの頃』と変わらず、美味しかったです」
少し落とされた声音と、先程までとは打って変わった表情。たおやかさが掻き消えたそれらは『男前』と評するに相応しい。
その落差に、明玉の意識から語彙が消えた。
「また、お邪魔させてください」
明玉が女性に見惚れている間に、女性はスルリとその場を後にする。入口で揺れる薄絹を潜るまでは静かな足取りだった女性は、店を出た瞬間からタッとどこかへ駆けていった。
「あっ……!」
思わず明玉は女性の後を追って店先へ飛び出す。だがすでに女性の姿は人波に呑まれ、明玉の視界からは消え失せた後だった。
先程まで女性の髪を揺らしていた風と同じ風に身を包まれながら、明玉は彼女が消えていったのであろう人波を呆然と見つめる。
──風のような人だった。
今、夕刻の空気を揺らしているこの風のように、柔らかで、鮮やかで、……色んな顔を持っている人だった。
夕刻の空を自由気ままに駆け抜ける、風の女神のような人だった。
──またって、言ってた……
名前も知らない。何をしている人なのかも分からない。ただ客と給仕として、一瞬だけ相まみえた相手。
だが不思議と、再会をほのめかす言葉に、鼓動が速度を上げていくような心地がした。
思わず明玉は彼女に握らされた金子をキュッと握りしめる。
その手に反対の手も重ね、彼女と触れ合った熱を閉じ込めるように胸元に当てながら、明玉はそっと呟いた。
「またの来店を、お待ちしております」
囁くような明玉の声は、きっと彼女がこぼした独白よりも小さい。
それでもそんな明玉の声を掬い上げるかのように、夕刻の風は柔らかく明玉の髪を揺らしていた。
【了】
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近日中にこのSSの追加エピソードを公開予定です。
あの手紙は誰からの物だったのか、小華楼を飛び出した紅珠は何をしに向かったのか、他の『八仙』も出てくるSSを予定しているのでお楽しみに!
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