蒼海の死闘! 天才料理人vs海魔クラーケン

五色ひいらぎ

蒼海の死闘

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。


「左舷方面、敵影あり! 弓兵隊構え!」


 部隊長の大声と共に、船縁に居並ぶ兵士たちが一方向に鏃を向ける。矢の指す先、波間に見えるは、いやに滑らかな白い背だ。海面を白く沸き立たせつつ、こちらに迫ってくる。


「放て!」


 一斉に飛ぶ、矢。

 あやまたず、白に突き立つ。青い血が散り、すさまじい咆哮が上がった。

 開かれた戦端を、俺は船の真ん中で眺めていた。帆柱に固定された樽を掴みながら、本当に大丈夫なんだろうな、と内心で震える。なんで俺が――この天才料理人ラウル様が、わざわざこんなところへ来なきゃなんねえんだ、とぼやきつつ。

 理由、わかってはいる。

 海魔クラーケン。王国近郊の海に、数年に一度ほどの頻度で現れる魔物だ。姿は巨大なイカで、刺激しなければ害はないが、巨体ゆえに船の航行を妨げてしまうため、港の近くに現れた際は王国軍が討伐隊を派遣することになる。

 今がちょうどその時だ。一週間前に港へ現れたクラーケンを、俺たちは討ち果たしに来ている。十数人の兵が船に乗り込み、クラーケンの出現海域へ向かい、今こうして交戦している。そこまでならいつもの魔物退治だ。

 が、今年は少々事情が違った。



 ◆



「クラーケンって、食べたらどんな味がするのでしょうね」


 王太子妃殿下がぼそりと漏らしたのが、すべての発端だった。

 無茶言うな、と俺は思った。そして、きっちり答えた。


「お言葉ですが、それは少々無理なご相談です。クラーケンの身体は異常なまでに腐敗が早い。絶命した瞬間から組織が崩れ始め、三分も経てば悪臭を放ち始めます。おそらくは、死んだと同時に魔法の力が尽きるのでしょうが……とても、王宮まで持って来られるものではございません」

「そうですの。『天才料理人』様の腕なら、クラーケンの身であっても魔法をかけたように美味しくしてくださると、思っていたのですが」

「お言葉ですが。俺は、食べられる食材を美味にすることはできても、食べられないものを食べられるようにすることは――」


 言いかけたところで、脇に控える男が口を挟んできた。いつものように緑のベストをかっちり着込んだ、神経質そうな男――「神の舌」たる毒見人レナートは、鋭い目を細めて俺を見据えた。


「鮮度が落ちないうちに、処理をしてはいかがですか」

「だからって三分じゃ無理がある。焼くにしても、まさかコンロを船に積むわけには――」

「マリネではいかがですか? 切って漬けるだけなら、時間はかからないでしょう」

「酢で腐敗が止まるかどうか、わからねえぞ。やってみねえことには」


 レナートは不敵に笑った。


「そう、やってみなければわからない。であれば、やってみる価値はあるでしょう。ほかならぬ王太子妃殿下のお望みなのですから」


 どう見ても、自分が毒見をしたがっている顔だった。



 ◆



 飛んでくる波の飛沫しぶきが、徐々に少なくなっていく。クラーケンの動きが緩慢になっていた。そろそろか。

 俺は樽の蓋を開けた。強い酢の匂いが、むわりと立ち籠める。今日のために作った、特製のマリネ液だ。

 基本はセオリー通りの酢と油、そこに塩胡椒を足したものだ。だが今回は、加えて数種のハーブが調合されている。ローズマリーやバジルをはじめ、腐敗を防ぐ効能のあるものが多数入っている……だがその分、食味との両立が難しい。酢と香料の微妙なバランスは、俺にしか調整できなかっただろう。

 とはいえ、すべては、ここに漬け込む中身あってこそ。


「クラーケン、動きを完全に停止! 直ちに解体作業に入ります!!」


 兵士の声が飛ぶ。船が、波間の白い山へ寄っていく。

 さて、ここからが勝負だ。俺は三分以内に、目の前の巨大な白塊を下処理せねばならない。全部は無理にせよ、できるかぎりの量を。

 包丁を手に、俺は叫んだ。


「野郎共、どんどん寄越せ! この天才料理人様が、端から捌いてやるからよ!!」


 兵士たちの大戦斧が、クラーケンの脚に次々振り下ろされる。戦場で敵の頭を狩るための刃が、今は巨大イカの解体に使われている。

 一本の足が切り出された。受け取るべく身を乗り出した瞬間、最前の兵士が叫んだ。


「総員、退避を! クラーケン、動いています!!」


 死んだはずのクラーケンが、頭をもたげていた。

 逃げようにも、接近しきった船はすぐに動けない。

 海魔の頭から、大量の黒が浴びせられた。



 ◆



「……と、いう次第でした」


 王宮へ戻った俺は、国王御一家を前に、すべての顛末を説明した。

 クラーケンの最期の一撃――撒き散らしたイカ墨で、船は真っ黒に染まった。船体も兵士も、もちろん俺も。蓋を開けていたマリネ液の樽も。

 だから、いま目の前に置かれた料理は真っ黒なのだ。


「幸いその後、クラーケンから続く攻撃はありませんでしたが……イカ墨まみれの中、三分で処理できたのは、結局これだけです」


 小さな白磁の皿に盛られた、真っ黒なマリネ四皿。それが、死闘で得られたすべてだった。

 付け合わせの、申し訳程度の玉葱と人参を別にすれば、乗っているのは泥炭の塊にしか見えない。汁も黒い。見た目は最悪だが、王太子妃殿下はやわらかく目尻を下げて微笑んだ。


「大変なご苦労をなさったのですね。それほどの労力をかけて調理したクラーケン……いかような味がするのでしょうね」


 御一家の視線が、一人の男に注がれた。

 四対の視線を受けつつ、毒見人レナートは薄く笑って一礼した。そうして、皿に手をつけた。

 俺の皿に毒が入っているなどと、思う者は誰もいないだろう。俺も含めた皆が待つものは、あいつの鋭い舌が、クラーケンの食味をどう判定するか、どう言葉にするか、それだけだ。


「……悪くありませんね」


 レナートは、わずかに表情をほころばせた。


「酢とオリーブ油の風味に混じって、香草の複雑な芳香が立ち上ってきます。この数の香料を、喧嘩させず美しいバランスでまとめあげられたのは、さすがの腕前です。イカの弾力ある食感と、よく調和していますよ」


 おお、と、国王御一家から歓声が上がる。

 四つの皿が、すぐさま尊い方々の前に運ばれた。レナートの味覚は「神の舌」と呼ばれるほどに鋭い。だから、毒見の後に時間を置く必要もない。心待ちにした料理をすぐに味わえる幸福を、御一家は大いに感じておられるように、俺の目には見えた。

 舌鼓を打つ国王夫妻と王太子夫妻に一礼し、レナートが退室する。その後を、俺は追った。



 ◆



 自室へ戻ろうとするレナートの背に、俺は声をかけた。振り向いた表情には、少し面倒そうな色がある。


「どうされました?」

「あの皿の、本当のところが知りたい」


 レナートは、ふふ、と軽く笑った。


「あの場で口にした通りですよ。イカの弾力と香草の匂い、よく調和していました。完成度の高い料理でしたよ」

「まあ、それはわかってるんだが」


 俺の作る料理だ、質の悪いものは出しちゃいねえ。だが、知りたいのはそこじゃなく。


「あんた、クラーケンの味について何も言ってなかったな?」


 あれだけ苦労して持ち帰った食材。「神の舌」の見立てでは、美味かったのか不味かったのか。せめて、そこだけは聞いておきたい。


「……普通のイカでしたよ。むしろ身体が大きい分、沿岸のイカよりも大味のように思いました」

「やっぱりなあ。俺もそう思ったぜ」


 予想通りではあった。

 古今東西、人間の食に対する情熱は強い。クラーケンの身が美味いのなら、どれだけ手を尽くしても、人はそいつを狩ろうとするだろう。それが、今までほったらかされてるってことは……まあそういうことだ。

 レナートの奴も、推測はしていただろう。だがおそらくは、古今東西の食材に対する興味が勝った。

 こいつの好奇心に乗せられたのは、多少なりとも腹が立つ。あの三分の死闘が、実質無駄骨に近かったのも悔しい。

 だが。


「でも、調理者の腕はきっちり認めたんだな。そこは喜んでおくぜ」


 大笑いしてみせれば、レナートはどこか呆れた表情で、微笑み返してくれた。



【了】

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蒼海の死闘! 天才料理人vs海魔クラーケン 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

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