空腹の中心でラーメンを叫ぶ
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空腹の中心でラーメンを叫ぶ
加藤
それは、目の前のカラーギャングを倒すことだ。
真之はカップラーメンを手に、5人の男達を見た。それと共に、なぜこんな状況になったのかを思い起こす。
◆
高校を卒業後、自宅警備員になった彼に定まった収入は無く、1円であっても無駄には出来ない。
現在の所持金は341円。
両親からの生活費の振込まであと3日。
つまり、3日間を341円で生き抜かなければならないということだ。サバイバビリティ能力のある彼であっても、3日間も絶食という訳にはいかない。
腹がへっている時程、食べ物に対する執着心というのは増していくものだ。
真之は、近場にあるスーパーマーケットに行って試食で乗り切ろうとするが、遠慮のない子供によって眼の前で次々と試食の品が平らげられていく様を見せられるだけだった。
その内に、厚切りチャーシューメガ盛りカップラーメン273円に目を奪われ、気がついた時には会計を済ませた後であった。
「残金68円じゃねえか!」
真之は、手元に残ったわずか68円で生きなければならないことに絶望を覚えつつも、胃袋は空腹によって苦しみ、このままでは自宅へと帰るのもままならない。
真之は手にしたカップラーメンを見る。
口の端からヨダレが垂れた。
「……食うしかないよな」
そう決めた後の真之の行動は早かった。
蓋を開け、粉末スープと具材を麺の上にぶちまけ、サービスで置かれている電気ポッドの湯を注ぐ。
スマホのタイマーを3分にセット。
後は食べるためのベストポジションを決めなければならない。なぜなら
店内で食べ始めて2%のお金を払う余裕は、今の真之にはない。
そこで真之は自分が悪意に包まれていることに気づいた。
それは勘だ。
予感、本能、ひらめき。いわゆる「勘」(gut feelings)を意味する表現はさまざまだが、要するに、意識推論をすることなく、瞬間的に物事を理解する能力のことだ。
言い換えれば、答えや解決策が頭に浮かぶのだ。
戦場では一瞬の判断が生死を分けることもある。
だからこそ、意識にすらのぼっていない先見の明が生死を分けることもある。
その勘に応えるように、赤いジャケットを着た茶髪男が真之に近づく。20代前半だろう。
「おい。テメーか、その先の通りで舎弟を可愛がってくれた奴ってのは」
態度と表情からして偉そうだとは思っていたが、口の利き方も偉そうだ。
真之は、つい20分程前のことを思い出す。
2人の赤いジャケットの男が中学生相手にカツアゲを行っているところを、割って入りボコボコにしたのだ。
「ペアルックの野郎か。お前も同じジャケットってことは、カラーギャングってことか」
真之は理解した。
カラーギャングとは、極彩色の服装などをしている集団のことだ。
各々のチームカラーを持ち、その構成員はチームカラーのバンダナや服、お揃いTシャツを着用、グループを誇示する。
「面を貸せ」
男は顎をシャクって、西口に誘導する。
真之は仕方が無いと思いつつ、
スープを溢さないよう慎重な足取りで移動するが、めくれた蓋から立ち上る香りは、暴力的なまでの破壊力を持って真之の食欲を刺激し続けた。香り立つ芳醇なスープの香り。鼻孔を刺激する小麦と野菜のハーモニーが織りなす風味が、口の中に唾液を湧き上がらせる。
たかがカップラーメンではあるが、今の真之には世界三大料理よりも贅沢な食事に思えた。
人の出入りの少ない西口からスーパーを出ると、そこには赤いジャケットを着た4人の男が待ち構えていた。
カラーギャングの男の一人は、左目に青あざが出来き、もう一人は鼻にティシュを詰め込んでいる。
見覚えのある顔は、先程の男達だからだ。
あえて顔にケガをさせたのは、敗北者であることを強く認識させるためだ。黙って歩くだけで自分だけでなく、周りにも弱者であることをアピールすることになる。それはそのまま、プライドを傷つける行為に繋がる。
真之は、2人のカラーギャングを成敗したことに後悔はない。
ただ、今のタイミングで、このグループに目をつけられるとは思わなかった。数は5人。
真之は人数と配置に目を配らせる。
「お礼参りか。相手してやるよ」
真之は鼻で笑いつつ、内心では焦っていた。
敵の人数に恐れをなしたのではない。
最高に、美味い状態で食べたいが為の焦りだった。
カップラーメンは計算された食品だ。
メーカー開発室では一般人で出来る範囲で、一般的に起こりえる状態を考える。3分間と決められているのは、それこそ何百回もの実証・改良試験を繰り返し行われた上での最終設定なのだ。
お湯を入れて、蓋をして、時間が経ったらめくって、スープと具材を混ぜて、食べ始める一連の動作も全て計算尽くで設定されている。それこそスープなどの小袋内面にわずかに残る出し残しの微量なロスまで計算し、その分多目に入れてあるのだ。
一秒でも蓋を捲るのが遅くなるということは許されない。
それを破るということは、カップラーメンに対する冒涜なのだ。
(タイムリミットは3分。いや、2分ってところか。無駄話をしている時間はない……)
真之は、左手でカップラーメンをアスファルトに置く。
「死ね!」
その隙を狙って、男の一人が、真之の右脚による蹴りを放つ。
しかし、 男の蹴りは空を切った。
素人の蹴りは、まず視線が先に動く。故に、蹴りの予備動作から蹴り終わりまでのわずかな時間で次の回避行動へと移行できる。
真之は男の左側に位置取りをすると、脾臓を左肘で打ち抜く。
脾臓は腹の左上、胃のうしろあたりにある臓器で血液中の古くなった赤血球を壊す働きをしているマイナーな臓器だ。握り拳大のスポンジのような臓器で打ち抜けば地獄の苦しみを長く与え続けるという拷問のような急所だ。
1人目。
仲間が倒されたことに対し、2人の男が襲いかかって来る。
その一人に対し、真之は回し蹴りを股間に対して決める。睾丸を蹴るには真下から蹴り上げる方法しか無いと思われるが、正面からつま先を使って蹴るという技もある。
睾丸は外部に露出している内蔵であり、多くの感覚神経が集中し少しの衝撃や刺激でも激しい痛みを感じる構造となっている。そこへの攻撃は、激しい痛みを引き起こし、一時的に戦闘不能にする。
2人目。
仲間がやられた隙に、真之の背後から1人が襲いかかって来る。目に青タンを作っている男だ。
真之は振り向き様に、男の足の甲目掛けて踵で踏み抜く。
足の甲には、くるぶしから下の部分から脛までをつなぐ筋肉や、多くの腱が存在している。ここにダメージを与えることで、相手の歩行や運動を封じることができるのだ。
一般的に、身長差・体格差があれば、筋力などの関係でどうしても小さいほうがパワーで劣る。
しかし、「踏む」という攻撃は身長差・体格差があまり関係ない。
女、子供であっても、踵による踏みつけは大の男でも痛みと苦しみを与えられる。
足の甲に激痛を感じた男は、体重をかけることが出来ず崩れ落ちる。
3人目。
真之の近くに居た男は、その姿を見て動きを止める。鼻にティッシュを詰め込んだ男だ。
それは恐れからだった。
動かなくなった者を戦場では、こう呼ぶ。
《
と。
滑る様な動きで、真之は的となった男に近づくと腰の回転を活かし、顔面に掌底を打ち込む。掌底は拳と比較するとリーチが短くなるが、手首を傷めにくく接近戦では拳以上の打撃技となる。
掌底を受けた男は、今度は鼻の軟骨が潰れ鼻血を滝の様に流して地に倒れる。
4人目。
残るは1人となる。
最後の一人はリーダー格と見られる者で、他とは若干風格が違う。体格が良く、骨太でケンカ慣れを感じられた。
男はポケットからバタフライナイフを取り出して真之に構える。
ナイフという凶器を見ても真之は表情を変えなかったことに、男は逆にビビってしまった。今までバタフライナイフをチラつかせれば、全員が青ざめながら、後退るのだ。
だが、目の前の男は平然とした様子でナイフを見ても冷静沈着であった。
(なんだこいつ!)
男は内心舌打ちをする。
「格闘技ができるようだが。これには、かなわねえだろ。切るぜ……」
男は真之を睨む。
「切れよ。俺のは格闘技じゃない、CQCだ。銃やナイフを持ち出されようと関係ない」
真之は自然に立ちながら、両足は肩幅に、片足を半歩前に踏み出し、やや半身になりファイティングポーズを決めた。
【CQC】
Close Quarters Combatの略称。
近距離での戦闘を指す言葉で主に個々の兵士が敵と接触、もしくは接触寸前の極めて近い距離に接近した状況を想定する。銃剣術や格闘のほかナイフや打撃武器、紐などありあわせの道具を武器とした技術に重点が置かれる。
対テロ戦では、突入後の戦闘時間は数分が限度とされる。そのような状況下では、つねに銃器の発砲だけで敵の排除ができるとは限らない。
緊急時には弾丸を浴びせるよりも、素手による攻撃が迅速かつ効果的な場合も多い。その為に近接戦闘用に考案された特殊な格闘術が作られることになった。
スポットライトを浴びるリングの上で行われる格闘技でもなく、心身を鍛え道を極め人格を育てる武道でもない。
数秒で敵を排除し殺傷する能力を要求されるのがCQCだ。
そこに華やかさはない。汚く戦って生き残り、相手を殺しさえすれば良い、殺される前に殺せというのが大原則となっている。
軍が最先端兵器を有し戦術上において機密事項があるように、高度なCQC技術も一般には公開されない程の秘伝や秘技があるのだ。
男はバタフライナイフで真之を切りつける。
素手で戦う時は切られないように用心することではなく、多少切られても当たり前だと覚悟しておくことだ。これで恐怖心は減少し、切られた瞬間にショック状態に陥る危険性も低下する。
真之は男のナイフに対し、前へと進み右側面に回り込む。凶器を持っていても本気で人間を殺す度胸もない男の動きなど、戦場を知っている真之にとって鼻で笑うようなものであった。
バタフライナイフを持つ男の腕を真之は右手で摑むと、自ら近づき男の右耳を歯で噛んだ。耳は体の部位の中でも薄く柔らかく比較的痛みが感じやすく、頭の近くにある為に、意識を痛み一点に集中させやすい。
そこから真之は、男の肝臓を膝で蹴り上げる。
男は目玉を剥く。
肝臓を囲っている筋膜には神経が無数に通っているため、肝臓に打撃が完璧に入ると一撃ダウンする。その痛みは鍛え抜かれたボクサーでさえ顔を歪めて悶える程だ。
5人目。
これで全員を無力化したことになる。
真之は周囲に目をやり、男達が反撃に来ないことを確認した。
その時、真之のスマホが3分を知らせるアラームを鳴らす。
「できた!」
真之は振り返る。
アラームを止めることすら厭わない。彼にとっては、そんなことはもうどうでもいい。早く食べるしかないのだから。
メガ盛りカップラーメンに近づく。余計なカロリーを消費したことで、空腹は限界に近づいていた。
できたならば、あとは一秒を争ってラーメンを食べなければならない。
真之はカップラーメンを持ち上げ――。
「あ……」
それは、ちょっとした失敗であった。
カップラーメンの底を支える中指が、滑ってしまったのだ。
真之の眼の前で、ラーメンがアスファルトの地面に吸い込まれていく。
そして、カップラーメンが、そこにぶち撒けられた。
真之は、空腹が絶頂の中でラーメンを叫んでいた。
空腹の中心でラーメンを叫ぶ kou @ms06fz0080
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