この映画、随一のギャグ要素
トマース神父「最後の告白から8ヶ月も経ってしまいました」(0:43:09)
告解(罪の告白、懺悔といえば聞いたことがあるだろう)をするシーンだ。
これを聞いてアモルト神父は思わず、最後の告白が八ヶ月も前!?と驚き聞き返してしまう。
告解はカトリックでは「ゆるしの秘跡」といい、秘跡とは大切な儀礼のことである。
ちなみに「罪の告白」はプロテスタントの言い回しであるが、わかりやすい表現であるし、動詞として活用されることはある。
ゆるしの秘跡を受けるためには、悔い改めと回心が不可欠で、そのうえで罪の告白と償いが必要になる。
秘跡を授けることができるのは、司教と司祭である。司教・司祭は告白を聴き、「父と子と聖霊のみ名によって」罪をゆるす権能を行使する。また聴罪司祭には守秘義務があり、告白によって知った罪についての完全な秘密を守るように義務づけられていて、これに背けば厳罰を科せられるのだ。
ちなみに、罪といっても「嘘をついてしまった」「こっそりへそくりを貯めて美味しいものを家族に内緒で食べた」のようなものもあるし、大罪と呼ばれるものもある。
話がそれたが、このアモルト神父の驚きはカトリックとして最もで、洗礼を受けた者(即ち信者)であるなら年に一回以上、司祭である者なら月に一回以上が望ましいとされているのだ。
その上、キリスト教には大きなイベントが年に2つある。
誕生祭であるクリスマス(12月)と復活祭であるイースター(4月)だ。
劇中の時期がクリスマスやイースターである様子がないことから、彼はこれらのイベントを跨いで告解をしていないのである。
お坊さんが盆や年末に御経を読まなかったようなものであるし、神主が正月や季節の行事で禊や祝詞をすっぽかしたようなものだ。
まさに驚いてしかるべきだし、言い淀んで「まあいい、とにかく続けよう」というアモルト神父は、告解であるかぎりトマースは悔い改めと回心が前提になっているのでなにも言えないし、告白と償いをする限り、文句などもっての外でゆるすよりないのだ。
故に、カトリックを知っているものにとっては、「そらそうなるわ、わかるわかる」とアモルト神父の反応に納得して笑ってしまうシーンである。
なんなら私はこの映画随一の名シーンであり最高に笑えるギャグシーンだと思っている。
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