舞台は1980年代のスペイン
ジュリア「エイミー、もうアメリカじゃないんだから服を考えて」(0:07:00)
舞台は1980年代のスペインである。
この時代のスペインは78年に信教の自由が認められ、故に国民のほとんどがカトリック教徒である。(2006年の統計調査ではいまだ80%がカトリック教徒)
対して70年代アメリカはテレビの影響でポピュリズム(既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えて、改革を目指す運動)が盛んであり、新興宗教の流行などの影響もあって宗教の影響は二極化し始めたころである。
アメリカから来たジュリア一家は母であるジュリアこそ、その年齢からカトリックの宗教的概念を肌で感じていたかもしれない。
しかし、娘であるエイミーはそんな時代のアメリカで育った少女だ。
自由を歌うアメリカで、しかも女性進出もし始めたばかり、かつ父親を亡くして一年と重なり、おまけに年齢的に反抗期の真っ最中である。
そんな彼女は肌の露出の多い服を好み、修道院についてからは作業員に煙草をもらう始末である。
昨今の日本でもある程度の年齢をいった人が言うような「肌の露出が多い服を着るのは襲ってくれといっているようなものだ」などというような感覚はこの時代にはどこの国でもあったが、キリスト教圏では特に、あまり過度な露出は控えたほうが好ましいという感覚がある。
今でも礼拝(いわゆるミサと呼ばれる集会、または教会で祈りを捧げる行為全般)において露出の多い服装やあまりにもラフな格好は祈りの場にふさわしくないというのはそうであるし、向かう先は廃墟同然で修繕中とはいえ修道院なわけである。
修道院とは修道女や修道者、キリスト教の信仰について修行を行う者が共同生活を送る場だ。
もちろん礼拝のための施設や道具だってある。
母、ジュリアからすれば、「教育がまともに行き届いているかわからないような作業員がいる場所にそんなに露出の多い格好で行くなんて」という気持ちもあっただろうし、ましてカトリックが多い作業者たちにしても「なんだ、この娘は」と思うだろう。ジュリアはそのことも危惧したことだろう。
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