第17話 災厄、冥府の獄卒に相みえる
衛士たちに背を向けたまま、ガラス片が散らばる床を静々と歩いていく。両側には、天井から落としたシャンデリアに使われているクリスタルガラスが山のように積み上がっていて狭い通路を作っている。
少しでも足を浮かせて歩けばガラス片を踏んでスッテンコロリンと転んでしまうだろうね。パーティファンを振るっている間は摺り足で足捌きをしているから、さして影響はないんだ。
衛士たちかやっと動き出したのか、喧騒が聞こえてくる。早く手当をしてやって欲しいものだよ。
そういえば、大立ち回りの繰り返しで気にするところじゃなかったけど、喉が渇いていたんだっけ。まあ、あれだけ動いていれば、うなづけるってものだよ。
と、ちらっと後ろをみて、気を失って倒れている衛士を他の衛士が運び出しているのが見えた。肩とか足とかを持ち上げて運んでいるのは良いのだけれど、濡れているからって足を引っ張り擦っていくのは頂けないなあ。
そうそう、人のことより自分のこと。
「アデル、なんか良いワインある?」
「白で良いですか? 姉上」
水蒸気爆発でテーブルの上の食材や酒なんか、吹き飛ばされたんだけど、奇跡的に残ったものがあるんだろう。
アデルが食べられそうな料理と一緒にかき集めているのを視界の端で捉えていたのだよ。さっき、喉を美わしたのは、その内の一本。赤ワインだったね。
「それでよいよ。で、他にも口に入れられるのないかな。空きっ腹にいきなり、酒じゃ体に悪いよ」
「仔羊のコトレットでどうでしょう?」
「流石だね。アデル。白ワインに合う肉料理がわかってるね」
コトレットは仔羊の肉を叩いて薄く伸ばしてパン粉をつけて油で揚げ焼きしたもの。デミグラスやウスターソースをかけて食べるんだ。これが白ワインに合うんだね。
多少欠けた皿の上にコトレットを乗せてアデルが渡してくれた。
持っていたパーティファンをスカートのポケットに戻して、それを受け取ると早速、指で掴んで口に入れた。
薄く伸ばされた肉は歯切れがも良くてサクサクした衣と口の中で良く合うんだ。かけられたデミグラスソースの濃厚な味わいも素晴らしい。いい仕事してる。
そしてワインを受け取るとコルク栓を抜いてボトルを傾けて、直接飲んでいくと柑橘系の果実香にミネラルも感じる、華やかでボリューム感のある香りが楽しめた。
衛士達と戦ってざわつく心を宥めてくれる。
口に含むと、丸みを帯びた果実味に広がる心地よい酸味。飲み切ってしまっても、わずかな苦味とミネラル感が余韻となっていく。そして活力として酒精が取り込まれていくんだ。すると、
「ゾフィー殿、こちらも如何ですか? 鴨肉だと思うのですが。かかっているのはパイナップルソースかな」
殿下、また私を敬称付きで呼ぶ。お食事の給仕ならメイドたる私の仕事。殿下がなさることではあるまいに。でも、お気持ちは頂いておきます。
あっさりとした鴨肉に酸味の強いパイナップルソース。そしてフルーティなワインでもって口に残るコトレットの油を喉に流してるしまう。
水分補給も終わり、ひと心地ついた。辺りの喧騒も静かになっている。そろそろ、次のラウンドの始まりかね。
「じゃあ、行ってくる。殿下、周りを見ていてくださいね。アデル、殿下を頼む」
「分かりました。お任せを」
「へいへい」
アデルの奴、いつも生返事なんだよな。でも、やる事は卒なくやるしな。今日のところは良しとしよう。
さてと、私は自分の手で頬を叩き、気合いを入れ直して、前を見据える。
向こうも仲間の引き取りを終えたようで、早速、次の衛士を送り出してきた。
「何、敵に絆されて相手に休む暇を与えておる。負けたもののことなど。どうでもよい。兎に角、押して押して押しまくれ、相手は1人なんだぞ」
衛士の後ろから公爵が喚いている。
分かってないなあ。戦場で怪我をして、見捨てられるって、どれほど悔しいのか。助けてもらえるって、どれほど心強いのかって。
「ともかく、あのクソ生意気な小娘に一太刀でも当てろ。褒美はなんでもやるぞ。賞金、地位、女。なんでもやると言っておるではないか。さあ、やれい!」
もう、なりふり構わずに喚いている。自分が何を言ったか分かっているのかな。
お前らは手駒だ。死んだって構わないって言ってるのと同じこと、どんだけ良い餌をぶら下げたって高が知れている。
さあ、どんな奴か来るかと見てみたんだけどー、
あれ?
及び腰というか、オドオドしている感じがするんだ。しかも、かなり若い。私より年下で弟のアドルと同じぐらいじゃないか。
ロングソードを両手で持ち横に構えて、ゆっくりと向かってくる。どうも、怖くて腰が引けてへっぴり腰になってるよ。
2人、縦に並んで向かってきてるけど、顔が恐怖に歪んでいる。
ちょっと待って。その恐怖の元って私! 曲がりなりにも乙女に、それは酷いんでないの。私は悪鬼羅刹か、魑魅魍魎かいな。
公爵の所の衛士って、人材不足かぁ。確かにさっきの水蒸気爆発の余波で怪我人が手出て、動ける人数が減ったてしても。こんな年若い、見習い騎士や従者を出してくるかぁ⁈
「うわあああああ」
そんな彼らが意を決して、目を見開きを喚声を上げて向かってきた。私は足を引いて半身になりポケットからパーティファンを取り出して青眼に構える。
おいおい、威勢よく走り込んでくるのは良いのだけれど目を瞑るなよ。相手は最後まで良く見ないといけないんだよ。
彼らは横手に持ったロングソードを振りかぶり大上段から振り落としでくる。私はファンを利き手の逆に持ち替えて、振り落とされる刃へ当て刀身を滑らせる。
シャラァーン
鈴がなるような音を立ててロングソードをいなした。
「相手を見ずに振り回すんじゃない」
あまりにも未熟なのが見ていられなくて、大声を出して叱責した。2人目も切先を切先を私に向けて突進してくるのはいいだけど、やはり目を瞑って来やがった、
「だから、言ってるでしょ。相手から視線を外すなって」
ファンの親骨で持ち手を叩き、ソードを取り落とさせる。そのまま、そいつの首根っこを掴むと体を開いて振り回し、先に突進してきたのに向けて放り投げた。2人はもつれ合って転倒する。
「次っ!」
私に叱咤されて、新たに年若い衛士達が次々と突進してきた。
私は、そいつらの悉くに、
小手が甘い、踏み込みが浅い。どこ見てるの。腰が入ってない。軽い軽い。威勢の良いのは口先だけかい。
彼らを罵倒してファンで頭を叩き、頬を叩き。小手を叩き、足をはらっていく。
なんか剣術指南の様相を呈して来た。
それとも、こんな情けない奴らをぶつけて、私の体力と気力を削ろうとしていっていうなら、なかなかの策士だね。そう来るなら、こっちだって、
「公爵! 閣下のところも人材不足と見られますね。こんなヒヨッコどもを私にけしかけて来るとは。ダメじゃないですか、未熟な輩を送り込むだなんて、先ほども、申したでしょ。ケチったことなんかするんじゃない。しみったれた事をすると公爵様の名が廃りますよ」
「うぬぬ、言わせておけば、小娘め。ぐぬぬっ」
「閣下のところでは衛士にどんな訓練しているんでしょうか。もしかして模擬剣でちゃんちゃんちゃんバラバラと、子供のお遊戯を教えているのではありませぬか」
公爵閣下へ悪口雑言、罵詈雑言をぶつけてやった。
公爵のザンバラ髪の上、湯気でも、たゆらせているんじゃないかと思うくらいサカヤキを真っ赤にして、悔しがっていた。してやったりかなぁ。
すると、怒りに肩を震わす公爵の後ろから1人の男がお出ましになる。
『そこまでにしていただこう。女狐』
女狐って酷いじゃないの! 私は他勢の前で怯える兎ちゃんなんですけど。
『どうも煙にまいて逃げるのか上手いからな』
全く失礼な奴ね。そう言い放つ男は銀色の髪を後ろに撫で付け、濃い眉の下から青い瞳で私を睨みつけて来る。公爵の頭が、その男の胸の辺りにある。かなりの上背だね。肩幅も広くて、厚い。
『まあ、そんなことはどうでいい。だが、聞きづてならない言葉を聞いたんでね。俺が、そこにいる奴らに剣をちっとばか教えてやってるんだ』
彼は掠れた声で私に話しかけて来ている。この声は喉が…………、そう喉が酒精に焼かれているんだ。夜の酒場の裏道なんかで聞いた濁声と同じなんだ。
「おおっ、サン・ジョルジュ殿。今までどちらにおられた」
公爵の顔が喜色に染まる。そして私を指して、
「あの口の減らない狸をなんとかししてください」
今度は狸! 言うに任せて狸なんて。私はあんな寸胴じゃない。見なさい! この引き締まったウエスト。思わずドレスのストマッカーをポンと叩いてしまった。でも愛嬌はあるっていうのは合ってるな。
だけど、サン・ジョルジュって、もしかして、
『もちろんだ。仮にも俺の徒弟といえる奴らを軽く遇らわれたんだ。それ相応の報いは受けてもらうつもりだ』
褐色の肌をした顔に裂け目に白い歯が覗く。薄い唇が弧を描き、不適な笑みを浮かべ。る。
「流石は、剣の鬼と呼ばれたサン・ジョルジュだ。なんとも頼もしい限りだ」
公爵は、よっぽど、気に入っているのか、彼のご機嫌をとっている。
やっぱり、そうか。サン・ジョルジュ。数多の戦場を剣を片手に暴れ回ったと言われる益荒男。苛烈ともいえる剣撃で鬼と言われていた。平時においても挑まれれば、情け容赦なく相手を返り討ちにして褐色のオーガとの異名を持っていたんだ。そんな男が、なんでんなところにいたんだろう。
「其方には、こう言う時の為に好きなだけの金も食事も酒も女も買い与えたんだ。今、ここで恩を返してもらおう」
よく見れば顎に無精髭が生えて、衛士服も着崩れているし、なんか煤けて見える。
もしかして行状が酷すぎて何処にも召し抱えられなくて、公爵に囲われ冷飯を食っているんじゃないのかな。
『まあ、いい酒を飲ませてもらっている分は働いてやるさ』
そう、言い放って彼は公爵の前に出る。やっぱり、そうだった。暫く、彼の噂を聞いていなかったけど、こんな所にいたんだ。
彼はゆっくりとこちらに歩を進めてくる。なんと、2本の剣を持っていたんだ。彼は二刀流だっけ。違う、確かロングソードが得物だって聞いたんだけどな。
そして、
『公爵閣下にはいろいろと都合をつけてもらっているんだ。多少なりとも返さなきゃいけないんでね』
白分でも立場が分かっているんだろう。唇をひん曲げている。笑っているつもりかね。
『多少は返さなきゃいけないんでね」
彼はシニカルに笑う。
『折角、目に眩しいほど真っ赤なドレスを着てクルクルと回ってんだから、城下のの酒場で踊れば御捻りでも貰えたろうに』
確かに、そうすれば小遣いの出しにはなるだろうて。
『俺の好みじゃないけどな、器量も良さそうじゃないか。少しは靡く男もいるかもしれないぜ』
褒めてもらえるのかしら。そうは聞こえないのよねぇ。自分自身じゃ、渓谷の美女とは言いませんが、なかなかの物だと思ってますよーだ。
『まあ、御痛が過ぎたんだ。お仕置きだよ』
先に殿下にちょっかいだしたのって、そっちなんだけど。何がお仕置きですかって。そんなの、ちゃんちゃらお可笑しいですょっと。
『痛みも感じねえぐらい、バッサリって言うのもいいんだけどな。刀も持たねえ、女子供に手を出すのは気が引ける』
流石、剣の鬼。腕に自信ありってか。だったら手加減の一つでもしてくれていいじゃない。
「だから、これをやる。受け取りな」
と言って彼は私に鞘に入った一本のブレードソードを投げてよこした。ガシャと音がして剣は地面に落とされた。
『これで掛かってきな。そうして俺に擦りでもしたら見逃してもいいぜ。さあ、来なよ。お嬢ちゃん』
ソードは、自分たちの得物じゃないか、大切に扱わないと、いざという時に言うこと聞いてくれないよ。
しっかし、見逃してもいいって、みんな言いやがって。言葉に絆されて助けてくれたって、あたしが又ぁ開くと思っているんかい。この男の顔がスケベそうに見えてきた。
『さあ、どうするのかい? お嬢さん』
彼は剣を投げて空いた手で自分の顎を摩っている。私が、これからどう動くかを楽しそうに見据えてきてる。こんな状況、年端も行かなきゃ、逃げ出すだろうし、少し知恵がついてきたら、ごめんなさい。私が悪ろうございました。助けてくださいって泣きながら抱きついて、体を任せるかもしれないけどな。私は違う。
「刃は剣を持つものの、魂と言えるものではなくて? 大事に扱わないと罰が当たると思いますわ」
彼と対峙して、私は初めて言葉を発した。一応、お嬢様って揶揄られたんだ。合わせてやるのも通りだね。
私は、彼から視線を外すことなく、落とされたソードに近づいて屈み、床に横たわったブレードソードを拾い上げる。そのまま、後ろに引き、鞘からソードを引き抜く。
ブレードソードはロングソードより長さが短い。片手剣で段平ともよく言われるんだよ。力のない、私みたいな女でも辛うじて振るうことができる重さになっているんだね。
『さあ、構えなよ。先手は、くれてやる。お嬢さん、掛かってきな』
一応、女ってことで、こちらを立ててくれた。実力差があり過ぎると見られて甘く見られていのだろうね。
先に攻め来させて返しに切り捨てたってことにでもするのかな。私は、それに乗ってみようと思う。
片足を引き半身になり片手で刀を持ち上げる。切先を無精髭に合わせて青眼に構える。
「ちったぁ、構えができてるか。いつでも良いから、来な」
言った途端、サン・ジョルジュの目つきが変わる。途端に、辺りは殺気に包まれる。
でも、彼はといえば片手でブレードードを掴み、力を抜いてダランと下げている。視線だけで辺りを緊張させるなんて剣の鬼と言われて当然だね。
私が構えて動かないようしているから、
「とは、言うもの、俺は、そんなに気が長い方じゃないんでね。そっちが来ないって言うなら、こっちから行くぜ」
と煽られてしまう。そして彼がソードの握り直した時に切先が微かに震えたのを見て、私は後足で床を踏み込み、青眼のまま走り込んでいった。
「やあああぁ」
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