第5話 厄災は飼豚と謁見す

 キャリッジが停止した。外から、御者と声、招待された賓客、その婦人方の談笑が聞こえてくる。


「アデル。降りるよ」

「へいへい」


 外から人の気配が消える。アデルが御者台を降りたようだ。

そして扉が開けられた。


「じゃあ、殿下…」

「先に私が降りようか」


 言うなり、殿下は立ち上がり、空いた扉を潜りタラップで降りて行く。


「あっ、殿下!」


 私は殿下の姿を追い、外を臨むと、先にキャリッジを降りた殿下が振り向いている。そして私に手を差し出し唇を微笑ませると、


「今宵、貴女のエスコートは私めが務めましょう」


   ドキン


 私の胸の中にある心の臓が跳ねた。

 あの、頼りげなく儚げだったのはどこに行った。さっきのダンスの時の手にキスといい、私の心をざわつかせやがって、いきなり成長したよ。それは認める。

 

 まあ、、私のおかげだとしたら少しは嬉しいけどね。


「では、今宵、私は殿下に、この身を預ければ宜しいのですね」


 なんか、悔しいから微笑み返してやった。

 殿下は一瞬惚けるとすぐに頬を赤くして、どことなく顔を向けた。

 少しだけ溜飲が下がったね。

 私は殿下に差し出された手をとり、扉から頭を出した。そしてタラップに足を掛けて下に降りて行く。そこで


「インベント、アペルタ<オドォル>」


 私の周りに張り巡らせた封印を解く。今まで閉じ込められていた花の香りが辺り一面に広がっていく。館の入り口に屯する者たちへ香りが届けられた。


「ホウっ」


 ざわめきが起こった。

 皆は、香りの芳醇さに驚き、どこから香ってくるかを探る。皆は気づいた。香りの中心にいるのが白いコートの貴公子にエスコートされて降りてくる白装束の乙女。それが馬車から降りているのを。あちこちで感嘆の声が上がっている。降りきって屋敷の入り口に入るまで視線に追われた。


「少し、やりすぎだったかなあ」


 私は頬をポリポリしながら、1人愚痴る。


「あれぐらいの方がインパクトがあっていいんじゃない」


 アデルが馬車から持ち出した衣装ケースを開けながら、言ってる。


「でも、満更でもなかったんじゃないの」

「バレたか」


 皆からの羨望の眼差しで見られる優越感。偶には、いいかもね。没落貴族のメイドもどきじゃ、そんな機会なんてないはずなんだからね。

 アデルが衣装ケースから、紙に包まれたものを取り出して私と殿下に手渡してきた。


「殿下は、こっちね」


 アデルが包装を解くと中からマスクが現れる。


  仮面舞踏会用のヴェネチアンマスク。


 殿下にはフルフェイス白一色の’無垢'をつけてもらう。顔につけて止め紐を後頭部でゆわえてもらった。

 アデルは、やはりフルフェイスのバタフライ、顔に蝶の羽風に加工したものがついている。

 私はハーフマスク、女性は棒付きタイプが多いのだけれど、ちゃんちゃんバラバラを予定している私には使えない。

 

 白で金糸で飾られているものにしたよ。ドレスの色と相まってウェディングドレスと間違われそうだ。そういえば殿下も白で統一されていたっけ。

 エントランスホールから大広間へ移って行く。途中の廊下の壁側に、甲冑が幾つか立ち、意匠の凝った槍とか剣が壁を飾っている。財力を見せびらかすコレクションだね。馬上で使う大剣もあった。振り回してみたい欲求も出てきた。


「レディ! 御手を」


 殿下が右手を差し出して手のひらを上に向ける。

 私は、その上から手を重ねた。踏みこごちの良い良質ななカーペットを敷いているエントランスホール、そして廊下を進んでいくと、大広間へと繋がっている。

 窓は全面ガラス張りになっている。壁にはタペストリーと絵画が多数飾られ。天井を支える柱も精緻な彫刻がなされ絵画はストーリーを紡ぎ出す。天井にも神と天使の一大叙事詩が一面に描かれていた。

 そこに掲げられた巨大なシャンデリアが魔法によって自ら輝き周囲を照らしている。

 キラキラといろんな方向から光が来るもだからか影があまり見えないんだ。

 その光のシャワーの下で様々な意匠がされたコートを着て、様々な刺繍に飾られたドレスを着ている男女が歓談し、笑い、ワインを呑み、お茶を嗜み、料理に舌鼓を打ってデザートやフルーツで頬を溶けさせている。

 また、音楽に合わせてポールダンスをしている人たちも大勢いた。

 その大広間の奥手に人だかりができている。着飾っている人たちが並んでいた。私たちも舞踏会到着の挨拶のために並んでいる。

 遠くから眺めると奥には長椅子に座っている何人かの人たちが見える。

 恰幅のいい体に豪奢な刺繍や宝飾品をこれでもかと縫い付けてある品性のない金持ち様様なコートを着ているのが当主のハロルド公爵マクミランだろう。やはり、金色の縁取りで宝石を、これでもかって載せたマスクをしている。

 フルーツタルトじゃないんだから辞めとけよなあ。

 隣に座る奥方もそう。ドレスの袖口や裾にまで派手な刺繍をして胸元のストマッカーも宝石で埋まっていて下布が見えない。財を見せびらかしている。

 それになんだい。盛って盛って盛って結い上げた髪には訳わからんもの刺しているし。どでかい花や緑色に輝く大きな尾羽まで刺さってるよ。

 首が折れやしないか、こっちが心配になる。旦那の方がなんか大口開けて笑いながら話をしてるよ。

 茶色くなってところどころ、虫食いみたくなっている歯を見せるんじゃない。息だって匂いそうだ。


「ん?  殿下。いいか」

「なんでしょう」


 殿下は私に体を寄せる。


「あの、派手な奥方の隣にいる方は誰? 公爵夫妻に比べておとなしいというかなんというか」


 そうなんだ。


 あの派手な奥方の影でひっそりと縮こまっているし、その方のとなりにはリネンが敷かれているバスケットが置いてある。中で何か動いている。

 手かな? すると赤ん坊か?


「あぁ、あの方はピザンナ様だよ。側にいるのはアーティ。僕の弟になる子だ」

「随分と、しおらしいのな。あの派手な奥方とは全然違う」

「ピザンナ様は優しい方だよ。辛かった時に、みんなから見えないところで励ましてくれたからね。すごく心強かったよ」


 そんな儚げな人たちを自分の欲望のために、利用するなんてな。物心つかない赤ん坊を王にすげるとは不逞の輩だよ。


「殿下、少し荒事のなりますが宜しいでしょか?」

「やってください。私にできることがあれば言ってほしい」


 それを聞いて私の唇が引き絞られた。多分笑っているはず。

 昨晩は恐くて1人では寝られないと言っていた殿下が一端の言葉を吐くようになったんだ。嬉しくなったってバチは当たらない。


「言いましたねぇ。では大事なお役があります。殿下のことは、私が全身全霊を持って、守ります。ともに戦って頂けますでしょうか」

「返事は、もう伝えてあります。是非も無し」


   キュン


 胸の中がときめいた。真剣な眼差しで、見つめてきた。真剣な物言いで私を肯定する。

 私は、思わず彼の頭を掻き抱いていたよ。ドレス越しに彼の頭が私の胸を押しつぶす。だけど、自分の感動を伝えたいがため更に抱きしめたよ。


「ゾフィー。くるっ、苦しい。力を緩めてくれないか。苦しいよ」

「ダメです。、もう少しこのまま、このまま居させてください」


 衆人が見てる。そんな関係無い。私は感動してるんだ、それを糧にやってやるぜって気分が高ぶる。彼の頭を抱きしめながら。耳元の唇を近づけて、


「……… 」


 彼は、私の抱擁を引き離すと、


「そんな事で、よいのですか」


 拍子抜けた感じだった。


「はい、そうして頂けるだけで宜しいです」

「あい、承知した」


 舞踏会で主催である公爵への挨拶が行われている。ひと組ひと組と挨拶を終わり、私たちは、公爵たちへと近づいていく。そして、とうとう私たちの番になった。


 公爵へと相対し、ドレスの裾を持ち左右に広げ、片足を下げ膝を下ろしカーテシーを決めた。殿下もボーイング・スクラップピング。


「今宵、閣下にはご機嫌麗しく、執着至極に存じ奉りまする」


 私が口上を述べる。


「おお、そなたか。我が庭園に舞い降りた、白き花の香りの乙女がおると聞いたおるぞ」

「そのような呼び名、畏れ多き事でございます」

「今宵、我は吉報を待っておる。それを齎すのは、そなた白き花の乙女であるまいか」

「お褒めの言葉を賜り、恐悦至極に存じます」


 私は目礼を返した。公爵は、ご満悦な様子。こいつが殿下を亡き者にしようと画策した張本人。今に見てろよ、吠えずらかかせてやると心に決めた。

 ふとして視線を感じた。目で視線を追った先にいたのはピザンナ様。

 私たちを見ていた彼女の顔が恐怖に歪み、その喉から、


「ひぃ」


 悲鳴が漏れる。

「どうしたピサンナ。皆の前なのだぞ。失礼ではないか」


 公爵は慌てている。娘であろうと臣下の面前で、悲鳴を漏らすなど失礼以外何者ではない。

 しかし、彼女は恐怖に慄き、言葉を話すこともできずに、フルフルと首を揺らすのみだった。

 実は、殿下には、私が口上を奏上している時にマスクを外すように話をしていたんだ。ピサンナ様は彼の素顔を知っている。彼女は殿下とは、よく接触してきたんだろう。

 ブロンドの髪から覗く碧眼。直ぐに殿下とわかったに違いない。直接には王子暗殺には関わっていないとしても、公爵から、この仮面舞踏会の意味を聞いていたんじゃないか。


「ええい、娘が失礼を。其方らにはすまぬ事をした」


 そして公爵は侍従を呼び、耳打ちをしている。そのうちにレディーズメイドが現れて、ピサンナ様を抱えるように立ち上がらせて、奥へと連れていってしまった。


「汝らは、ごゆるりと楽しんでいかれよ。ささやかながら食事も用意しておる。酒もある。ダンスなども楽しんでいかがかな」

「丁寧な御配慮、痛み入ります。閣下のご厚意には甘えさせていただきますゆえ、これにて」


 私たちは返礼をする。ドレスの裾を持ちカーテシー、殿下とアデルはボーイング・スクラップピングで。

 そして体の向きを変えて、公爵の前を退いていく。すると背中の方から、コソコソと何やらが耳の中をくすぐる。視界の端に侍従が公爵に駆け寄るのが視界に紛れ込む。

 それを横目に、私は囁くように


「インベント<アウスクルタティオ>」

  

  盗み聞き魔法を使った。


「閣下、ピザンナ様が、彼の者が殿下ではないかと申されております」


 これなら微かな音でも、聞き分けることができる。2人の会話が聞こえる。


「なんだと、そんなことがあるはずがない。彼奴は、既に…。だれぞに見に行かせろ。ピザンナも落ち着き次第、ここに戻せ。見分させる。急げ」

「閣下、いっそのこと彼の者たちを…」

「なんだと…」


 公爵の頭の中でいろんな考えが嵐となっているだろうて。

そして、


「白き香りの乙女よ。暫し待たれよ」


 背中から、公爵に呼び止められる。ははぁーん。こっちを疑ってきやがったな。でもね。それは、こっちの目論見通り、


「なんでありましょうや? 閣下」


 私は、振り返る。顔に笑顔を貼り付けた。心内ではほくそ笑んでいる。

 公爵の喉が何かを嚥下したように動く。


 私はどんな顔をしていたのだろう。公爵は喉から手が出る表情晒していた。直ぐに正気に戻って、


「乙女よ、お主の側におる白きコートを羽織るものは誰か?」


 早速、こちらの誘いに引っ掛かった。


「私くしを、呼ばれたのではありませんのね。残念なこと」


 一応、自分のことではないと気落ちした表情をしておく。


「勘違いするでない。そちには後ほど使いのものを寄こす。今はそちらの若き男のことだ」


 私は、すぐ様、微笑みを顔に貼り付けて、呼ばれることに喜んでいる小娘の顔をした。


「まあ、残念。はて、この者でしたね。ククルス・ハンフリー・ランカスターと申します。社交に出る前に雰囲気に慣れたいと付いて参りました」


 名前は偽名だ。一応、私のバイエルン家の家門に連なる名前なのだけれど、

「もしや、ルイ殿下ではあるまいかと言うものがおってな」


 私は、スカートのスリットにあるポケットからパーティファンを取り出し半分展開して口元を隠した。表情を悟られ辛くなるし、目上のものに大口開けて喋ることはレディの嗜みに反してしまう。

「よく言われます。金髪に碧眼でしょ。間違われることも多分に。マスクを取れば殿下とは比べるまでもない間抜け顔。別人にございます」

「しかしだな」

「当人にとって、自分の顔を晒して、皆に殿下と似ても似つかずと笑われたりなどすれば、社交に出ることも出来なくなりますゆえ、マスクを外すのはご遠慮させて頂きとう御座います。伏してお願いするものであります」

 私は、片手でスカートの裾を掴み、頭を軽く下げる。薄く微笑んで。

 

殿下すみません。卑下することを言ってしまいました。後でいかようにも叱責を受けますのでご容赦を。


 公爵の喉が再び動く。

頭を下げた時に、にやけた唇見られたのかな。ファンで隠したんだけどなあ。


「あい、わかった。引き止めて、すまなかった。若者の芽を摘むわけにはいかんからな。まあ、今宵は楽しまれよ」

「はい、あり難き幸せに存じます」


 ファンを下げて、笑みを公爵に見せてやった。


 三度、公爵は嚥下する。


 

 なんとか、乗り切れたようだ。安堵が微笑みを深くする。よっぽど艶っぽく見えたんだろう。このスケベ爺いめ。



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