第3話  災厄は舌なめずりで刃を磨く

 空が白み始めてきた。昨日のことをを思い出して、頬が熱くなっていく。




 くそっ! 絆されたとはいえ、ああなるなんてな。


 


 相手は、まだ私の胸にしがみついたまま寝ている。ブランケットを剥がすと、まだ幼なさの残す顔が目を閉じている。


 ついには、




 可愛いじゃないか




 って思ってしまう。焼きが回るには早すぎるよな。悔しくて、こいつの鼻を摘んでしまう。苦しそうに顰めた顔を見て、溜飲を下げた。


 相手が起きないように、そっと私の体に回された腕を外しベットから滑り降りる。離れる前に振り向いて殿下の顔を覗いてしまう。


 私の口角が上がっているのに気づいた。自分でも驚いた。私にもこんな性癖があるんだって。


 身支度が終わる頃には日も登って、周りが明るくなりだす。




「インベント。セット・<イグニス>」




 厨房へ行き、釜にある薪に魔法で火を起こし、湯を沸かす準備を始めた。後は客間で寝こけているアデルを叩き起こして火の番をさせてやり、私は共同井戸に水汲みに行く。辺りの屋敷のメイドたちが集まって賑やかなんだ。色々と噂話も聞くことができる。


 やれ、浮気だ、ざまあっだの、醜聞もだ。止ん事無き殿方様、メイドの口に戸板は建てられないですよ。前に聞いたことも確定することができた。桶に水を汲んで帰ることにする。




 さあ、始めますか。




 頬を軽く叩き、自分に喝を入れる。昨日の夜の片付けもあるんだし、忙しい1日なりそうだ。


 玄関ホールの床に散乱した壺やビンテージ物の額縁のなれの果てをひととこに集める。


 この屋敷の主人が必死になって集めた物だったのだろう。アハト卿ハイランドは、その前にひざまづいて無言で眺めている。目には涙が見えたんだ。気落ちしているところに悪いとは思ったんだけど、




「旦那様。キャリッジの供出をお願いできますでしょうか。殿下を今宵、お連れしたいところがありますゆえ」


「出すのはやぶさかではないのですよ。でも壊れずに戻ってくるのでありましょうか」




 アハト卿は、私のほう見ずに言う。肩も震えているようだし、どうなるのか想像しているのだろう。




「旦那様、さる御方のお屋敷に行くだけですよ。どうこうなる物ではありません」




「それをどうにかしちゃうのが貴女でしょ」




 と、ぶつぶつと口から溢しながら、私に向かってしっしっと手を振る。借りていいってことだと判断して、謝意のつもりでアハト卿の背中へカーテーシーをする。


 屋敷の裏手に廻って廐舎から男爵家の栗毛の馬を連れてきて、ガレージから出した小柄なキャリッジに繋げる。


 この馬車も男爵家の紋すら無い質素な物だ。でも頑丈に、出来ていた。サスペンションも、ついているから乗り心地は良いのだろう。




「殿下とアデルは中へ」




 2人が乗り込みやすいようにタラップも用意しておく。私は、御者台へ座り手綱を取った。







「ゾフィー、貴女は馬車も御することができるのですね?」




 キャリッジの窓を開けて、殿下が驚いている。


 そりゃあ、肩書きは伯爵令嬢ですが、中身は、ハウスメイドに奴した没落貴族。なんだって出来なきゃ食べていけません。私にしろ弟のアデルも、まあ、ウチの事情で小さい頃から、叩き込まれていますがね。




「これから、どこへ行くのかい?」




 殿下が心配そうに聞いてくる。




「アデル、教えてやって」




 アデルには、キャリッジのドアと窓を閉めさせてから、殿下へ行き先を教えるように話をしてある。どこで間者が聞き耳を立てているかわからないからね。先回りして待ち伏せでもされたら堪らない。




  バシンッ




 手綱を鳴らし、栗毛の馬が馬車を引く。馬齢は高いと聞いているから速度もゆっくりとしている。下級貴族の邸宅が集まる通りを抜けていく。


 すると道路の敷設状況も変わっていった。鳴らされて車輪の音が小さくなり、振動も少ない。そこは伯爵家以上の邸宅が並ぶ上級貴族の区画になっている。通りの側は、生垣だったり、アイアンワークスの鉄柵だったりがマナーハウスやカントリーハウスを囲い、タウンハウスが軒を重ねている通りもあったりした、




 私たちは、その一角のこぢんまりしたキャっスルの敷地へ入っていった。玄関前にキャリッジを止めると、既にスチュアードとハウスキーパーが私たちの出迎えに立っている。




「おかえりなさいませ。お嬢様。突然のご帰宅、何ぞお有りでしたか?」




 スチュアードのパーカーが丁寧に叩頭する。


 そして姿勢を正すと御者台にいる私に手を差し出してくる。わたしは彼の手を取り、それを頼りに御者台を降りた。




「キャビンにアデルとお客様がいらっしゃるから、客間にお通ししてあげて」


「了解いたしました」




 パーカーへは手短に依頼を伝えていく。側から見ていると知らない人が見れば異様な光景だろうね。ロングドレスにピナフォアを着た若いメイドに初老のスチュアードが傅いているんだ。メイドは笑顔を浮かべ、男も和かに受け答えをしているんだよ。




 しまったね。




 それなりの服装に変えればよかったな。そうしているとパーカーはキャリッジのトランクからタラップ取り出して、キャビンのドアの下に用意をした。


 するとドアが開いてアデルが顔を出す。




「ただいまパーカー、だだいまマーサ」


「「お帰りなさいませ。お坊ちゃま」」




 アデルは出迎えた2人に軽く挨拶を伝えると、返事を聞きつつキャビンから地面に飛び降りた。




 折角、パーカーが用意してくれたのに、何故に使わない! 


 


 しかし、すぐに理由が解けた。アデルは降りる時には使わなかったタラップを登って、扉の開いたキャビンに手を差し入れた。そして中にいたであろう殿下の手を引き出した。




「では、殿下。私めが支えております。安心して降りられませ」




 キャビンからアデルに導かれ、ローブを羽織った人物が顔をだした。そして、足元のパンプスがタラップを、踏み締め、キャリッジを降りていく。




「ここは、どこだい?」




 降りきったところで傍に立つアデルに殿下は、聞いた。するとアデルは、フードを覗き込み、ヒソヒソと説明をした。すると、殿下は、ローブのフードを剥ぐ。


 中から、朝日に照らされて、輝くようなブロンドの髪が現れる。




「ここがバイエルン邸なのだな」




「はい、私とアデルの塒になります」




 殿下は、左右に頭を動かして、その鮮やかな碧眼でキャッスル様式の建物を観察しだした。




「こじんまりしてるでしょ、ここ」




 私は、自虐的な言葉を吐いていく。




「そうでもないよ。庭も小さいながら整えられているし、掃除も行き届いてる。壁や屋根なんかもしっかり手入れされているんだ。立派なもんだよ」




 殿下も嬉しいことを言ってくれる。実際、手入れしているパーカなんか、頭を下げて肩が震えているよ。殿下のお褒めがよほど嬉しいんだね。その景色を見ている私まで嬉しくなってくるよ。




「アデルは、殿下をサロンへ案内して。パーカーは、ティーの準備を、おもてなしお願いね」




 2人に指示を出していく。本来なら、この家の主人が行うべきものであれど、この場は私が采配する。そこにマーサが近づいてくる。




「お嬢様。突然のご帰宅、甘っさえ男づれとは、何事かと勘ぐりたくなります。昨夜の戯れの続きでもするのかと」




「マーサ!」


 同じブランケットに包まったっけ。




「見目の良い、若い燕のように見えましたので」




「マーサ!!」


 あんな仔犬みたいな円らな目で縋られちゃね。




「すでに若穂は刈られたと」




「マーサ!!!」


 いやっ、私が果てたよ。




「ホホホホホ、冗談ですよ」




「マーサ!!!]


 なんか見透かされてる。




 そういうと、彼女の雰囲気が変わった。




「あの殿方は第一王子であられますね」


「そう、ルイ・フェルディナンド・ハーノファー」




 昨夜の騒動のうちから素性は割れている。で、有力な門閥貴族をバックに持つ側姫から狙われているんだ。




「揉め事から逃げるところを無くして、ハイランドのところへ庇護を求めにきたって訳だね」


「アハト男爵ですね、そこに偶々、メイドに窶したお嬢様がいらっしゃったという訳なのですか」


「そういうことだね」




 マーサは両の手を広げる。




「お嬢様がいたことが運が良いのか。将又、悪いのか。難しいところでございますね」


「マーサ⁈」




 何が言いたい?




「ふんっ。でっ、マーサ。ドレスを着たい。用意できるか?」




 それを聞いてマーサの口が空いたまま閉じない。




「まあー、まぁー、まあー、姫様がパーティドレスを着なさると」




 目を見開き、驚きの顔で彼女は、感動している。




「天国の奥様もさぞかし,お喜びでしょうに。嫌がってデビュタントもされなかったお嬢様が」


「いや,まだ生きているから。今、この場にいないのだって親父と一緒に遊びにいっているだけだから」




 勝手にウチの母を殺さないでおくれよ。まあ、マーサも、それだけ仰天なことだったんだろうよ。




「あっ、そうでしたね」




 そう、しれっと言わないくれるかなあ。まっ、いいけど。




「ドレスは、バーミリオンNo.5で行く」




 マーサの目が見開かれる。そして、すぐさま細められると




「剣呑な、お話ですね。………わかりました。用意いたしましょう」




 彼女は神妙に答えた。




「ところでマーサ。もうひとつ頼まれてくれるか?」


「はい、何用でも」




 マーサは何ごとでもないように、頭を下げて返事をしてくる。




「ハロルド公爵一門に知り合いはいるの?」


「オラニエ卿の奥方なら、多少の親交がありますが、他はちょっと」




 その家なら私も知っている。子供も成人して悠々自適に暮らしているはずだ




「あそこなら、いいかもな」


「どう為されますか?」




 マーサが訝しげに聞いてきた。




「今宵、公爵邸で行われるパーティの招待状を所望するわ」




 そう、今晩ハロルド公爵邸で舞踏会があるんだ。




 近隣のメイドが集まる水汲み井戸での四方山話のの中で聞き及んだことなんだよ。言っただろ、メイドのお喋りに戸板は立てられないって。




「小耳に挟んだのよ。公爵のお屋敷でパーティがあるって、一門全てに招待状が配られているはずね」




 私の口角が上がる。さぞ、怪しく見えるだろうて。




「それで馳せ参じるの。お誂え向きにマスカレード! 仮面舞踏会よ」

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