第45話 王都の春

 療養所の横にあるミモザの木に花が咲いた。銀緑の葉に黄色の砂糖菓子を散りばめたみたいだ。空気はまだ冷たいけれど、季節は確実に春に近付いている。ミモザの花は風に揺れながら、そう俺達に告げているようだ。ふんわりとした、爽やかな香りと共に。


 最後の重傷者だった少年が、母に手を引かれて家に帰っていくのを見送る。母親は何度も振り返り、俺達に頭を下げる。少年は飛び跳ねるように歩きながら、手を振った。


 入れ違いに、青鹿毛の馬に乗ったフレイヤ様が駈けて来た。馬は少し大きくなり、体毛の黒みを一層濃くしている。フレイヤ様も少し背が伸び、難なく漆黒の馬を乗りこなしている。頭の両脇に結った髪が、馬のたてがみと同調するように揺れている。


 彼女は毎日こうやって、町中を視察して回っている。お陰で王都は隅々まで清潔で美しく整えられている。


 人々はフレイヤ様のことを、「青鹿毛の天使」と呼ぶ。尊敬と愛を込めて。


 フレイヤ様は俺達の所に辿り着くと、さっと馬を下りた。馬に乗る時はいつも、裾を絞った膨らんだズボンを履いている。腰をコルセットで絞っているところがおしゃれのポイントらしい。海賊のズボンと似ているから「フレイヤ様のパイレーツパンツ」って呼ばれていて、真似する女性が増えているそうだ。フレイヤ様はファッションリーダーでもあり、髪型や服装は女性達の注目の的なんだ。


 馬の鼻先をポンポンと撫でてから、フレイヤ様が振り返る。


「さっきの子が、最後の患者さん?」

「ええ、そうです」

「げんき、げんき」


 頷いた俺の横で、ジローがニコニコ笑って頷く。フレイヤ様は、ジローに微笑みかけた。


「言葉が上達したわね、ジロー」


 褒められたジローは、嬉しそうに尻尾をパタパタと振った。


朱殷熱レグアの患者さんがいなくなったら、タイラーはどうするの?」

 

 思わぬ問いかけに俺は目を見開いた。フレイヤ様は悪戯を考えているような顔をしている。


「良かったら、宮廷付きのメディシアンにならない? うちのヒーリアン、ヤブだから」

「宮廷付きのメディシアンって……」

「王宮専属のメディシアンよ。王宮に住めば食事も美味しいし、書物も沢山読めるわよ」


 『美味しい食事』と聞いてジローの腹が鳴り、慌てて腹筋に手を置いた。俺は肘でジローの腹を突いてから、フレイヤ様に頭を下げる。


「折角の申し出なのですが、お断りします。俺、ゴンザ師匠に正式に弟子入りし、医術をしっかり学ぶと決めました。夏になれば、少なからず朱殷熱レグアの患者さんが現われるでしょうし。……でも、書物は魅力的ですね。時々読みに伺うことを許して頂けたら……」


 フレイヤ様は、軽く肩を竦めた。


「やっぱりね、そう言うと思った。お父様にタイラーをスカウトするように頼まれたんだけど、結果は期待しないでねって言ってあるの。第一、国に一人しかいないメディシアンを独占しようなんて、あつかましいのよ。書物の件は、話を通しておくわ。王宮に来た時に美味しいスイーツを作っくれるならね」


 人差し指を立て、片目を閉じるフレイヤ様。その仕草がチャーミングで、俺の顔が熱くなった。俺の顔を見たフレイヤ様が目を見開く。


「やだ、顔が真っ赤よ。朱殷熱レグアがうつったんじゃないでしょうね?」

「ち、違います。ちゃんと口布をして手を洗っていますから」


 慌てて手を振る。フレイヤ様はクスクスと笑った。


 風に乗って、クロウタドリの鳴き声が聞こえてくる。横笛のように美しいさえずりだ。振り仰ぐと、ミモザの花影に黒い小鳥が隠れていた。


 ブルル、とフレイヤ様の馬が首を振る。少し遅れて、蹄の音が響いた。坂道の上に灰色の馬が現われる。芦毛の背に乗っているのは、恰幅の良い婦人だった。しばらく後、その後ろにハイドがいて、彼が馬を操っていると分かった。目が見えないのに、馬にも乗れるんだ。凄いなハイド。


 ハイドは軽々と馬を下り、婦人に手を貸した。「どっこらしょ」と声を上げて婦人が馬を下りる。銀色の糸で刺繍を施した緑色のドレスを着て、頭にはジプシーみたいに赤いスカーフを巻いている。


 スカーフの下には短く切った緑色の髪が隠れていて、瞳はスカーフと同じスカーレッド。スパの女将の魔人だ。名前は確か、エスカだったかな。彼女は俺を見て、ニコニコと微笑んだ。


「久しぶりだね、メディシアンのタイラー。逞しい男の子になったね」

「お久しぶりです、エスカさん。王都までお呼び立てしてすいません」

「本当だよ。これはたんまりと出張料金を頂かないとね」


 膨らんだお腹をポンと叩いて、エスカは笑った。

 

「料金は、いくらでもお支払いいたします。私は王女フレイヤ。王都まで来て下さってありがとう」


 ドレスならば裾を広げてお辞儀をするんだろうけど、ズボンを履いているフレイヤ様は騎士のように腰を折った。エスカは目を白黒させて口もぽかんと開け、礼を返すのを忘れてしまっている。


 ハイドがクスクスと笑った。


「ついでにルーロに会ってきたよ。土産にお乳を樽一杯くれた。小言と一緒にね」


 馬に括り付けられた樽を地面に下ろしながらハイドが言う。ジローが駆け寄ってそれを手伝った。俺は首を傾げる。


「小言? ハイドに?」

「そうだよ。君をあんまり魔族に近付けないようにってね。そんなことは、土台無理な話だよね。君とジローは、否が応でも魔族と人間の争いで矢面に立たされるんだから」


「え……。それって、どういう……」


 ハイドは肩を竦めながら、首を横に振る。


「詳しくはよく分からないけど。すでに大きな渦に巻き込まれているのは、間違いないみたいだよ」


 背筋を冷たい汗が伝う。ジローが不安げに耳を下げ、フレイヤ様が眉間に皺を寄せた。


 冷たい空気を、クロウタドリの声が揺らしている。その声の方へ顎を向けたハイドは、小さく声を上げて目を開いた。


 白い濁りに隠れた赤い瞳は、空中の何かを見定めるように微かに揺れる。クロウタドリはさえずり続け、風がミモザの花を揺らす。


 やがてハイドは口元に笑みを浮かべ、目を閉じた。クロウタドリのさえずりに背を向け、フレイヤ様に顔を向ける。


「ずっと遠い未来。そうだね、もう僕らがいなくなった時代では、フレイヤ様は『レンヴット史上もっとも勇敢な君主』と呼ばれてるらしいよ」

「レンヴット史上もっとも勇敢な君主……」


 鸚鵡返しにフレイヤ様が呟く。風が金糸のような髪を揺らす。


 フレイヤ様は、視線を空に向けた。


「先の事なんて、知らなくていいわ。自分のいない場所で自分がどのように呼ばれるのかなんて、興味はないの。私は王女として、この国を良い方向へ導くことだけを、考えるわ」


 俺はその言葉を胸にしっかりと刻み、頷いた。


「俺もです。俺は医術を学び、一人でも多くの命を助ける。それだけを、考えます」

「あうう」


 ジローも何かを決意したようだけど、それが何かはよく分からない。ただ一つ言えるのは、何があっても俺とジローは絶対に離れないって言う事だ。


 クロウタドリがミモザの花を揺らし、空に飛び立った。美しいさえずりを残して。



 〈了〉


》》》


 ここまで読んでくださってありがとうございました。「半人前のメディシアンと破天荒な王女」は完結となりますが、メディシアンシリーズはまだまだ続きます。次作では、発明家の魔人が登場する予定です。次作連載までしばらくお時間を頂きますが、どうぞよろしくお願いいたします。


 後書きは、近況ノートに記します。

https://kakuyomu.jp/users/holyayame/news/16818093075343323244

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半人前のメディシアンと破天荒な王女 堀井菖蒲 @holyayame

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