第二章「伴侶」 第17話

「お姉様! よくおいでくださいました」

 ハーバス子爵の屋敷に到着して馬車を降りた私は、一人の美少女に抱きしめられていた。

 彼女の名前は、ジゼル・ハーバス。私の親友で一歳年下の幼馴染みなのだけど、身長は彼女の方が一〇センチ以上高く、女性らしい体つきという点にいても大きな違いがある。

 年齢を考えると、この差は今後広がりこそすれ、縮むことはないのだろう。

 それに不満はないけれど、ジゼルのお姉様っぽくなれないことだけは、少し残念かもしれない。

「久し振り、ジゼル。元気そうだね?」

「はい、おかげさまで。お姉様もお元気そうで……。良かった……」

 ホッと安堵の息を吐いたジゼルは私から身体を離し、改めて私たちを見て小首を傾げた。

「アーシェさんもお久し振りです。そちらがお手紙にあったミカゲさんで――お姉様、後ろの素敵な方は……? お目にかかったことはありませんよね?」

 ジゼルが視線で示すのは、私たちの後ろに立つラルフ。

 彼を客観的に見ると、確かに格好いいけど……ジゼルはこういうのがタイプなのかな?

「うん。彼はアーシェの兄で私の護衛だね。ラルフ、挨拶を」

 私が促すとラルフは姿勢を正し、微笑みと共に思った以上に綺麗な所作で一礼した。

「お初にお目にかかります、ジゼル・ハーバス様。ラルフ・グラバーと申します」

「まぁ。アーシェさんのお兄さん……」

 イケメンが浮かべた柔らかな笑みで、ジゼルが微かに頬を染める。

 なるほど。私のようにれていない、初心うぶな少女にはちょっと毒かもしれない。でも――

「私と会った時より丁寧なような? ラルフって、あんなこともできたんだね」

「お嬢様もご存じの通り、グラバー家は貴族に仕えるメイドや執事を輩出する家ですからねぇ。兄さんもそれなりにしつけはされているんですよ。ほとんど生かしていませんけど」

 アーシェはそう言って残念そうにため息をつくが、ラルフは小さく笑って肩を竦めた。

「いいんだよ。俺は。傭兵をやってる方が性に合うんだから。それよりルミお嬢様、ここまで来たら護衛は不要だろう? ルミお嬢様がここに滞在する間、俺は町の方に宿を――」

 どうやらまだ諦めていなかったようだが、その言葉を遮るようにジゼルが声を上げる。

「まぁ! そんなこと仰らず、お姉様方共々、当家にご逗留とうりゅうください」

「い、いえ、私は平民の身。子爵様のお屋敷でお世話になるわけには……」

 面倒だから泊まりたくない、というのが本音なのだろうけど、善意のジゼルにそれを言えるはずもない――というか、言ったらアーシェが、そして私も許さない。

 それを解っているだろうラルフは遠回しに断るものの、ジゼルは笑顔で首を振る。

「アーシェさんのお兄さんなら、何の問題もありませんわ!」

「兄さん、ジゼル様のご厚意を無下にするつもりですか?」

 ここしばらくで理解したのだけど、ラルフは基本的にアーシェに弱い。

 ジゼルに加え、そんなアーシェにまで言われ、ラルフは諦めたように小さく肩を落とした。

「……ご厚情に感謝致します」

「いいえ。お気になさらないでください」

 ジゼルが浮かべるのは、裏のない微笑み。

 そんな彼女にラルフは何も言えずに微妙な表情となり、私は小さく笑いを漏らす。

「ふふっ。――ところでジゼル、今日はどうしたの?」

 ジゼルが私を出迎えてくれるのはいつものこと。

 でも、わざわざ家から出てきて、馬車の前で待ち構えていることは滅多にない。

 ううん、幼い子供の頃以来かな? 普段はお父様たちと一緒だからかもしれないけど……。

「そうでした! こうしている場合ではありません。取りあえず、私の部屋へ――」

 ハッとしたように目を丸くしたジゼルに急かされ、私たちはお屋敷へと入り、彼女の部屋に向かおうとしたのだが、それを遮るように第三者の声が玄関ホールに響いた。

「おやおや、誰かと思えば、田舎貴族の落ちこぼれじゃないか!」

 声の方を見れば、階段の途中にこちらを見下ろすように立つ、私と同年代の少年。

「足止めをお願いしましたのに……。お父様、使えませんね」

 ジゼルの苦々しい呟きが耳に届くけれど、私はむしろ困惑の方が強かった。

 視線の向きからして、私に喧嘩を売っているようなのに……顔に見覚えがないんだよねぇ。

「誰……?」

 図らずも漏れた私の声は、静かな玄関ホールでは思った以上に響いたようで、少年の顔が引きり、ジゼルが笑いを堪えるように口の端をピクピクさせる。

「ヨーダン・ディグラッド。身の程知らずにも、お嬢様に婚約を打診してきた男です」

「…………あぁ。ディグラッド伯爵家の」

 アーシェがこそっと後ろから囁き、私もようやく思い出す。

 でも、それも当然。直接的な面識はないし、婚約もお父様から事後報告で『断っておいたぞ』と言われただけなので、名前すらほとんど覚えていなかった。

 そもそも私に一言もなかった理由が、『ヨーダンの素行が悪く、婚約者として相応しくない』というものだったので、私としては関係ない話という感覚が強かったし。

「初めまして、ディグラッド様。意外な所でお会いしますね。ハーバス子爵に御用事ですか?」

 相手がどうであれ、礼儀は重要。私は愛想笑いを浮かべ、淑女としての礼を行うが、さすがは素行不良、こちらの言葉を無視して階段を下りてくると、私の顔をじろじろと覗き込んだ。

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