鮫ノ歯ノ怪
ハル
第1話
彼女の
都内でも一、二を争う人気の、SNS映えすることで有名な水族館だ。
華麗なパフォーマンスを披露するイルカや、ライトアップされた水槽をただようクラゲ、愛嬌たっぷりのカワウソやペンギンの姿を楽しみ、最後にミュージアムショップに入った。
「わぁ、かわいい!」
五十センチはあるメンダコのぬいぐるみを、陽菜が抱き上げた。
「どうしよう、お迎えしちゃおうかな……」
陽菜はいろいろな角度からぬいぐるみをながめている。こうなったら二十分は悩んでいるだろう。俺は苦笑して、ひとりで店内をぶらぶらすることにした。
Tシャツ、トートバッグ、マグカップ、キーホルダー――いろいろなグッズのなかで、ふと、サメの歯のブレスレットが目を惹いた。
どうしてだろう。いままでアクセサリーに興味を持ったことなんてないのに――。
黒いコードに、小さなサメの歯とアースカラーのビーズを通したもので、特に目立つ色やデザインをしているわけでもない。
手に取ってながめているうちに、無性に欲しくなってきた。レジに向かおうとしたちょうどそのとき、陽菜が近づいてきた。持っているのはあのぬいぐるみではなく、メンダコのタオルハンカチとこの水族館限定のクッキーだ。
「ぬいぐるみ、買わないのか?」
「うん……うちには担々麺がいるし、このまえムスおもお迎えしちゃったしね」
陽菜は小さく肩をすくめて笑った。担々麺というのは、陽菜が友達に誕生日プレゼントとしてもらったメンダコのぬいぐるみで、ムスおというのは先月一緒に動物園に行ったとき買ったハシビロコウのぬいぐるみだ。
「あれ、たっくんはそれ買うの?」
陽菜がブレスレットに目を留めて訊いた。
「あ、ああ……」
「びっくり! たっくんがアクセサリーしてるとこなんて見たことないのに……。あ、でも、似合うと思うよ?」
「そ、そうかな」
頭をかいてレジに向かい、会計を済ませた。
翌週のデートに、俺はさっそくブレスレットをつけていった。
「やっぱり似合うよ! わたしも買えばよかったかなぁ」
陽菜はそう言ってくれた。
映画を観て、街をぶらぶらして、夕飯を食べる。陽菜のゼミの発表が近いので、夕飯のあとはどちらかの家に泊まることなく別れた。残念でなかったといえば嘘になるが、俺のせいで陽菜が発表で失敗したなんて事態にはなってほしくない。
帰ってきてブレスレットを外そうとしたとき、俺は手首に細い傷がついているのに気づいた。
サメの歯で傷ついたんだな。
傷の長さはせいぜい一センチくらいで、血もわずかににじんでいるだけだ。もちろん放っておいた。
翌週のサークルの飲み会にも、俺はブレスレットをつけていった。
「斎藤くんがアクセサリーしてるの初めて見た。あ、陽菜ちゃんからのプレゼント?」
そう言ったのは、サークルでいちばん鋭い美咲だ。
「プレゼントじゃないけど、まぁその……デートで買ったんだ」
「じゃあ陽菜ちゃんとおそろい?」
「いや、おそろいじゃないけど……」
「もう、そういうときは二つ買っておそろいにしなくちゃ。陽菜ちゃんかわいそ~。斎藤くんって、ひとはいいけど女心がわかってないんだよ。このまえだってさぁ……」
なぜかお説教されるはめになった。
帰ってきてブレスレットを外そうとしたとき、俺はまた傷がついているのに気づいた。ただし今度は手首ではなく、ひじの内側に。
サメの歯で傷つく……ようなところじゃないよな。
傷の長さは二センチくらいで、血の量は「にじんでいる」というには多すぎる。背筋が薄ら寒くなるのを感じながら絆創膏を貼った。
さらに翌週、東京に来た高校時代のクラスメート――
「どうしたんだよ、ブレスレットなんかして。あ、ひょっとして彼女できたのか? 彼女からのプレゼントか?」
大輝はにやにやしながら食いついてくる。
「プレゼントじゃないけど、彼女は、まぁ……」
「マジかよ!? え、何でいままで黙ってたの? どんな子どんな子?」
「どんな子って……明るくて優しくてけっこうかわいくて……」
「ぐはぁ!」
大輝は胸を押さえてのけぞり、
「やめろやめてくれ! オレが悪かった!」
頭を抱えて身をよじった。
帰ってきてシャワーを浴びようとしたとき、俺はまたしても傷がついているのに気づいた。今度は手首でもひじの内側でもなく、肩に。
絶対に、サメの歯で傷つくようなところじゃない。
傷の長さは四センチくらいで、Tシャツのうえに羽織っていたパーカーの裏地にまで血がついていた。それを見たとたん肩がずきずきと痛み出す。
背筋が寒くなるのを感じながらドラッグストアに駆けこみ、包帯を買ってきて肩に巻いた。
それでも――いや、だからこそ、その週末のデートにも、俺はブレスレットをつけていった。
ブレスレットと三つの傷に関係があるなんて認めたくなかったし、今日ああいう傷がつかなければ、関係がないことが証明できると思ったのだ。
遊園地で丸一日遊んで、夕飯を食べる。陽菜のゼミの発表が無事終わったので、今夜は陽菜の家に泊めてもらうことにした。
風呂場で全身を調べたが、傷はどこにも見当たらない。
やっぱりブレスレットとあの傷は関係なかったんだ……。
ほっとしてリビング兼寝室に戻り、ベッドでスマホを見ていた陽菜の隣に座った。
「陽菜……」
キスをしてパジャマの襟に手をかけると、
「もう、たっくん待って、明るいままじゃ恥ずかしいよ……」
陽菜は俺の手首をつかんでうつむいた。
「俺は別にいいけど」
「わたしはよくないんだってば……」
陽菜は頬をふくらませて電気を消してきた。もう一秒も我慢できずに押し倒し、今度こそパジャマを脱がせる。前戯に励み、俺もパンツを下ろそうとしたところで――。
「きゃあああっ!!!」
陽菜の悲鳴が響きわたった。
「どうした陽菜……!?」
「たっくん、おなか、おなか……」
陽菜は震えながら俺の腹を指差す。見ると、へそのすぐ下に八センチくらいの長さの傷があり、血がどくどくと流れ出していた。それを見たとたん腹を激痛が襲う。
陽菜がすぐに救急車を呼んでくれ、俺は病院に運ばれた。幸い命に別状はないそうで、麻酔を打たれて傷を縫われる。
「こんな傷、どうしてついたんです? 何だかサメの歯みたいなもので切られてますけど……」
医者に怪訝そうに訊かれたが、
「い、いえまぁちょっとその……」
などとごまかすしかなかった。
俺の家までついてきてくれた陽菜に、いままでのことを打ち明けると、
「そのブレスレット、絶対ヤバいよ。すぐ手放したほうがいいよ」
ただでさえ青ざめていた陽菜は、ますます青ざめて身震いした。
「ああ。けど、ふつうに捨てても大丈夫なのかな……」
ネットで調べると、キットを注文して品物を入れて送ると神社でお焚き上げしてくれる、というサービスがあることがわかり、速攻で注文した。翌々日にはキットが届いたので、すぐにブレスレットを入れて所定の住所に送る。
それからは、俺の体にああいう傷がつくことはなくなった。
***
その年の冬、陽菜はイギリスに家族旅行に行った。
帰国した翌日うちに来て、土産話を聞かせてくれたり土産物をくれたりした。
土産物のなかには、ウサギの足のキーホルダーがあった。
「な、なぁ、まさかこれ本物……?」
声がうわずりそうになるのを抑えながら訊くと、
「ちがうちがう、作り物だって。あんなことがあったのに、本物のウサギの足のキーホルダーなんて買ってきたりしないよ。それに本物だったらウサギがかわいそうだし……」
陽菜はあわて顔で手を横に振り、
「アメリカとかイギリスでは幸運のお守りとされてるんだって。作り物でも効果あるらしいよ。たっくん、あのときひどい不運に見舞われたんだもの、今度はとびっきりの幸運に恵まれてほしいなって」
小首をかしげて笑った。
――だが俺は、実は本物なのではないかと疑っている。
キーホルダーをつけたバッグを持って出かけると、帰ってきたとき必ず体のどこかにあざができているからだ。そう、ちょうどウサギの足で蹴られたような――。
鮫ノ歯ノ怪 ハル @noshark_nolife
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