ひとりの人間が、そこにいる。

タイトルに「詩集『扇情的な身体』」とある。
扇情的なのは自己の身体か他者の身体か。
もしかしたら、語り手は自己の扇情的な身体を持て余しているのかも知れない。
語り手は、そんな風に身体的に問題を抱えている。
三肌目の第三連に表出している身体性が、語り手の問題が小さくないものであることを表している。
四肌目における「ぼく」の視線は、語り手の問題への解答例に違いない。
読者は、五肌目、六肌目にいたって、語り手の選択を目にするのである。
「私」の決断に読者は動揺させられる。ひとりの人間が、そこにいる。

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