ほめる

無名の人

ほめる

物心ついた頃からずっとほめられて育ったような気がする。亡姉にくっついて体験入園させてもらった保育園の「お昼寝の時間」(当時の私にとっては「偽善」だった!)に耐えられず三日でやめて二度と通うことがなかった時も、祖父母や両親のお供で訪れた親戚・知人のお宅や茶会・句会の席で「マスコット・ボーイ」役を務めた時も、明治・大正生まれの老人たちはひたすら無条件に幼子のことをほめてくれた。


故郷の大島を離れて今治市内の日吉中学校に「たった一人で」入学(実際には400人近い良き友が待ってくれていたことを後になって知るのだが)した時も、いくつかの偶然と幸運が重なって「ほめられる生活」が続くことになった。


人は誰しも、ほめられるとやる気が出て頑張れるものだ。頑張って成果が出るともっとほめられて、さらに頑張り続けるようになる。自分の人生を振り返ってみると、20代後半までは、ほめてもらえるのが嬉しくて、どんなことでも自分の能力の限界まで寝食を忘れるほどに熱中することができた。その甲斐あってか、自分史の中では「世の中に貢献」できるような仕事も幾つか成し遂げたつもりである。


どういう心境の変化か(その原因も思い当たる節はあるのだが)、30歳を迎える前後から、そのような人生に「ぼんやりとした違和感」を覚えるようになり、いつしか「自分で自分をほめる」術を身につけた。一回きりの人生ならば、自らの感性と欲求のままに「できること、やりたいこと、やるべきこと」だけに集中しないともったいない、と思った途端に肩の力が抜けた。


驚くべきことに、限界まで頑張り続けていた頃は周囲の皆さんが「私の努力や能力や業績」をほめてくれていたのに、自然体で好きなことに徹するようになると「私の生き方や私そのもの」に共感してくれるようになり、結果としてより大きなことが達成できるようになった。


人生とはそんなものかも知れない、としみじみ思う。


2021.12.22



早世の姉を思ひて咲きたるか

季節外れの冬至の蕾


2021年 冬至

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