第4話 そんなうまい話
「───で、その時の女性が、今の私の妻なんです」
……なるほど、それか。それが言いたかったのか。
いい話で食いつかせておいて、話のオチとしてそう持ってくるわけか。
お約束といえば、お約束である。
目の前のテーブルに座る男が、今……自身の片想いらしき女性について話しているところだ。客の少ない店内、他に応対する客もいないので暇潰しがてら、向かいに座って話を聞いているところだった。
その話のオチは、ラジオ番組の投稿やショート動画などで度々耳にするエピソードの定番のフォーマットだったのだ。
聞いている方は、「まあいい話だよね」あるいは、「おいおいなんだよ、惚気かよ」
となるのかもしれない……。
「───で、あったなら……良かったのですが……」
そう言って、目の前の中年男性は、肩を落として寂しそうにうつむいた。
おや──?
「違うのかい?」
俺の問いかけに、目の前の男は静かに頷いた。
………30分ほど前に来店したこの男。
最近、何度か店を訪れていて、顔見知りになったばかりなのだが……。
───この男は、主に絵を描いて生計を立てているという。それでも、食っていくのも厳しいほどの収入ではあると言っていた。身なりからしても、それは伺えるような有様だった。
年齢は、まぁ……そこそこ行っているだろう。40半ばは過ぎているようにも思えた。冴えない中年、という表現がぴったり来るような男だ。
だが、この男はどことなく少年のような雰囲気というか、汚れの無さみたいな部分も感じられて、目の輝きなどはまさに子供のそれで、妙に惹かれるところもあったのだ。芸術家の持つ特有の雰囲気なのかもしれない。
話している感じも世間擦れしていなくて、どこか心配にもなってしまうほどだった。
少なくとも、嫌な男ではない。好感の持てる人柄だったのだ。
……で、そんな目の前の男の話には、その定番の──更に続きがあるようなのだ。
物販イベントの会場で、たまたまそのお目当ての女性に再会したらしい。
そのイベントには飛び込みに近い形で参加していたので、まさか彼女も一緒に出店しているとは思わなかったそうだ。
「店の片付けをしてたら、急に声をかけられて……驚きましたね」
そう言って、嬉しそうに照れた顔をする彼。
ほんとうに、男の子のような純真さだ。
「相手も覚えててくれたんなら、そりゃあ……期待もするよなぁ」
俺は少し微笑み、髭をさすりながら男の話に相づちを打つ。彼も、頷きながら話を続けた。
「はい───せっかくのこの機会に、もっと交流を深めたいなと、そう…思ってました。……ですが」
ふむ?
なにやら、流れが変わったような気がする。
「その彼女、僕と話したあと……数件先の出店ブースに行きましてね……」
その彼女が歩いていった先は、彼と同じ……絵画系のものを出店している男のブースだったそうだ。そこで、店主の男と親しげに話をしている姿を横目に見て、なにやら店の手伝いなんかも始めちゃったりしてたそうだ。
「知り合いなのかな……? って、最初はそう思ってたんですけど」
明らかに、表情が暗くなる……。
これは……。
「……彼女その後、その男の車の助手席に乗って……僕の前を通り過ぎていったんです。彼女は僕に、にこやかに手を振りながら……」
あぁ~……これは───。
「なるほどね……」
隣で聞いていた
「その時はまだ、ただの知り合いかもしれない、とか……。そういうふうに、楽観的にも思ったりしてたんですけど……」
………意外に、諦めの悪い男だな。
そう言うところも、精神年齢の低さを感じさせる。
だが、前述の人柄のためそれほど嫌悪感は感じなかった。
むしろ、「元気だせよ」と言ってやりたくなるような雰囲気をまとっている。
「───しばらくしてから、また別なイベント……つい先日ですけど。彼女と、また会場で一緒になったんです。そこには、彼女も毎回出店してるの知ってたんで……。まあ、驚きはしなかったんですけど──」
そのイベント中にも彼女は、この男の店に顔を出してくれたそうだ。店先で、それなりに会話もできて、いい気分にもなって。
それで、もうちょっと話をしたいと思っていたそうなのだが……。
「彼女、営業時間が終わったら、店の撤収もそこそこに、車に乗ってどこか行っちゃったんですよ。で、目で追ったら……また、あの時のあの男の車でして」
まぁ、そうなるよね。
むしろ、違う男だったりしたら、別な意味でびっくりだが……。
「でも、僕……そのときはどうしても真相を知りたくて───」
お……?
「───こっそり、後をつけていったんです……。僕も、車で……」
……おいおい、あんまり深入りすると泥沼だぞ?
下手したらストーカーになっちまうかもしれないし……。
ちらりと目をやった隣のマダムも、彼の見せた意外な行動力に……少し引いていた。
「そしたら………」
そこまで言って、言い淀んだ。
かなり、辛そうな顔をしている。
ごくり……。
固唾を飲んで次の言葉を待つ、俺たち。
「───しばらく行った先で、その車……ラブホテルに入って行ったんです」
「あぁ~………」
「うわぁ……」
「むぅ……」
「えぇ………」
いつの間にか、松原さんと厨房のあづみさんまで隣で聞いていた。
そして、四者四様のため息とも取れない声を漏らしていた。
そこまで決定的な場面に出くわすというのも、中々無いだろうな……。
疑わしいとか、可能性とか……そういうの全部破壊するほどの威力があったことだろう。
話の着地点が、いまいち読めない内容だったのだが、これで結論……ということだろうか……。
(これって……いわゆる、今流行りのNTRとかいうやつかな……?)
(付き合う前なら、BSSって言うらしいですよ~♪)
(……いや、先に好きだったかどうかも怪しいですよ、これ……)
(単なる、横恋慕の可能性が大ですな……これは)
目の前で沈み込む男を放置して、俺たちは無責任に感想をこそこそと言い合っている。
念のため断っておくが───。
この男は別に、はっきりとその女性に告白しているわけではないのだ。
思わせぶりとか、匂わせている、というほどの事をしている様子もない。
むしろ、好意を寄せていることを少しでも相手が察せられたなら御の字……その程度のことしかしていないだろう。
客観的に見れば、そんなふわっとした付き合い……いや、付き合いとも言えない、ただの知り合い以下だろう───で、そこまで落ち込まれても、と思う。
ただ……この目の前の彼は、誰が見ても分かるほど人が良さそうで且つ気が弱そう、押しの弱そうな人柄だ。正直、同情したい気持ちもあった。
しかしながらこの現代、そしてこの世相だ。
更に付け加えると、失礼ながら、その歳でそこまで純情でいられても……、と言われるのは目に見えている。俺たちだから、黙って頷いて聞いているようなものだが、人によっては気分を害して怒鳴られてもおかしくないような内容でもあった。
「まぁ、ね。人間生きてればそういうこともありますよ……。次の恋に、踏み出してくださいな」
あづみさんはそう言って、やや呆れ気味で厨房に戻っていってしまった。
「ふむ、いつか花咲くこともありますよ……」
松原さんまでそんな事を言いながら、奥に引っ込んでいってしまった。
そしてマダムは、今しがた入ってきた別な客の応対に行ってしまっている。
テーブルに向かい合って座っているのは、俺一人になってしまった。
で……続きも、俺が相手すんのか?
この、純情なおっさんの?
「すみません、こんな話聞いてもらって……」
だが、目の前の男は……気の毒なほどに落ち込んでいる。
きっと、普段ならこういう事を人に話すこともないほどの、控えめな男なのだろう。そう考えれば、結構頑張ったとも言える。
その……彼女を尾行するところの行動力は……少々危険な雰囲気も感じたが。
さりとて、何か事件を起こすような人間には到底見えない。そこまでの度胸は無いだろう。むしろ、俺たちに話したことで、変な衝動を起こしにくくなったのかもしれない。
まぁ、とはいえ……だ。
「人に聞いてもらう、ってのは───案外、馬鹿にできないもんだからな」
俺は、そう彼に伝えた。
少なくとも俺は、彼の話に嫌な気はしていなかった。
俺は、そういう───人に打ち明けるというのを嫌悪さえしていたから、他人に心の内を開示することは、これまでほとんど無かった。
いや、ずっと昔の自分は結構……かなり、自分語りをする方だったんだ。
だがある時、これはイタい人間のやることだと気づいて、そういうことも無くなった。早めに気づけて幸運だったとも言えるだろう。
だが、そんな生き方を続けていても、たまにぽろっと、本音がこぼれてしまうことだってある。旅先で、ふとしたきっかけに会話が始まり、つい……という場合なんかは、不可抗力だろう。
「───たまたまその時、話をきいてくれたのが……彼女だったんだ」
そう言って、この店のマダムをちらりと見る。
俺は、いつの間にか自分の体験を、目の前の男に語って聞かせていた。
彼も、興味を持って俺の話に聞き入っていた。
こういう、素直なところがある男なのだよ、彼は。
何かの導きか……?
そう思わせるほどに、その出会いは劇的で……その上、彼女は慈愛と包容力に満ちていた。彼女のいつもいる場所が、たまたまコーヒーの飲めるところだったというのも手伝って、俺はそこに足繁く通うようになった。
金は払っているので、当然客としてだが、いつもくだらない愚痴に付き合ってもらっているのがなんだか申し訳なくて……そのうち、店の周りの草刈りや傷んだ外壁の修繕、仕入れやチラシ配りなんかを手伝うようになった。
マダムが、厨房に戻っていったのを見計らって、彼がこっそり聞いてきた。
「───でも、よくそんな頻繁に通えましたね? 暇……はともかく……お金続くんですか? このご時世、コーヒー600円はそう何杯も払えませんよ?」
ここのブレンドコーヒーは、一番安いやつでも600円だ。お勧めのものは1200円位するのだ。彼の経済力なら、そう思うのも当然だろう。そして、経済力なら俺も似たようなものだから、その気持はよく分かるのだ。
「ああ、それな。……話のオチがあってな」
「なんです?」
俺は、周りをちらりと見回し、誰も聞いていないのを確認してから、顔を寄せてこっそりと教えた。
「……俺が来たときだけ……メニュー表…別なのを見せてくれてたんだよ、マダムは。そっちの値段は、コーヒー150円になってた……」
おれはそう言って、ニヤリと笑った。
「……なんですか、それ……!」
頭を掻きむしって、男は苛立っていた。
「それ結局……相思相愛じゃないですかぁ。僕と全然違いますよ……。これだからモテる男って嫌なんですよ……もぅ…!」
そして男は立ち上がった。
「……帰ります、来て損しましたよ。これお代ね」
ばしん、とテーブルにコーヒー代600円を置いた。
「あ、あぁ……悪かったな。……まぁ……また来いよ?」
どうも、俺はこいう話は苦手だ。相手をポジティブに元気づけるということができないのだ。どうやら、今回も相手の気を悪くさせてしまったようだ。
「言われなくてもまた来ますよ……!」
それでも、可愛らしくてくてくと歩いてドアを開け、男は店を出ていった。
からんからん…♪
さっきまで降っていた雨は、どうやら上がっているようだ。濡れずに帰ることができるのは、あの男にとっても幸いだろう。
ドアベルの音を聞いて、エプロンで手を拭きながらマダムが厨房から出てきた。
「あら…? さっきの彼、帰っちゃったの?」
「あ、あぁ……。すまない……怒らせちまったみたいで……」
しかし、マダムは微笑んでいた。
「でも、元気そうだったじゃない? また来る……って」
「ほんとに、来てくれればいいが………」
すると、マダムは意味ありげな笑みを浮かべて……。
「うふふふっ。今度来たときは彼にも、例のメニュー表……出してあげてね?」
「お……?」
俺は、少しほっとして頷いた。
───よかったな。
どうやらあんた、マダムにも『常連さん』として認められたらしいぜ……。
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