裏1話 鬱陶しいやつら
その女は、鬱陶しくつきまとい、執拗に話しかけてきた。
「ここで会ったのもなにかの縁ですよ、寄っていってくださいな」
俺は、愛想笑いに似た困り顔しか作ることができなかったが、何とか取り繕ったその表情でそれらしい言い訳を口にした。
「いえ、まだ泊まるところも見つけないと、いけませんし」
───冗談じゃない! せっかく決心を固めてここまで来たってのに。
裏腹な内心を隠して、なんとか穏やかに言葉を発する。「迷惑だ」という本音を何とか押し止める事ができたのは、僥倖であったといえるだろう。
ここは、適当に誤魔化してやり過ごすしかない。
そう思ったのだが、目の前の女はさらに勧誘の手を強めてきた。
「この辺、泊まるところなんか無いですよ? それに────」
それに、何だよ?
「……ここまで、車で来た訳じゃないですよね。ここ、もうバスとか有りませんよ? 1日4本しか運行してませんし」
知ってるよ、そんなことは。
そもそも行く当てがないから、帰るつもりがないから、ここに来たってのに。
ようやく、楽になれると思ってここにたどり着いたのに……!
ほっといてくれ、頼むよ
「いえ、知り合いが、迎えに来ることになってますから」
なんとか、もう一度もっともらしい嘘を捻り出して、目の前の鬱陶しい女に告げた。
「そうですか? それなら──」
やったか……?
うまく誤魔化せたか……。
「────これ、うちのショップカードです。もし、どうにもならなかったら訪ねてくださいね?」
そう言って女は、強引に紙切れを握らせてきた。
『【雨やどり処「異邦人」】珈琲無料券』
そうして女は、鬱陶しいほどしつこかったくせに、券を渡すとさっさと立ち去っていった。
ふん。
時間のムダをさせやがって……。
その、去っていく女の背中に心の中で悪態をついてから、一人になれたことにほっとする。
……………むだ。
今更ながら自分の考えに、かろうじて違和感を感じることができた。
はは……もう、俺には必要のない時間だ。
無駄もクソもあるか……。
だが、あの女がいなくなったことで、ようやくおちついて思案できる。
日が落ちる前に、良い場所を探さなければならない。今日で、カタをつけたいのだ。
さて、残りの所持金は800円少々……
縄の一本くらいは……買えるかな。
────────────
場所の目星をつけてから、日が落ちるのを待った。
人目に付くと、また面倒なことになる。
いちおう、海岸沿いの磯場で飛び降りられそうなところも見つけていたが、正直なところ命の惜しさとは別に、飛び降りるという手段は俺向きではないと思った。
断崖の下を覗き込み、決断に躊躇が生まれたら、もう無理だった。
やはり、さっき買っておいた縄の方が役に立ちそうだ。
昔、なんかの本で読んでおいて正解だった。知識と経験は身を助けるものだな。縄一本のお手軽さ、これ以上の方法は無い。場所も、適当で済ませられる。
ここら辺でいいだろう。
雨が降り始めていたが、関係ない───。
だが、いざ縄を吊るそうとしたところで、
またしても、邪魔が入った。
「───いやぁ夜中で、しかも天気も良くねぇし。おまけに、こんな場所だろ? 困ってんじゃねぇかなぁ~ってな」
あぁ、困ってるよ。
お前のせいでな!
髭面の中年……。
まぁ……おっさんではあるが、それほどの歳ではなさそうだ。
30代半ば、といったところか。
落ち着いた雰囲気ではあったが、同時にやや軽薄そうな感じも受けた。
少なくとも、何か悩みがあるようには見えなかった。
………そして、鬱陶しい男だった。
「なんなら、うち寄ってったらどうだい? 大抵のものは用意できるぜ? うちは、ちょくちょくそういう客が来るもんでな」
余計なお世話だってんだよ!
怒鳴りたくなる内心を抑えてなんとか、なけなしの言い訳をひねり出す。
「い、いえ。ちゃんと宿もとってありますし。ちょっと、この辺を散歩してただけですよ」
いや、こんな所で散歩するやつなんかいないだろう。
我ながら、切羽詰まっている事が自覚できた。
言い訳にしても、これでは……。
だが、目の前の男は、夕方会った女よりも更に強引で、
そして容赦が無かった。
「まぁ、回りくどいこと言っててもしょうがねえか……」
「………?」
「はっきり言わせてもらうとな───」
言いながら……あまりにも無造作に歩み寄ってきたため、俺は咄嗟に逃げることさえ出来なかった。
「あんた……死ぬために、ここに来たんだろ?」
さも、ありきたりな日常会話のように
最初からあっさりと、こいつは正解を口にした。
………空気を読めてないにもほどがある。
つまんねーやつだな、って言われるぞ、お前。
バラエティー番組のクイズじゃ、一番美味しいところで段取りを壊すパターンだ。
だが、前置き無く心の内を引っ張り出されて、むしろ安心している自分もいることに気づいた。
「……だったら、なんだってんだ……!?」
もう、投げやりのヤケクソだった。
どうせ知られてるなら、誤魔化したところでこいつは邪魔をするだろう。
多少強引にでも、相手を怯ませて逃げ出さなければ。
だが、目の前の男は自前の髭をシャリシャリと擦って、さも愉快そうに言いやがった。
「ここいらは多いんだよ、あんたみたいなのが。だから、見ただけでわかっちまうんだ。あんた……自分が周りからどう見えてるか、もう自覚できなくなっちまってんだよ」
そして男は、さらにずかずかと無造作に歩み寄ってきた。
「で、原因は何だ? 金か? 女か? 人生に希望が持てなくてとか、面倒なこと言うなよ? こっちにも、対応できる限界があるからな」
くそっ……苛つく言い方だ。何なんだこいつは……!
苦悩ってのは、そんな単純じゃねえんだよ!
原因だって……
………原因だって、……いや。
俺は、そのカタの付け方を分かってここに来た。
もう、それしか思い付かなかったからだ。
だが目の前の男は不意に、出し抜けに声をかけてきた。
「────あのよ?」
「……なんだよ」
すこし、表情に訝しむ様子が見て取れた。
何か、俺を疑ってる、のか?
「一応聞いておくが、生命保険入ったの、いつだ?」
───は?
なんで……それ知ってるんだ。
いや………世間一般に、こういう場合の常套手段なのだろう。
やっぱり俺の判断は、間違ってはいなかった、てことか。
絶望感一色だった自分の心に、妙な安心感が一滴落とされた。それが心地よいほど、場違いなほどふんわりと俺を包んでくれた。
「───念のため、言っておくとな。今の保険って、加入から1~2年経たないと、自殺じゃ下りねえぞ?」
「……は?」
そして、男の言った言葉は───俺を安心感から一転して絶望へと変えた。
お、おい……
うそ……だろう?
あの保険屋……騙しやがったな!?
「ほ、ホントかよ……それ!?」
俺の問いかけに、目の前の男はあっさりと頷いた。
………なんだよそれ!?
それじゃ意味ねぇじゃねえかよ!!!
「なんだよ………。もう、どうしようもねえのか……よ」
すると、眼の前の男は……
今度は、随分子供っぽい表情をして友だちを誘うみたいに言ってきた。
「───まぁまぁ、死ぬ覚悟まであるってんなら、ちょっくら寄っていきなよ。時間あるだろ? 店はこの近くだからよ」
「あ……店?」
「持ってんだろ? 珈琲券」
珈琲券……?
あぁ……夕方会った、あの鬱陶しい女が俺に掴ませたやつか。
なんだ……こいつらグルだった、てのか──。
どうやら、何か仕組まれていたような状況らしいが……。
俺はもう既に、何も考えられなくなっていた。
後ろにあった手すりに、よろめくように寄りかかった。
だが、そんな絶望の最中の俺に、この男は随分な提案をしてきた。
「────そんで、どうにもならなかったら俺が責任持って、あんたに引導渡してやるよ。それなら、どうだい?」
なんだ、そりゃ……?
お前が俺を殺してくれるってのか───!?
眼の前の、男の顔を見る。
すると、余裕のある顔で微笑んで、頷いた。
「それなら、保険金もバッチリ下りるぜ?」
「そ、そんなうまい話………」
俺は、あきらめと自棄のこもった声を吐き出した。
だが、もはや俺は正真正銘、八方塞がりだ───。
「はっ……、ははは………」
酷く、投げやりな笑い声が漏れ出てしまった。
最後の晩餐が、珈琲か……。
まぁ、それでもいいや。
おれは、心身ともに諦観に満たされて、眼の前の胡散臭い男に連れられ、軽トラックに乗せられた。
……………………
連れてこられた店に、客の姿は無かった。
看板も含めほとんどの照明が落とされており、薄暗い。
おそらくは、もう営業時間は終わっているのだろう。
だが、厨房の中は明るく照明が焚かれており、いつでもオーダーを受けられるほど、稼働している雰囲気に溢れていた。
「どうぞ」
座らされた俺の眼の前に、コーヒーが置かれた。
面倒だったが、それを口に運ぶ。
……味なんか、しない。
ずっと……こうだった。
「──おまたせしました。弁護士の、松原です」
還暦くらいだろうか。
白髪の男が、俺のテーブルの向かいに腰を下ろす。
そして、柔和な微笑みを見せて俺に言った。
「まずは、安心してください。大変でしたね?」
知らずに、涙が流れていた。
あぁ……。
俺が、一番聞きたかった言葉だ───。
「話せるところからで構いません。お聞かせくださいますか?」
俺は、目の前の男に……これまであったことを、全て話すことにした。
──────────
あれから、1時間ほどだろうか。
話すごとに、楽になっていくのが感じられた。
そして、どういうわけかあの弁護士だという男は、俺の持つ問題を一つ一つ紐解いて、解決の方法を提示してくれた。
終わってみれば、あっさりだった。
一時は、死んで解決しようとまで思っていたのに。
それらを全て、明快に解決できるという方法を提示され、
なにより、頭を使わなくて良い、という助言に助けられた。
それら面倒な判断はすべて、あの胡散臭い男がやってくれるという。
数時間前なら、絶対にそんな提案には乗らなかっただろう。
だが、今ではあの男に任せるのが最善の方法に思えている。
────騙される時、ってのはこういう時なのかもな……。
そうも思ったが、もはや俺を騙して得られるものなど、何も無いはずだ。
そう思ったら、これまでの絶望的な状況がむしろありがたかった。
「……あら、コーヒー冷めちゃったかしら?」
そう言って奥に戻っていったのは、あのとき珈琲券を俺に掴ませた、あの女だ。
どうやら、ここのウエイトレスだったらしい。
「──どうぞ」
そう言ってまた新たなコーヒーが運ばれてきた。
薄っすらと湯気のたつカップを手に取り、口に運んで一口……。
「……うまい」
芳醇な……香ばしさ、苦いが味わい深い。
………ずっと忘れてたな、この感じ。
───ここに連れてきてくれた、あの男が俺に言ってきた。
「ここまで干渉したからには、俺も責任は取るさ。あんたが、自力で働けるくらいに持ち直すまでは、部屋も貸してやる。働き口も、目星くらいはつけてやるよ。あとは───あんたの心持ち次第だ」
あれだけ胡散臭かった風貌が、いまではこんなに頼もしい。
やり直せる……とは行かないが、それでも迷惑をかけずに終われそうだ──という展望が……俺の心を、近年ではありえなかったほどに、軽くしてくれていた。
自分の境遇や世間の目なんかは、もう興味がない。
飢えない程度に食っていければ、それで充分だ。
あとは……。
一年か────。
それだけあれば、借金のめどが立つ。彼らは、そう言ってくれた。
それが終わってから、改めて……
生きるか死ぬかは、考えればいいだろう。
その頃には、保険の据え置き期間も終わってるだろうから。
受取人は、……いっそ目の前の、この男にしておこうか……ふふふ。
そんな思い付きが浮かんだあと、ふと思いつく。まだ、彼の名前も聞いていなかったのだ。
「なあ……。あんた……名前は……?」
俺は、ここに連れてきてくれた、髭面の胡散臭い………命の恩人に名前を尋ねた。
───この自殺志願者の男は、かすかな糸に縋り
そして、結果として人生という旅を続ける決断をした────。
「ん? あぁ。
胡散臭い男は、そう名乗った。
「……んで、彼女が───」
「いなさです。
ウエイトレスの女は、紹介される前にすかさず、そう答えた。
…………………
ここは、
雨宿り処~『異邦人』
人生という旅をする者の、ひとときの休息の場所
そんな思いを込めて、作られた
今日も、ここを訪れる者たちに、
一時の
雨濡れの君の明日 天川 @amakawa808
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