雨濡れの君の明日

天川

第1話 鬱陶しいやつら

 その女は、鬱陶しくつきまとい、執拗に話しかけてきた。

「ここで会ったのもなにかの縁ですよ……寄っていってくださいな」


 男は、愛想笑いに似た困り顔しか創ることができなかったが、何とか取り繕った表情でそれらしい言い訳を頭で作り出そうとしていた。


 ………冗談じゃない! せっかく決心を固めてここまで来たってのに……。


「……いえ、まだ泊まるところも見つけないと……いけませんし」


 裏腹な内心を隠して、なんとか穏やかに言葉を発する。だが本音は、「迷惑だ」というただ一点にしか向けられることはなかった。その言葉を、何とか押し止める事ができたのは、僥倖であった。


 ……ここは、適当に誤魔化してやり過ごすしかない。

 そう思ったのだが、………目の前の女は、さらに勧誘の手を強めてきた。


「──この辺、泊まるところなんか無いですよ? それに……」


 ……それに、何だよ?


「……ここまで、車で来た訳じゃないですよね。ここ、もうバスとか有りませんよ? 1日4本しか運行してませんし……」


 知ってるよ……、そんなこと。

 そもそも……、行く当てがないから……帰るつもりがないから、ここに来たってのに。


 ───ようやく、楽になれると思ってここにたどり着いたのに……!

 ほっといてくれ、頼むよ……


「いえ……、知り合いが……、迎えに来ることになってますから」


 なんとか、もう一度……もっともらしい嘘を捻り出して、目の前の鬱陶しい女に告げた。


「……そうですか、それなら──」


 やったか……?

 うまく誤魔化せたか……。


「──これ、うちのショップカードです。どうにもならなかったら……訪ねてくださいね?」


 そう言って女は、強引に紙切れを握らせてきた。


『【雨やどり処~「異邦人」~】珈琲無料券』


 女は、鬱陶しいほどしつこかったくせに、券を渡すとさっさと立ち去っていった。


 ふん……。

 時間のムダをさせやがって……。


 その、去っていく女の背中に心の中で悪態をついてから、一人になれたことにほっとする。


 ……………むだ。


 自分の考えに、かろうじて違和感を感じることができた。


 はは……もう、俺には必要のない時間だ。

 無駄もクソもあるか……。


 あの女がいなくなったことで、ようやくおちついて思案できる。

 日が落ちる前に、良い場所を探さなければならない。今日で、カタをつけたいのだ。


 さて、残りの所持金は800円少々……

 縄の一本くらいは……買えるかな。



 ────────────



 場所の目星をつけてから、日が落ちるのを待った。


 人目に付くと、また面倒なことになる。

 いちおう、海岸沿いの磯場で飛び降りられそうなところも見つけていたが、……正直なところ命の惜しさとは別に、飛び降りるという手段は俺向きではないと思った。

 断崖の下を覗き込み……決断に躊躇が生まれたら、もう無理だった。


 やはり、さっき買っておいた縄の方が役に立ちそうだ。

 昔、なんかの本で読んでおいて……正解だった。知識と経験は身を助けるものだ……縄一本のお手軽さ、これ以上の方法は無い。場所も、その辺で済ませられる。


 雨が降り始めていたが、関係ない───。


 だが、いざ縄を吊るそうとしたところで、

 ………またしても、邪魔が入った。


「───いやぁ……夜中で、しかも天気も良くねぇし……。おまけに、こんな場所だろ? 困ってんじゃねぇかなぁ~……ってな」


 あぁ、困ってるよ。

 お前のせいでな……!


 髭面の中年……。

 まぁ……おっさんではあるが、それほどの歳ではなさそうだ。

 30代半ば、といったところか。

 落ち着いた雰囲気ではあったが、同時にやや軽薄そうな感じも受けた。

 少なくとも、何か悩みがあるようには見えなかった。


 ………そして、鬱陶しい男だった。


「なんなら、うち寄ってったらどうだい? 大抵のものは用意できるぜ……? うちは、ちょくちょくそういう客が来るもんでな」


 余計なお世話だってんだよ───!

 怒鳴りたくなる内心を抑え、なんとか言い訳をひねり出す。


「い、いえ……。ちゃんと宿もとってありますし……。ちょっと、散歩してただけですよ」


 いや……こんな所で散歩するやつなんか、……いないだろう。

 我ながら、切羽詰まっている事が自覚できた。

 言い訳にしても、これでは……。


 だが、目の前の男は、夕方会った女よりも更に強引で……そして容赦が無かった。


「まぁ、……回りくどいこと言っててもしょうがねえか……」


「………?」


「はっきり言わせてもらうとな───」


 言いながら……、あまりにも無造作に歩み寄ってきたため、俺は咄嗟に逃げることさえ出来なかった。


「あんた……死ぬために、ここに来たんだろ?」


 さも、ありきたりな日常会話のように……

 最初からあっさりと、こいつは正解を口にした。


 ………空気を読めてないにもほどがある。

 つまんねーやつだな、って言われるぞ……お前。

 バラエティー番組のクイズじゃ、一番美味しいところで段取りを壊すパターンだ。


 だが……、前置き無く心の内を引っ張り出されて、むしろ安心している自分もいることに気づいた。


「……だったら、なんだってんだ……!?」


 もう、投げやりのヤケクソだった。

 どうせ知られてるなら、誤魔化したところでこいつは邪魔をするだろう。


 多少強引にでも、相手を怯ませて逃げ出さなければ……。


 だが、目の前の男は自前の髭をシャリシャリと擦って、さも愉快そうに言いやがった。


「ここいらは多いんだよ、あんたみたいなのが……。だから、見ただけでわかっちまうんだ。あんた……、自分が周りからどう見えてるか、もう自覚できなくなっちまってんだよ」


 そして、さらにずかずかと無造作に歩み寄ってきた。


「で、原因は何だ? 金か? 女か? ……人生に希望が持てなくてとか、面倒なこと言うなよ? こっちにも……対応できる限界があるからな」


 くそっ……苛つく言い方だ。何なんだこいつは……!


 苦悩ってのは、そんな単純じゃねえんだよ!

 要因だって……

 ………要因だって、……いや。


 俺は、そのカタの付け方を分かってここに来た。

 もう、それしか無かったからだ。


 だが目の前の男は不意に、出し抜けに声をかけてきた。


「あのよ?」

「……なんだよ」


 すこし、表情に訝しむ様子が見て取れた。

 何か、俺を疑ってる、のか?


「……一応聞いておくが、生命保険入ったの……いつだ?」


 ───は?

 なんで……それ知ってるんだ。


 いや、………、こういう場合の常套手段なのだろう。

 ……やっぱり俺の判断は、、てことか。


 絶望感一色だった自分の心に、妙な安心感が一滴落とされた。それが、心地よいほど……場違いなほどふんわりと俺を包んでくれた。


「───念のため言っておくとな……。今の保険って、加入から1~2年経たないと、自殺じゃ下りねえぞ?」


「……は?」


 男の言った言葉は、俺を安心感から一転して絶望へと変えた。


 お、おい……

 うそ……だろう?

 あの保険屋……騙しやがったな!?


「ほ、ホントかよ……それ!?」


 なんだよそれ!?

 それじゃ意味ねぇじゃねえかよ!!!


「なんだよ………。もう、どうしようもねえのか……よ」


 すると、眼の前の男は……今度は、随分子供っぽい表情をして友だちを誘うみたいに言ってきた。


「───まぁまぁ、死ぬ覚悟まであるってんなら……ちょっくら寄っていきなよ。時間あるだろ? 店はこの近くだからよ」


「あ? ……店」


「持ってんだろ? 珈琲券……」


 珈琲券……?

 あぁ……夕方会った、あの鬱陶しい女が俺に掴ませたやつか。

 なんだ……、こいつらグルだった、てのか──。


 俺はもう、何も考えられなくなっていた。

 後ろにあった手すりに、よろめくように寄りかかった。


 だが、そんな絶望の最中の俺に、この男は随分な提案をしてきた。


「──そんで、どうにもならなかったら……俺が責任持って、あんたに引導渡してやるよ……。それなら、どうだい?」


 なんだそりゃ……?

 お前が俺を殺してくれるってのか───!?


 眼の前の、男の顔を見る。

 すると、余裕のある顔で微笑んで、頷いた。


「それなら、保険金もバッチリ下りるぜ?」


「そ、そんな………」

 俺は、あきらめと自棄のこもった声を吐き出した。


 だが、もはや俺は正真正銘、八方塞がりだ───。


「はっ……、ははは………」


 酷く、投げやりな笑い声が漏れ出てしまった。

 最後の晩餐が、珈琲か……。

 まぁ、それでもいいや。


 おれは、心身ともに諦観に満たされて、眼の前の胡散臭い男に連れられ、軽トラックに乗せられた。



 ……………………



 連れてこられた店に、客の姿は無かった。


 看板も含めほとんどの照明が落とされており、薄暗い。

 おそらくは、もう営業時間は終わっているのだろう。

 だが、厨房の中は明るく照明が焚かれており、いつでもオーダーを受けられるほど、稼働している雰囲気に溢れていた。



「どうぞ」

 座らされた俺の眼の前に、コーヒーが置かれた。


 面倒だったが、それを口に運ぶ。


 ……味なんか、しねぇ。

 ずっとこうだった。


「……おまたせしました。弁護士の、松永です」


 還暦くらいだろうか……。白髪の男が、俺のテーブルの向かいに腰を下ろす。

 そして、柔和な微笑みを見せて俺に言った。


「まずは……安心してください。大変でしたね……?」


 あぁ……。

 俺が、一番聞きたかった言葉だ───。

 知らずに、涙が流れていた。


「話せるところからで構いません……。お聞かせくださいますか?」


 俺は、目の前の男に……これまであったことを、全て話すことにした。



 ──────────



 あれから、1時間ほどだろうか。

 話すごとに、楽になっていくのが感じられた。

 そして、どういうわけか……あの弁護士だという男は、俺の持つ問題を一つ一つ紐解いて、解決の方法を提示してくれた。


 終わってみれば、あっさりだった。

 一時は、死んで解決しようとまで思っていたのに。


 それらを全て、明快に解決できるという方法を提示され……。

 なにより、頭を使わなくて良い、という助言に助けられた。

 それら面倒な判断はすべて、あの胡散臭い男がやってくれるという。


 数時間前なら、絶対にそんな提案には乗らなかっただろう。

 だが、今ではあの男に任せるのが最善の方法に思えている。


 ──騙される時、ってのはこういう時なのかもな……。


 そうも思ったが、……もはや俺を騙して得られるものなど、何も無いはずだ。

 そう思ったら、今までの絶望的な状況がむしろありがたかった。


「……あら、コーヒー、冷めちゃったかしら?」


 そう言って奥に戻っていったのは、あのとき珈琲券を俺に掴ませた、あの女だ。

 どうやら、ここのウエイトレスだったらしい。


「どうぞ」

 そう言ってまた新たなコーヒーが運ばれてきた。

 カップを手に取り、口に運んで一口……。


「……うまい」




 芳醇な……香ばしさ、苦いが味わい深い。

 ………ずっと忘れてたな、この感じ。





 ───ここに連れてきてくれた、あの男が俺に言ってきた。


「………ここまで干渉したからには、俺も責任は取るさ。あんたが、自力で働けるくらいに持ち直すまでは……、部屋も貸してやる。働き口も、目星くらいはつけてやるよ。あとは、───あんたの心持ち次第だ」


 あれだけ胡散臭かった風貌が、いまではこんなに頼もしい。


 やり直せる……とは行かないが、それでも迷惑をかけずに終われそうだ。というのが……俺の心を、近年ではありえなかったほどに、軽くしてくれていた。


 自分の境遇や世間の目なんかは、もう興味がない。

 飢えない程度に食っていければ、それで充分だ。


 あとは……。

 一年か──。

 それだけあれば、借金のめどが立つ。彼らは、そう言ってくれた。

 それが終わってから、改めて……

 生きるか死ぬかは、考えればいいだろう。

 その頃には、保険の据え置き期間も終わってるだろうから。

 受取人は、……いっそ目の前の、この男にしておこうか……ふふふ。



 そんな思い付きが浮かんだあと、ふと思いつく。まだ、彼の名前も聞いていなかったのだ。


「なあ……、あんた……。名前は……?」


 俺は、ここに連れてきてくれた、髭面の胡散臭い………命の恩人に名前を尋ねた。






 ───この自殺志願者の男は、かすかな糸に縋り……

 そして、人生の旅を続ける決断をした────。






「ん? あぁ……。しゅうだ。………永峰ながみね しゅう

 胡散臭い男は、そう名乗った。



「……んで、彼女が───」

「いなさです。天護あまもり いなさ」


 ウエイトレスの女は、紹介される前にすかさず、そう答えた。




 …………………




 ここは、

 雨宿り処~『異邦人』


 人生という旅をする者の、ひとときの休息の場所

 そんな思いを込めて、作られた


 今日も、ここを訪れる者たちに、

 一時の休息やすらぎを供するために…………

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