第3話 意外と多い

「おや、奥様……。ネットサーフィンでございますか?」


 うふふ、今どきそんな言葉を使う人はいないでしょう。

 まあ、意味は通じるのでうなずいて肯定します。


「ええ、ちょっと……」

「お調べものでございますか? なんでしたら、私もお手伝いいたしましょうか?」


「い~え、ただの暇つぶし。というか………」


 ───私が見ていたのは、ネット上の小説投稿サイトなるものだ。

 ノート端末をひねって、彼にも画面を見せる。


「……物語、でございますか。めずらしいですな」


 そう。

 普段私は、天気予報や地震情報、あるいは気になった名称や言葉の深掘りなどにしかネットを利用しない。

 SNSという交流手段が一般化してもうだいぶ経つらしいが、私はそれらを利用したことはない。ネットのリンクで、たまにそういうところへ飛ばされることはあるが、その先は2~3行眺めておしまいだ。


「世の中には、こんなに小説を書いてる人がいるんですね。あたし、作文とか感想文とか苦手だったから、よくこんなに文字を起こせるわね、って不思議なのよ」


「ははぁ、なるほど」


 そう言って、会話のお相手──松原さんは、頷いている。


「それは同感ですな。ですが、奥様の長電話も中々のものでございますよ? いつも感心しております。よくぞ、あれだけの話題が湧いてくるものだと……ほっほっほ」


「ごほん、松原さん……?」

「ははは、これは失敬」


 からかわれたような気が、しないでもありませんけど、まぁいいでしょう。

 たしかに───。


「……あれを、全部文字に書き起こせば、小説一本分くらいにはなるかもね」


 話すだけなら、それこそ数時間だろうが一日だろうが、話題が尽きない自信はある。もちろん、その殆どは中身の無い話に終止してしまうだろう。

 逆に中身のある話を一時間もしていたら、流石に私でも頭がオーバーヒートするだろう。

 ああいうのは、色々話しているようで頭の中は、実はリラックスして休息しているのかもしれない。


 なにしろ私は、一人で居ると余計なことを考えてしまうからだ。

 何もしていないようで、頭は常にフル回転。

 なにか簡単な手作業でもしていないと、それこそ沼に嵌ったような思考にまで陥ってしまうこともあるのだ。


「──おそらくですが、そういった人には話せないあれこれを、こうしてネットに書き出して煮詰まった頭の中を軽くしているのでしょうな。本質的には、ブログやインスタと呼ばれるものと、あまり変わらないのかもしれません」


 小説サイトをつらつらと興味深そうに眺めていた松原さんは、そう言って自身の感想を述べていた。


 なるほど。

 そう考えれば、無限に物語が湧いてくるのも、なんとなく納得できてしまう。


 実際に、読み物として歯ごたえがある作品というのは、10本に一本も出会えない。本職ではない者が書いているのだから、それは当然とも言える。

 だが、本職の書いた「小説」というものは、あれはあれで読み始めるときに、どっこい腰を据えないと読めないようなも伴っているのもまた事実。

 それらに比べれば、このネットに漂う有象無象の作品群というのは、たしかにとっつきやすく読みやすい。

 おまけに、無限とも言える数がある。その中を、文字通り「泳いで」いれば……必ずと言っていいほど自分好みの作品に出会えるものなの。時間を持て余しそうな時の、最高の楽しみを得た気分だったのよ。


 とかく、インスタントにコトを済ませるこのご時世。

 一昔前は、ネットで出会いを求めるなんて、と軽蔑さえしていたのだが、今では当たり前の様相さえ見せているのだ。


 そう言う意味では、私もそのうち時代遅れのおばあちゃんになっていくのだろうな、と思ったりもする。


 でも、それについての恐怖は、特段無いといっていい。


 ──世の中には、時代遅れや周囲との孤立が死と同等の恐ろしさ、破局と捉えている人も結構多いような気がする。


 だが私は、色んな経験をしてみて、わかったことがある。

 人間とは、友人などというものは無くたって生きていける。

 本当に、心からわかり合える親友は、居るに越したことはないかもしれないが、知り合い~友人、あるいは職場の同僚、程度の付き合いなら、べつに無くても本質的には何も困らないのだ。その事は、この前のコロナ禍が証明してくれていたから。


 必要なのは、寛容さ。そして、謙虚さ。

 なによりも、相手に善意や見返りをこと。

 それさえ押さえていれば、ある程度なんとかなる。


 心配などいらない、いくら黙っていようと人間は人間を求めて動き回るものだ。私のような人間でさえ、放っておいても知り合いの20~30人は自然発生してしまうのである。


 そして、人間はそれほど薄情で愚かな生き物でもない、ということも今では実感している。



 ────あの日の、彼が……それを気づかせてくれた。



 大切なのは、その出会いを重くもなく、軽くもなく受け止めることだろうか。

 少なくとも、今の日本ならば。


 いずれ、これが通用しなくなる日がこの国にも訪れるのかと思うと、それなりに気は重い。だが、それならそれで仕方がないとも思う。積極的にせよ、消極的にせよ、わたしたちは生きてきたのだから。



 ───からんからん。

 ドアが開き、ドアベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませ~♪」


 松原さんと二人で、客に呼びかける。


「……あ、え……えと…、ひ、一人……なんですけど」

 その客は、不馴れな様子をありありと見せながら、たどたどしく応じる。


 若い女性……私よりはだいぶ年下かしら?

 ……ずいぶん、おどおどした人だ。


「はい、一名様ですね。お好きな席へどうぞ」

 松原さんが、その客に応対し席をすすめる。


 私は、グラスに麦茶を注いでお盆に乗せ、その女性の席へ持っていく。

「ご注文は、お決まりですか?」


 まだオーダーは決まっていないだろうが、いちおう声をかけてみる。

 すると、

「あ、そ、その前に……電話借りたいんですけど……?」


 おや、珍しいオーダーだ。


「はい、あちらにございますよ。ご自由にお使いください」

 そう言って、店の隅にある電話スペースを示す。洋風の電話ボックスに似せた空間だ。


 本来ならピンク電話こうしゅうでんわのようなものを設置するべきなのだろうが、あれはあれで管理が面倒だったりするのだ。

 その上この店には、やんごとなき事情を抱えた者も多く訪れる。この店は、そういう人を受け止める、という役目も帯びているのだ。そういった、この店のオーナー自身の考えもあって、店舗で引いている業務用電話の子機に当たるものを、客に直接使わせているのだ。もちろん、電話番号は別個に割り振ってある。


 理由は単純明快。

 電話料金がかからないからだ。


 電話をかける小銭すら持っていないという場合も多いし、必要にかられて長距離・長時間通話になってしまうこともある。

 IP電話であれば、その辺の問題はさほど気にしなくて良いからだ。


 それにしても、

 設置しておいて何だが、珍しいかもしれない。


 今どき、携帯電話もスマホも持たずに、喫茶店の公衆電話を使う……。

 一体、どのような事情があるのだろうか。


 なるほど、こういった何気ない日常からでも物語は始まるのかもしれない。

 せっかくですから、あの女性をそれとなく目で追いながら観察を続けてみることにしますわ、ふふふっ。


 そして、その女性は電話をかけ始めた。

 すると、


 ぴりりりり……


 どこかで微かに、電話の呼び出しを知らせる電子音が聞こえる。


 ……お客さん同士の電話かしら?

 待ち合わせ、とか?


 すると、

「───はい、永峰です」

 という声が、店の奥から微かに聞こえた。


 ──え? 永峰さんの、お知り合い?


「あ、あ、あの……、今……お店に着いた……んですけど?」

 先程のおどおどした女性が、やはりおどおどした口調で告げている。どうやら、ここで待ち合わせをしていたようだ。


 あらあら。

 お店で、しかも勤務中に逢引とは、大胆ですわね?


 などと、普段は気にもしたことのないような店の風紀について……少し腹が立ったりしましたのよ、あたし。これは、あとできっちり問い詰めておかないといけませんわね?


「……あ、はい。……ほんとに来たんですね?」

 そう答えた永峰さんは、何だが若干驚いたような、引いているような。そんな、変な雰囲気を出していた。


「き、来ますよ、それは……! ちゃんと、お話ししてくださるんですよね?」

 一方の女性の方は、なんだか先ほどとはうって変わって、すこし興奮しているような感じなのだけれど……。


「はぁ……。それは、まぁ……。で、どの席ですか?」

「窓際の、一番奥の席です。電話の前の……」


 まぁ……。

 今日はお客さんも少ないですし……。

 大目に見るとしましょうか。

 ちょっと、顛末も気になることですし……? おほほ……。


 すると、少しあってから緊張気味の表情をした永峰さんが、お冷を持って先程の彼女の前に歩み寄っていった。


「おまたせしました……ミツミネです」

「えっ!?」


 彼の登場に、女性の方は驚いた顔をしている。

 ミツミネ……?

 偽名かしら?


「あ、あの……。御本人さんだったんですか!?」

「えぇ……まぁ」


 それから彼は、女性の前の席に座って長々とおしゃべりを繰り広げていた。

 最初は遠慮がちだった彼女も、段々と興が乗ってきたらしく饒舌になっていった。時折興奮したように、拳を握りしめたりして───。


 ……………………


 それからしばらくして、彼女は店を後にしていった。


 話の中味を、ちらちらと盗み聞きしていたところ………

 どうやら、女性の方は先程私が見ていた小説投稿サイトに、作品を掲載しているユーザーの一人だったらしい。そして、永峰さんはその作品を読んで感想を投稿したという関係だったらしいのだ。


 そこまでは分かったのだが───


「なんで、直接会うことになったんです?」


 あたしは、あの女性客がお帰りになった後、遠慮なく彼にその疑問をぶつけていましたの。ええ、もちろん嫉妬とかじゃありませんことよ?


「いや、それが。物語の中の描写に、この店とそっくりな場面が度々出てくるんで……。もしかして、と思って質問してみたんですよ」


 ははぁ、なるほど。そういうことでしたの。


「あら、そうでしたの? でも、特定されるようなことを書き込むのって、危険じゃありません?」

 少し、心配になってそんなことを尋ねていた。


「えぇ、だから……肝心な部分はぼかして記入してたんですけど……。その……」


 彼は、急にもじもじしだした。

 こんな、表情をするのは珍しいかもしれない。


「その、なんですの?」

 重ねて聞くと……。


「す、すみません……。これは……その……勘弁して下さい」

 どうやら、言えないことらしい。


 ふぅん。そういうこと?

 そっちがその気なら、あたしにも考えがありましてよ?


 彼女マダムは一旦、その場はそれで収めておいた様子だった。



 ……………………



 後日、上機嫌なマダムの姿が店で見かけられた。


 松原さんに頼んで、ネットの更新履歴を当たってもらったところ、発見したのだ。

 昨日あわてて、ユーザーネームを変更したようだが、例の小説投稿サイトにて「ミツミネ」名義で残したとされる感想や投稿文が見つかったのだ。


 そこに書かれていたのは……。

 ミツミネ名義で書かれた、永峰さんの赤裸々な思い。


 ……そう、わたしに好意を寄せているのがありありと分かる、そんな内容だったのだ。お店での、仕事の最中にふと視線を向けるその時の、感情、しぐさ。そう言ったものが、彼女の描いた創作の物語の中の描写とリンクして、心を踊らせていた様子など。


 先日の彼女は、時々来店した際の私達を見て物語の着想を得たらしいのだ。そして、私や永峰さんをモデルにした人物を登場させてくれていたのだ。あのあと、私もその彼女が書いたという物語を堪能して、心満たされた気分に浸ることが出来ていたのだ。


「うふふふふっ♪」


 マダムは、笑みを絶やさない様子で今日も接客をしている。

 そんな様子を不思議そうに見ながらも、永峰はいつもどおり店の手伝いをしていた。


 それにしても………。


 ネットの世界は広大だと思っていたのに、こんな間近で現実に遭遇することもあるのね。案外油断ならない……けど、それもまた面白い。


 先日の彼女は、そんなお店の日常の風景を眺めて、物語にしたためていたのだろう。

 自分が、知らず知らずのうちに物語の登場人物になっていたなんて……。

 そして、物語の中で彼はずっと大胆に積極的に私にアプローチしてくれていたのに、現実の彼ときたら───。


「遠慮なんか、しなくてもいいのに」


 マダムは、そう独り言をこぼして苦笑していた。

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