第2話 義理チョコ百花繚乱
「───実は、せっかく用意してたのに常連のお客さん、今日に限って一人もいらっしゃらなくて。すごく、悲しかったんですの……。よかったらこれ、貰ってくれませんこと?」
「そ、そう言うことでしたら……有り難く頂戴しますよ、ははは」
妙齢の御婦人に、義理とはいえチョコレートを手渡されて満更でもない風な顔をした男が、また一人、会計を済ませて店を後にした。
からんからん……♪
いつものように、ドアベルの音が客を見送る。
店の
それは、手持ちの義理チョコを、全て別個の理由で誰かに受け取らせる、という変な課題。
ただ単に渡しただけでは、芸が無い。
その上、無作為で配っていると思われては、受け取った方も面白くないだろう。
それに、これは
………やけに、実感のこもった話し方だったけれど、彼の実体験なのかしら?
義理でも何でもいいから貰えるだけ貰いたい、という単純明快で明るい人ばかりならいいのだが、世の中そう単純ではない。
それでも
───まぁ実際の所、
私自身は、バレンタインデーに関しては全く必然性を感じていないのだけれど……。
先日、商店街に行ったときにバレンタインセールをやっていて、そこで立ち止まったのが運の尽き。立ち止まったのが偶然知り合いの店の前で───店主でもある奥さんに呼び止められてしまって、話のついでに大小織り交ぜてごっそり買わされてしまったのである。
まあ、少しずつ食べれば食べきれないという量でもなかった。だがそれらの中には、普段から売っている板チョコやチョコレート菓子に混じって、ちゃんとラッピングがされている本格バレンタイン仕様のものも含まれていたのだ。
さすがにそれを、自分で包みを開けて食べるというのは、どこか寂しいものだと感じてしまう。
若い頃、片想いだった人に渡せずに、結局自分で食べて処理した時の思い出が蘇って、ちょっと切なくなってしまうのだ。
「───今日ご来店の方に、ラッキーカラーを添えさせて頂いてるんですの。チョコの方がおまけみたいなものですわ」
次に来店した男には、そんな声をかけた。
「───あたしにも、息子がいたのよ……。生きていれば、丁度あなたたちくらいかしら、ふふふっ。あ、あら……ごめんなさい。こんなおばさんの涙なんか、嬉しくないわよね……。でも、もし同情してくれるんだったら……受け取ってくださらないかしら?」
次に現れた3人組の学生風の男たちには、そんな作り話までしている。
──マダム、息子いるのかな?
そこまで深くは聞いたこと無かったけど。
マダムの様子を、ちらりと覗いた永峰は、そんなことを考えながらまた店の外へ出ていって何かしらの作業を始めた。
「───あら~社長さん! お久しぶりねぇ、なんだか今日は会えるんじゃないかと思って用意してたんだけど、良かったわぁ!」
歳を取って引退した社長らしき老人には、そんなことまで言っている。
彼女はその後も、結構な数のチョコレートを配っていた。ちゃんと、別々の理由というか作り話を添えながら。
話術師、と人に言われるほどぽんぽん話題が飛び出す彼女だが、自身のことは話下手と評しているのが面白い。あるいはそれすらも、話術なのかもしれないが。
からんからん……♪
「いらっしゃ……あら、松原さん。今日は早いわね?」
「おはようございます。あ…いや、もうお昼近いですかな? こんにちは、奥様」
そう言って店に入ってきたのは、非常勤店員の松原さん。
彼は、弁護士事務所を引退したあと、この店を手伝ってもらっている。
実際は、引退ではなくこの店のオーナーが無理やりこちらを手伝わせているような状況なのだが。
そのため、彼には少々申し訳なかったが、それでも彼は喜んでこの仕事を引き受けてくれた。
まぁ、先日のようなケースはそうそうあるものではないのだが、珍しい事かと言えばそうでもない。有り体に言って、この街はその手のトラブルの名所にすらなりかけていたのである。
「今日も、お店の奥をお借りしますぞ?」
松原さんはそう言って、店の奥の窓際にあるテーブルに行き、商売道具のあれこれを広げて、書類整理を始めていた。
「はい、どうぞ~。お店のお手伝いの方は、お客さんの様子を見ながら適当にお願いしますわね」
彼も、一応はフロアスタッフ扱いであるのだが、客がひっきりなしに多いとは言えないこの店では、そこまでの人手が必要になることは稀だ。むしろ……
からんからん……♪
「いらっしゃいませ~、お席へどうぞ」
席への案内を受けても、着こうとしない客がいる。これは……。
「あ、あの……」
「はい?」
若い女だ。
やけにオドオドしている。
「……ここで、相談に応じてもらえる、って聞いてきたんですけど。お願いできますか……?」
「はいはい、出来ますよ。ほら、ちょうど弁護士の先生いらっしゃったところですからね。奥へどうぞ~」
にこやかにそう言って、マダムは客の女を松原さんのところへ案内する。
……この店は、こういった客が訪れることも多い。
正式な弁護士事務所などというところは、たとえ用があっても足を運びたいところではないだろう。そう言う意味もあって、ここでは無料相談と称して松原さんが随時来店者の相談に応じているのだ。
「あ、よかったらこれどうぞ。頭を使うときには、甘いものが良いですからね」
そして、さりげなくチョコレートも手渡していた。さすが、そつが無い。
それからしばらくして、相談者の若い女は店を後にして行った。
来店したときとは、別人のような明るさで、朗らかに帰っていったのを確認し、マダムはまた客の応対を始めた。
「お疲れ様、松原さん。甘いものは大丈夫かしら?」
「あぁ、はい。チョコレートは好きですとも、ありがたく頂戴いたします」
松原さんにも差し上げたし、残りもだんだん少なくなっちゃった。
これでは、午後から来るお客様に渡す分が足りなくなってしまうかもしれない。
マダムはふと、そんな事を考えていた。
消費するために配っていたのに、足りなくなると考えるのも妙なものだが。先着順とはいえ、あとから来たお客様に何も無いというのも気が引けるような。
「あ……臼田さんにも差し上げてこようかしら」
しかし、今度はそんなことを言いながら、またチョコレートを一つ手に持って店の裏へと出ていった。
「あぁ。居候の彼……今日はお休みでしたか。どうです、様子は?」
作業が一区切りした永峰が、松原の向かいに腰を下ろして、珈琲を飲んでいる。その彼に、問いかけているのだ。
「えぇ、かなり前向きになってますよ。心配いりませんね、あれなら。もともと、仕事熱心で人が良すぎたのが仇になってただけですからね。黙って仕事に向かってれば何の問題にもならなかったんすよ。隣人と云うか、周囲の人間に恵まれなかったんですね、きっと」
────話題の主は、名を臼田といって、先日永峰が近所で拾ってきて相談に乗ったあの男だ。元は、左官屋であったらしい。
仕事の腕もそこそこいいのだが、運悪く悪徳元請け業者に騙された上、隣人トラブルにも巻き込まれたりして、心身を疲弊させてしまっていたのだ。
その辺の絡まりあった人間関係を一度リセットさせてやれば、充分社会復帰できる男だ。実際、トラブルをこちらで引き受け仕事を与えたあとの彼は、人が変わったように毎日勤勉に働いている。
何事も、考え過ぎは良くないということの現れ、のようにも思える案件であった。
この店の倉庫の二階は、従業員用の宿舎にもなっていたのだが、今ではこうした行き場のない人間の一時避難所として活用している。彼、臼田もここで最初の給料をもらったら、アパートを借りて自力で頑張ってみると言っていた。いずれ、ここを去っていく日も近いだろう。
そうこう話しているうちに、マダムが裏から戻ってきた。
「さて、俺も仕事に戻るかな」
永峰は、そう言って自分のコーヒーカップを持って、また何かしらの作業をしに出ていった。
……………………
「お疲れ様でした~」
今日の営業も終わり、っと。
あら、雨降ってきちゃったわね。
お店のレジの締めも完了し、厨房スタッフも帰っていった。
松原さんは先に早々と帰宅していったし、お客さんも夕方には引けていった。
チョコレートも、ちょうどよく完売したし、概ね予定通りの一日だったわね。
すると、まだ店に残っていた
「お疲れ様です、いなささん」
「はい、お疲れ様」
彼は、いつもそっけない。というほどではないけれど、営業中はあまり話しかけてきてくれない。もっと気軽に話してくれてもいいのに。どうも、従業員と主人という立場が邪魔をしているらしかった。
真面目なんだから、もう。
だが、いつもならゆっくりと珈琲を飲んでから帰っていく彼が、何故か今日は手持ち無沙汰のように、その辺で立ち止まって外を見ている。傘を忘れてきた、とかじゃないみたいだけど。
ははぁ……ん。
私は、ピンと来た。
……本当は、私が店を出る時にいろいろ話しながらさり気なく渡そうと思ってたんだけど、このままだと渡しそびれちゃうわね。
そう思って、用意しておいた物を取りに、厨房の隅へ行く。
────────
はぁ………。
臼田のやつまで貰ってたのに。
俺には、無しか……。
まぁ、義理だし客優先ってのはわかるが。
────ふっ……子供か、俺は。
くだらんこと考えてないで、さっさと帰ろう。
「すみません、じゃあ……お先上がります」
店の奥に引っ込んでいったマダムに、そう声をかけて俺は店を出ようとする。
「あ、まって。
お……?
俺は、待ちに待ったマダムの言葉に嬉しそうな顔をしないように、頑張って振り向く。
すると、そこには……。
変なものを持った、いなささんがいた。
たぶん、俺にくれるつもりのものだろうとは思うのだが。
「うふふ、舟さんには特別に、これ作ってきたんですよぉ~。受け取っていただけますわよね?」
そんな事を言っている。
だが、普通のチョコレートではないだろう。
明らかに、サイズがでかすぎるからだ。
「………なんです、これ?」
俺は思わず聞いてしまう。
「もちろん義理チョコよ。よかったら、食べてね」
はっきりと、そう言われてしまう。
ぎ、義理チョコって。
義理とか本命とかいう問題じゃねえぞ、このサイズ。
ひょっとして、何かの嫌がらせか?
はからずも、内心欲しかったものではあった。しかし、予想外の言葉とそれにそぐわない大きさに、俺は判断に窮してしまう。
これは、どうすれば良いのか。
いや、受け取らないという選択肢は無いのだ。
それは間違いない。
「あ、ありがとうございます。つか、でかい……っすね?」
おれは、顔を引きつらせながらも、そのバスケットに入った巨大なチョコレートと思われるものを受け取る。ずっしりとした手応えがあった。
「うふふふっ。材料、余らせちゃうと勿体ないから、ごめんなさいね? 押し付けたみたいで」
そう言って、すこし済まなそうな笑顔を向けられる。
そ、その顔はずるいって。
俺の気持ち、知ってるくせに!
「いえ、じゃあ有り難くいただきます」
俺は、そう言ってそれを受け取り、雨を避けるように小走りで車に乗って店を後にした。
……………………
───家に帰って、包みを開けたそこには……。
巨大なチョコレートケーキが現れ、こともあろうに表面には、
『本命♡』
と、達筆な文字がホワイトチョコで描かれており、
永峰は、ますます意味の判断に苦悩することとなった。
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