第5話 門番

『───今月は、何人いましたか』


「16人……いや、昨日の入れて17人かな? 割と少なかったぜ」


 俺、永峰ながみねしゅうは今朝からの雨が小降りになったタイミングを縫って、店の外の入口から少し離れた軒下で、スマートフォンを片手に通話をしている。

 電話の相手は、この店のオーナーだ。

 今俺は、今月のとなる実績報告をしているところだ。


 このは、殆ど口頭の自己申告制である。言ってしまえば数字など、どうとでもなるようなものだ。証拠も提出できないので、対外的な意味では杜撰ずさんも良いところだろう。


 だが、だからこそ誠意を持って誠実に、そして正確に伝えることを、俺は絶対の掟として自分に課している。信用でしか、この関係は成り立たない。


 ───能力、実績ではない、信用だ。


『なるほど、17人。……そのうちで、実際にを施したのは何人でしょうか?』


 電話の相手は、重ねて聞いてくる。


「2人だな」

 この質問には、即答できる。なにしろ掛けた労力が、他の比ではないからだ。記憶にも印象にも強く残る。


「───そのうちの一人は、まだこっちで身柄を預かっている。まぁ、大丈夫だろう。素直で素性の良いやつだ。そのうち社会復帰できるだろう、心配要らない。ああいうのだけなら、こっちも助かるんだがね」


 電話の向こうで、ガリガリとボールペンを走らせる音が聞こえてくる。

 いつも思うが、オーナーは筆圧の高い人間らしい。最後に、ジャッと何かを◯で囲んだような筆跡音がした。


『……ふむ。でしたら、特別手当は2人分、それから通常手当を17人分、振り込んでおきます』


「ああ……どうも」

 さほど、感慨もなくそう答える。


『じゃあ、永峰さん。今後とも、よろしくお願い致しますよ───』



 …………………



 俺のこの店での役割、いや、このでの役割は───いわゆる、門番ゲートキーパーと呼ばれるものだ。


 俺の前任者だった男は、自ら命を断ったらしい。

 門番が、自ら門をくぐっちまう。こればかりは、どうにもならん。止められるやつもいないだろう。


 目の前で、助けられる命を助けられなかった罪悪感と責任の重圧に、耐えかねてなのだろう。やってみてわかったことだが、責任感の強いやつには、この役目は逆に無理だろうと思えるのだ。


 ────だが、それらは俺の重圧や罪悪感にはなり得ない。

 実際、俺がこの任に就いてからでも、この地じゃ既に二人死んでいる。


 そう言う意味では、俺は適任だろう。

 持ち前の、軽薄な感性と無責任さ。他人が死のうとなんとも思わない、無関心さ。


 なによりも根本的な部分では、

 俺自身が、自殺を悪いことだとは思っていないからだ。


 もちろん社会的に容認できる事ではないというのは、俺でもわかる。おすすめできることでもない、ということも。

 こんな俺でも、死のうと思っている人間に「どうぞ、ご自由に」と言えるほど面の皮は厚くないし、そこまで根性も座ってはいない。一欠片ほどの罪悪感は、俺にも残っている。


 それどころか、自殺した人間についてべらべらと噂にしたり、事実を軽く扱ったりしている奴を見ると、心底腹が立つ。矛盾している、屈折していると言われようが、実際そうなのだから仕方がないだろう。


 俺が、この役目に付いた理由の一つが、それだった。


 ───東京から田舎に帰ってきて、吹かせる奴というのは、往々にしているものだ。それ自体は、気にしていなかった。


 だが、そいつ等がよく言う列車の人身事故の話。


 これだけは、どうにも聞いていてはらわたが煮えくり返る思いがしてならなかった。

 そいつが、この話をするときには、決まって薄ら笑いを浮かべていることが多い。いわゆる、ドヤ顔というやつだ。さも、日常的に起こる滑稽な話として、田舎の人間に話しているのだ。まるで、より悪いことをしたヤツがヒエラルキーの上位になれる糞餓鬼の論理のようで、我慢がならなかった。


 言っていることに間違いはない。

 事実として、そいつらも迷惑を被った側であろうこともわかる。


 だが、忘れてならないのは、そこで一人の人間が自ら命を絶ったという事実である。


 日常的に、ほぼ毎日起こるそれらの

 俺も、人並みに東京で働いていた頃は、それこそ人身事故で列車が停まり、乗れなくなった人がホームにごった返すところも遭遇したことがある。そこで耳に入った、大衆の無関心と、軽薄で無思慮な言動の数々が───今も忘れられないのだ。


 彼らにとっては、一人の人間が自ら命を絶ったということよりも、電車が遅れて家に帰るのが数分遅れるという事のほうが、重要で重大なことなのだ。


 他人の命だ。

 それも、聞いたことも会ったこともない、赤の他人だ。

 そこに心を寄せろと言われても実際、無理だろう。

 おまけに、連日起こるさほど珍しいことでもないというのだから───

 俺が、他人の死に無関心なところと通じる部分でもある。


 だが───、

 そこに、俺自身とそいつら大衆との間で決定的に違う何かを……俺は、感じている。


 それが何か、未だにはっきりと答えは出せていない。

 俺は、それを知るために、見つけるために門番こんなことをしているようにも思うのだ。


 だが、一方では自らの命の去就を自分で決するということはの権利であり義務だとも思っている。

 誰かに自死を止められたからと言って、そいつがその後の人生を幸せに生きていけるとは限らないのだ。ときには、死ぬことが唯一の救いと定義してしまう心境、というのも理解できる。


 ────この世間……この現代は、BJブラックジャックではなくキリコの方を渇望しているのかもしれない、とも思うのだ。


 俺のやっていることは、自殺希望者かれらにとっては邪魔でしかないだろう。

 これは、他人の権利を阻害していることでもあるのだ。だから俺も、その対価くらいは払って然るべきだろう。

 もしそいつ等が、代わりに俺に死んでくれと言ったなら、俺は迷わず「いいよ」と言うだろう。

 そう考えると、門をくぐった門番の気持ちも、少しわかるような気がする。


 だが、こんな俺以上に安い命が世の中にあるとも思えない。

 それだけは、自信を持って言えるのだ。


 勿体ないだろう? 単純に。


 生きていればこそ、笑えることもあるのだ。

 俺がここに、流れ着いたように───。



 ………………………



「あら、しゅうさん。今日は、こっちのお仕事?」


 店の女主人マダム天護あまもりいなささんが、俺に声をかけてくる。

 店に入る前に、携帯電話で報告を済ませていた俺を目ざとく見つけたのだろう。

 わざわざ、店から出てきて声をかけてくるのだから、ずいぶんな気の回し様だ。


「ええ、今日の地域巡回は、他のやつが行ってるんで────」


 俺は、携帯を仕舞ってから、彼女について店に入っていく。

「じゃあ、今日はフロアの方やってもらおうかしら。多分、お客さん多いと思うから♪」


「……ぁあ、苦手なんだよな、フロアの仕事は……。モップ掛けだけじゃ、だめですかね?」


 俺が、少々困り顔でそう言うと、

「お客さんのいるところで、モップがけはだめよ? いない時ならいいけど」

 彼女は、つれなくそう言う。


 ……いないところでやっても、接客サボる言い訳にならないから意味ないんだよなぁ。


 などと、不埒なことを考えていると、

「舟さんを目当てで来てるお客さんもいるんだから、ちゃんと接客してくださいね?」

 そんなことを言われる。


「ぇえ? そんな奴、いるかねぇ……?」


 ありえねぇ……。

 どこの世界に、こんな怪しくて無愛想な店員に会いに来るやつがいると言うんだ?


「ここにいるじゃない?」

 そう言って、そっと俺の腕に女主人は手を添えた。


「店の外で言ってほしいものですね」

 俺は、あえてそう言ってはぐらかす。


 ちらりと覗き見た彼女は、俺の方を見ていた。

 そして、軽く笑い合う。


 ………ここで、彼女とこうして話すことができるという体験は────。

 俺以外の人間にとっても、かけがえのない時間だと思う。


 断言しよう。彼女を失うことは俺の命100人分よりも重い、世界の損失だと。

 彼女を、引き留めたことは俺の、最大の功績と言えるだろう。


 だが、その成果に思いが至るのは、俺だけで構わないとも思っている。


「もぅ……そう言ってていつも、外じゃ会ってくれないじゃないの~!」

 俺の腕を引っ張り、彼女は抗議してくる。


 ────別に、対価を求めたわけじゃない。

 俺は、単純に彼女に生きていてほしかったんだ。

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