後編

 あと少し。

 あの角を曲がれば待ち合わせ場所のカフェなのである。


 とはいえ、待ち合わせ時間まで、あと一時間ある。彼は、待ち合わせ時間の一時間前に到着して、真知子が来るのを待つつもりだったのだ。


 というのも、毎回、真知子の方が先に着いているからだ。五分早く着いても、十分早く着いても、二十分早く着いても、彼女は常に先にいた。


 このままではまずい、と恭太は思った。

 確かに彼はこれまでも、待ち合わせの時間なんて守ったことはなかった。しかしそれは真知子以外の女性の場合であって、真知子とのデートについては一分たりとも遅れたことはない。けれども、どうしても彼女を待たせることになる。


 ならば、一時間だ。


 そう思ってのいまである。

 

 角を曲がり、これでどうだ! とカフェを見る。


 いない!


 恭太は大きくガッツポーズをした。

 あとは、彼女が来るまでに汗を引かせて、乱れた髪を多少整えればOKだ。そして――、


「これで、良し、と」


 鞄の中から眼鏡ケースを取り出し、眼鏡を装着する。普段はPC作業をする時くらいにしかかけないやつだが、いわゆるおしゃれ眼鏡ではない。どちらかといえば、野暮ったい印象を与えるようなデザインのものだ。


 何せ、俳優並みのルックスを持つ白南風恭太である。彼が一人で立っていれば、まず間違いなく逆ナンされてしまう。複数の女性に取り囲まれることもあるし、カットモデルのスカウトはもちろんのこと、何なら、芸能界のスカウトのパターンもある。

 

 それだけはあってはならない。

 というわけで、彼の美貌を軽減させるためのアイテム、というわけだ。


 アイテムが功を奏し、心穏やかに真知子の到着を待っていると――、


「あ、あれ? しらは――」

「恭太」

「すみません、恭太さん」


 走って来たのか、真っ赤な顔で真知子がぺこりと頭を下げる。


「えっと、あの、お待たせしてしまったみたいで」

「いや、いま来たとこ」

「そうなんですか?」

「ごめん、若干嘘。十分くらい待った」

「ええ、そんなに! 申し訳ありませんでした!」


 あわあわと何度も頭を下げる真知子を「良いから良いから」となだめる。


「むしろいつも待たせてんの俺の方じゃん」

「私は別に待つのが苦ではないというか、その、待つ時間も楽しいので」

「待つの好きなの?」

「好きというか……。し、恭太さん必ず来てくださるので」

「そりゃ来るでしょ。来ないとかある?」

「え、と。前に、顔合わせの時来なかった方が――むい」

「ストップ。やっぱ良い。俺から振っといてアレだけだけど、他の男の話すんな」


 真知子の小さな唇を指先で、きゅ、と優しく摘まむ。ほぼ無意識にそうしてしまってから、慌てて離した。


「ごめん、口紅塗ってたよな」

「それくらいは、塗り直せば。それより、し、恭太さんの指が汚れちゃ」

「汚れるとかないから」


 指先に付着したのは、ベージュカラーの口紅だ。イエローベースの彼女の肌に馴染む、控えめなカラーである。それをペロッと舐める。外資系ブランドにありがちな独特の香りや味付きのものではない。彼女の堅実な性格から推察するに、おそらくは、パッケージ等に余計なコストをかけていない国内メーカーのものだろう。


 出会った頃は薬用リップを塗るのみだった彼女の唇はいま、彼の前で薄く色づくようになった。婚活中もそうしていたのはわかっている。男性と二人で会う時にはそうしていただろう。けれど、あの時の、義務感に駆られての化粧ではないはずだと信じたい。


「舐めちゃ駄目です! 美味しくないですから!」

「確かに。これ単体では駄目だな」

「単体?」

「マチコさんの唇なら美味しい」

「えっ」


 白南風さん、外ですよ、と名前を呼ぶ余裕もなくなった様子の真知子が、顔を真っ赤にして手をぶんぶんと振る。


 そんなことはわかってる。


 コメディ全振り予定のKACのはずなのに、これまでの反動でか、俺様フルスロットルの白南風恭太である。


 真知子の腰に手を回し、抱き寄せる。きゃっ、と彼女が小さく叫ぶ。その顎に手を添え、彼の唇を――、


「「「「「「「あらあらあらあら!」」」」」」」


 ここまで振り切ったコメディ短編だけでしか絶対に使わないと心に決めている「」の多重表記である。ラノベだろうがなんだろうが、この表記は今後もこの手の短編でしか使わない。


 とにもかくにも、七つの声が重なった。


「ちょっとちょっと白南風ったら!」

「マチコちゃん困ってるじゃないのよ!」


 息ぴったりに『山山コンビ』が言葉を繋ぎ、


「マチコちゃんもマチコちゃんよ! 流されっぱなしじゃ駄目! じゃないと、夫の書斎はあるのに『奥様にはキッチンがありますから』とかわけわからないこと言われて個室がもらえなかったりするの。キッチンは妻の部屋じゃない!」


 と笹川が恐らく自身の体験談を絡めて大きくため息をつく。

 

「まぁ白南風君が強引な俺様なのはいまに始まったことではないけど、白南風君色に染められ過ぎも禁物よ? ただまぁそのシャンプーは当たりだと思うわ」


 橋本が真知子の髪を見つめながら何やら納得したようにウンウンと頷く。 


「そういうのはね、建物の陰に隠れてするところに趣があるの。人目を忍んでのキス、これぞBLの王道――あっ、二人はBLじゃないや」


 どこからか取り出したネタ帳(原薔薇ヒバリと名前が書かれている)をパラパラとめくりながら小林がブツブツと言い、


「いやいや、ここでぐっと耐えてこそ、二人きりになった時に燃えるのよぉ!」


 真壁が両拳を握り締めて吠える。


「マチコちゃん、ウチ、育休制度も整ってるから、安心してね! 詳しくは総務課の吉川さんに聞いて!」


 と、安原が福利厚生についてアドバイスする。


「み、皆さん……!」

「ちょ! 皆さんどうしてここに!? もしかしてこそこそ後をつけて……!?」


 突然の全員集合に、真知子も恭太も驚きを隠せない。


「やぁねぇ、こそこそ後をつけるなんて、人聞きの悪い。――ねぇ、みんな?」


 ほほほ、と上品ぶった笑いと共に、真壁がパタパタと手を振る。


「そぉよ」

「あたし達」

「ちゃんと」

「堂々と」

「後ろを」

「歩いて来たんだから!」


 それを後をつけると言うのでは。

 堂々とやればOKとかではなく。


 しかしおばちゃん達は自信満々である。


「「「「「「「我ら、マチコちゃん見守り隊!」」」」」」」


 最後はビシッとポーズまで決めてみせた。いつ練習したんですか、と突っ込む気力も0である。


 けれど、自分の可愛い婚約者が職場でここまで可愛がられてることに関しては、まんざらでもない恭太である。


 ただ、出来れば、自分も込みで見守ってくれないだろうかと願うばかりであった。

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【KAC2024⑧】貝瀬学院大学学生食堂の7人のおばちゃん 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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