【KAC2024⑧】貝瀬学院大学学生食堂の7人のおばちゃん

宇部 松清

前編

 白南風しらはえ恭太きょうたには三分以内にやらなければならないことがあった。

 

 かの邪知暴虐じゃちぼうぎゃくの王を除くとか除かないとかではない。

 三分間しか戦えない光の巨人の話でもないし、カップ麺が出来上がる時間も何ら関係がない。


 あと三分以内に待ち合わせ場所に行かなければならないのである。


 ここ最近忙しくて、休みなんてあってないようなものだった。諸々がひと段落し、やっと取れた休日だ。となれば、もう可愛い婚約者とデートするっきゃないのである。


 大学を無事卒業し、助手として働き始めたは良いが、来る日も来る日も、詰めの甘い学生達のレポートやら論文やらのチェックや、自分のことを便利な小間使いだと思っているであろう面倒な上司からぶん投げられる、「それくらい自分でやれ!」と声を張り上げたくなるような仕事に追われ、なかなか自分の研究が進まない。そんな彼のささくれ立った心を癒してくれるのが、婚約者である『沢田真知子』の存在なのである。


 だから恭太は、何が何でも三分以内にそこへ到着しなくてはならないのである。


 しかも昨日は酷かった。


 学生達が企画した、他校との意見交流会である。といっても、蓋を開けてみればただの合コンだったのだが。まさかそういう目的であると思わず、アドバイザーとして参加させられた恭太はたまったものではない。真面目な会かと思い、可愛い学生達のためならばと張り切ってあれこれ準備してやったというのに、派手なメイクをし、何やら露出の高い服を着た女子学生が「さすがですね」「知りませんでした」「すごいですね」「センスいいですね」「そうなんですね」と合コンにおける「さしすせそ」を駆使してすり寄って来るのである。


 お前、その『さしすせそ』はこの場で使うやつではないだろ。さすがと言われるような知識を披露した覚えはないし、基本事項を「知りませんでした」はヤバいぞ。「すごいですね」「そうなんですね」っていま知ったのか? この場で?! それに「センスいいですね」って何に対して?! とりあえず、君らもう話さないでもらえるかな?!


 化粧も髪のセットも好きにすれば良いし、そんなに見せたいなら胸の谷間だって勝手に晒してろとは思うが、それは学生として最低限やることをやった上での話である。恭太だっては決して褒められた学生生活ではなかったかもしれないが、それでもやることはやっていた。この場合の『やること』というのはもちろん学業の方である。


 だからもうとにかく精神的にギリギリだったのである。これは何としても可愛い婚約者の笑顔で癒してもらわねばならぬ。


 だから恭太は急いだ。


 が。


「あらっ、白南風君じゃない」


 恭太の行く手を阻んだのは、真知子と同じ学食に務める小林恵美(KAC20243『箱』で登場)である。その隣には、パートナーらしき男性もいる。


「ああ、小林さん」

「随分急いでるのね、もしかしてマチコちゃんとデート?」

「そうです」

「そうなのね。あ、そうだ。もうマチコちゃんに指輪贈った?」

「まだですけど。今日チラッと下見に行けたらな、とは。いや、でもなぜ小林さんが」

「あのね、0の数が多けりゃ良いってもんじゃないからね? とにかく、あの箱をパカーンってすりゃ良いんだから」

「え? えぇ?」

「あたしからはそれだけよ。行け、白南風ぇ!」

「え? は、はい」


 何が何やらわからないが、とにかく謎のエールをもらい、恭太は再び走り出した。


 そこへ――、


「あっ、白南風君じゃない」


 今度は笹川美子(KAC20242『住宅の内見』で登場)である。小さな男の子と手を繋いで、「ほら、星音しおん、ご挨拶よ」と促している。ほんの少し腰を落として視線を合わせ「こんにちは」と挨拶をすると、もじもじしながらも「こんにちは」と返してくれた。


「ちょうど良いところで会えたわ。あたし、白南風君にこれだけは言っておこうって思ってて」

「何ですか?」

「住宅の内見って、ほんとたくさんした方が良いわよ、って。確かにウーベンニュータウンは良いところだけど、あそこって、ちょっと職場に近すぎる気もするの。ほら、仕事は仕事、プライベートはプライベートっていうの? 知り合いのナースがね、勤務してる病院の近くに住んでたんだけど、休みの日でも救急車の音が聞こえるとハラハラするって言ってて」

「はぁ。でもなぜいきなり住宅の内見の話を?」

「だってほら、あなた達もそろそろかな? って思って」

「それはまぁ確かにそうですけど。……って、こんなこと話してる場合じゃない! 笹川さんすみません、俺行きます!」

「はいはい、また学食食べに来てね~」


 お兄ちゃんバイバイ、と小さな声を背中に受けて、恭太は再び走り出した。二十七歳でもまだ『お兄ちゃん』と呼んでもらえるものなのか、などとしみじみ考えていると。


「あっ、白南風くーん!」

「こんなところで奇遇ね~」

「どこ行くの~?」


 奇遇にもほどがあるだろ! と叫びたくなる面々である。真壁緑子(KAC20241『三分以内に~』に登場)、山田佳世子(KAC20245『はなさないで』に登場)、そして山岡直見(KAC20246『トリあえず』に登場)の三人が、どうやら某アミューズメントパーク帰りらしく、マスコットキャラがプリントされた土産袋をガサガサと揺らしている。『山山コンビ』に至っては揃いのめがね(フレームの形が将棋駒になっている)までかけて、まだまだ行楽気分のようだ。


「っこ、これから、マチコさんとデートで!」

 

 もはやゆっくり立ち話をしている場合ではない。そうは思いつつも、彼女らは真知子の先輩である。失礼なことは出来ない。そう思って、とりあえずは立ち止まる恭太である。


「あら~、いいじゃなーい。またUBE? そうそう、こないだはお土産ありがとうねぇ。美味しかったわよ、『将棋せんべい』」

「お口にあったようで何よりです。UBEではないですけど」

「あたし達もいま行ってきたの。マチコちゃんへのお土産、いま渡すと荷物になって大変だろうから、週明け渡すわねって伝えてくれる? で、UBEじゃないとすると……、あっ、わかった! UBEアイススケートリンクでしょ!」

「いえ、そこでもないです。ていうか、なぜピンポイントで当てようとするんですか?」

「えぇ? うふふ、何でもないわよぉ~」

「そうよ二人とも。デートの度にそんなところ行ってられないわよ。アレよね? ホームセンターとかで日用品買ったりするのよね? 付き合いたての二人はね、そういう何気ない買い物だってデートになっちゃうんだから」

「いえ、今日は特にそっち方面にも用事はないですね」

「あらっ? そうなの?」


 じゃあ、どこに? と『山山コンビ』が驚きのシンクロ率で首を傾げたが、「こうしちゃいられない! 時間が!」と慌てて彼は走り出した。どう考えてもとっくに三分なんて過ぎてるだろと思うのだが、不思議な力が働いているようで、奇跡的にまだ一分くらいしか経っていない。それがKACの世界である。


 待ち合わせ場所であるカフェまであと少し。恭太は走った。あの角を曲がれば――


「あら~、白南風君じゃない」

「そんなに急いでどうしたのよ」


 一人遭遇したら、残り六人とも遭遇すると思え。それがKAC最終回である。


 残る二名が単独で現れなかっただけ十分良心的な采配であるといえよう。作者に感謝しろ、白南風。最後まで気を抜くな、白南風。現れたのは、言わずもがな、橋本郁恵(KAC20244『ささくれ』に登場)と安原理恵(KAC20247『色』に登場)である。


「ちょっ……、これから、マチ、マチコさんと、で、デートで……っ」


 息も絶え絶えの二十七歳である。

 三十歳からガクッと体力が落ちる、というのは良く聞く話だが、だからといって二十七の体力があり余っているわけではない。


「あらあら大丈夫? あっ、あたし良いの持ってるわよ、栄養ドリンク! さっきそこのドラストで買って来たの。一本どう? 元気一発ウベビタンU!」

「聞いたことないドリンクですね」

「あそこのPB商品なのよ。結構効くわよぉ?」

「いえ、遠慮しておきます」


 ゼイゼイと肩で大きく息をし、勧められた栄養ドリンクを断る。これから数時間は健全なデートをするつもりなのに、色々滾っても困る。


「ちょっとちょっと橋本さん、駄目よぉこんな明るい時間にそんなもの飲ませたら。カラータッチゲームが始まっちゃったら大変じゃない。アハハ!」

「やぁっだ! 懐かしいわね、カラータッチゲームだなんて! アレ、あたしらの子ども時代からあるわよねぇ。懐かしいわぁ! ていうか、こんなところでこんな時間からおっ始まるわけないじゃないの、安原さんったらもー!」


 熟女二人はケラケラと笑い飛ばしているが、明るい時間の屋外で開催されたカラータッチゲームの大会に参加した恭太からしてみれば、ドキリとする話題である。えっ、何? 偶然? と、別の意味で心拍数が急上昇する。というか、さっきから学食のおばちゃん達がやけにピンポイントで、ここ数日、自分達が訪れた場所などを匂わせている気がする。


 えっ。もしかして、全部どこかで見られてたり……?


 恐るべし、おばちゃんネットワーク。


 そう思って、ぞわっとしたが、ただ、見られてまずいような行動はとっていないはず。そう思い直して時計を見る。例のごとく、残り時間はあと一分。これがKACの時の流れである。


「すみません二人とも、急いでいるので失礼します!」


 そう叫ぶや、恭太は走りだした。

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