鯨幕の家

小野塚 

第1話


その土地に全く馴染みはなかった。


最寄りの駅も、ここに家があるか

仕事場があるかしなければ、まず

使う事もないだろう。


元々が、山を切り拓いて造られた

歪な土地だ。主要道路から山側へ

入れば、鬱蒼とした木々が枝葉を

延ばしてすぐ側へと迫る。

 山道を登る貌でぐるりと周って

漸く外界に出られるような、そこは

何とも 奇妙な町 だった。


そしてもう一つ、この町には更に

 奇妙なもの があった。


里山から連なる荒地が続き、民家の

間に畑の残る長閑な田園風景の中、

嫌でも目に入る大きな 屋敷 だ。


 多分、地権者の家なのだろう。


広い敷地の周りには白い海鼠壁の

塀が巡らされ、瓦の乗った立派な

門から屋敷の玄関までは長い道が

続いている。

 五葉松に檜葉、桐、椛に梅。

周りの山と植生が違う庭の木々は

敢て植えられたものだろう。

 敷地の中には塀と同じ海鼠壁の

蔵が三つ。母屋の他には離れと

納屋らしきものがあり、二階建ての

母屋の窓には今どきかなり珍しい

大正硝子が嵌められていて、いつも

白いカーテンが閉じられていた。




ある時、その屋敷を長く囲う塀に

鯨幕が延々と張られているのを

見た。



不祝儀の時に使われる、白と黒の 

線が交互に入った長い垂幕が

まるで屋敷を取り囲むかのように

延々と海鼠壁を覆う。

 やけに青々とした空と、枝先に

枯葉の残る木々の中。そこだけ

白と黒に切り抜かれた 異様 が

容赦なく目を奪ってゆく。


その 不吉な光景 はあまりにも

鮮烈で、つい我を忘れて見入って

しまった。




「あそこは、地主さんか何かの

家ですか?ここに来る途中にある

白い塀で囲まれた大きな御屋敷。 

 誰か亡くなられたのか、葬式の

鯨幕が出ていましたね。

 鯨幕なんて、葬祭場でもなきゃ

目にする機会も滅多にない。

しかも、あの塀を全て埋め尽くす

程の長さですから。

 あんな物凄い光景、生まれて

初めて見ましたよ。」


あまりにも鮮烈な鯨幕の光景を

どうしても誰かに話したくて、丁度

稟議ファイルか何かを取りに来た

女性に早速、話して聞かせた。


「……鯨幕が。」


その人は鯨幕、と繰り返した。


「君、本当に見ちゃったの?」

そして如何にも気の毒そうな

顔で、じっとこちらを凝視する。


「…何か、マズい事でも?」


「あの家には誰も住んでないの。

葬式を出そうにも、あそこはもう

かなり前から空き家なんだから。」

「空き家…って、そんな。」

「時々いるんだよね。あの屋敷に

鯨幕が出ているのを見た、って

言う人が。」

 そこで、彼女は声のトーンを

幾分、落とした。

「鯨幕を見た人、いつの間にか

居なくなっちゃうんだよ。

君は来たばかりだから知らないと

思うけど。」

「え。それ…ってどう言う。」

「まぁ、事情はそれぞれだとは

思うんだけど、皆んな辞めて

行くんだよ。鯨幕を見た、って

言い出してから割とすぐに。

 君も、何か相談事とかあれば

早めに吐き出しなよ?」

 そう締め括ると、彼女は足早に

去って行ってしまった。


正直、意味がわからなかった。


誰かに詳細を尋ねる気にもなれず

何だか釈然としない思いを抱えて

その日は帰宅する事にした。

 だが、そんな釈然としない思いも

最寄駅へ向かう途中の、

あの 鯨幕の屋敷 に差し掛かる

までだった。



既に周囲には夕闇が迫っている。

駅へと通じる道だというのに

街灯は殆どない。

 山が近いせいか、余計に気味が

悪く感じられる道の、その端に。

          


視界の先に、ぼんやりと

       葬式の提灯 が。



 思わず、息を呑んで凝視する。


白と黒の鯨幕は、半ば闇の中に

溶けながらも相変わらずそこに

存在し、鮮烈さを誇示している。



確かに、葬式はあったのだ。



空き家だなんて。


こんな大きな屋敷が、そうそう

放置してある訳がないじゃないか。

きっと、揶揄われたに違いない。

そう思うと馬鹿馬鹿しくなった。


足は屋敷の方へといつの間にか

吸い寄せられて、鯨幕の張られた

敷地内の様子に目を遣ると、

いつもは白いカーテンに遮られて

見えない内側が具に見て取れた。


 煌々と光る室内の明かりの中に

大勢の喪服姿の人たちが。



 なんだよ、やっぱり葬式は

      あったじゃないか。



大勢の喪服姿の男女が、窓際に

並んでこっちを見ている。

            が、


それが 自分 を凝視していると

知った瞬間。

       ぞっとした。


決して見てはいけないモノ を

見てしまった。しかも、それを

知られて しまった。

 


金庫の奥  遺言書  注連縄

 錆びついた鍵  古い木箱 

行内限    盛り塩



喪服の人々は無表情で。それでも皆

じっと、こっちを凝視している。


軽い会釈もそこそこに、駅へと続く

暗く細い道を、全力で駆け出して

いた。


駅までは、それ程の距離ではない。


にも関わらず、走っても走っても

一向に駅前の明るさは見えず、

走りながら不安になり、それを

払拭する為に又、走った。


 走って、無我夢中で走って。




漸く道の先に光が見えて来た、






         それは



ぼんやりと視界の先に現れた

       葬式の提灯 で。



 思わず、息を呑んで凝視する。



白と黒の鯨幕は、もうすっかり

闇の中に溶けながらも相変わらず

存在し、鮮烈さを誇示している。








確かに、葬式はあったのだ。







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鯨幕の家 小野塚  @tmum28

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