重い本命チョコでも受け取ってくれますか?

羽間慧

重い本命チョコでも受け取ってくれますか?

 この作品は、宇部松清さまの「サワダマチコの婚活」

 https://kakuyomu.jp/works/16817330664669144391


 の番外編である「サワダマチコのバレンタイン」


https://kakuyomu.jp/works/16818023212812062465


 の二次創作になります。ネタバレを含んでおりますので、未読の方は本編を先に読まれてくださいませ。


 原作者さまと、あのバレンタインの続きが読みたい同志さまに捧げます。





 ■□■□





 お菓子を作っているときに、家族から話しかけられることはあった。同級生に渡すのか、味見させてくれるのか。私の手作りで太ったなんて軽口を叩きつつも、出来上がりを楽しみにしているらしい。


 話しながらでも、分量を測り間違えたり、工程を忘れたりするミスは起きなかった。だが、この状況で同じことが言える自信はない。

 私はハンドミキサーを止めた。


「あの。しら、恭太さん。近すぎないですか? メレンゲをあまり立ててしまうと、うまく焼き上がらなくなります」

「それはやだな。せっかくマチコさんが俺に作ってくれるんだから、一番美味いやつが良い」

「だったら……!」


 今すぐにでも、私の横で見守るのをやめてほしい。娘の初めてのおつかいを見守るパパみたいで、恥ずかしい。


「俺、マチコさんが一生懸命になるところを見るの好き。いつもは厨房のマチコさんがちょっと遠いけど、今はカウンター越しじゃないからずっと見ていたい」

「っ!」


 ここからの工程はスピード勝負なのに、白南風しらはえさんの視線が気になって手を止めかねない。


 ただでさえ顔を隠すマスクがないのだから、裸を晒しているようなものだ。先にお風呂どうぞと退出させる切り札は、すでに使ってしまっている。


 白南風さんの入浴が早かったことは想定外だ。髪が乾いていない白南風さんは、部屋着でも見とれてしまう。グレーのパーカーも、この人にかかれば野暮ったくならない。私が着たら干物女にしか見えないのに。神様は残酷な判断を下す。


 私の視線に吸い込まれるように、白南風さんは顔を近づける。


 こ――、このタイミングでキスをするつもりですか。ハンドミキサーとボウルで両手が塞がっているのに。

 いやじゃ、ない、ですけど。


 ぎゅっと目をつむった私の頬を、白南風さんが撫でる。


「長居しすぎた。あっちで待ってる」


 蛇口に映った私の顔は、すっかり茹で上がった蛸になっていた。チョコレートにメレンゲを加えて混ぜた記憶がない。いつの間に型へ流し込み、ボウルを洗っているのやら。


 この後、本当に白南風さんとできるのか――?! やっぱり今日はやめとこうって、白南風さんから言われたらどうしよう。


 バレンタイン当日に、婚約者の前でガトーショコラを手作りする。それだけでもハードルが高いなんて、少し前の私は全然想像できなかった。自分には恋愛なんておこがましいと信じきっていたから。

 今日だけは勇気を出さないといけないですよね。白南風さんは手作りチョコが嫌いだと、勝手に思い込んでしまいましたし。


 私はオーブンの残り時間を確認し、身支度を整えに行った。





「し――恭太さん、ガトーショコラできましたよ」


 テーブルで眠りこけていた白南風さんは、待てをしすぎて空腹の限界を超えた犬のようだ。夕食はすでに外で済ませてきたから、単に疲労が溜まっていたのだろう。今日はこのまま寝かせるべきか。考えているうちに、白南風さんは目を覚ました。


「ん……ごめん、俺どれぐらい寝ちゃってた?」

「一時間は経ってますね。粗熱を取りましたから。眠そうなので冷蔵庫にしまいますか?」

「食べる。マチコさんの分は?」

「私は明日食べます。しら――恭太さんに出した残りを、冷やしているんです」

「それ、俺も明日食べていい?」


 もともと、白南風さんのために作ったガトーショコラだ。二日連続で食べてもらえるのはありがたい。私が頷くと、白南風さんは安心したように口いっぱいに頬張った。


「ごちそうさま。マチコさんの手作り、ずっともらいたかったから、すっげぇ嬉しい。美味しいのは予想していたけど、やっぱり美味しいわ」

「それはよかったです。あの、し――恭太さん」

「何?」

「抱きつかれると、その」


 私は見上げられる瞳に根負けした。


「しら――恭太さんがほしくなります」

「いいじゃん。ほしくなっても」

「で、ですが、し――恭太さんはお疲れではないですか? さっきまで寝ていたのに、無理してもらいたくないです」

「じゃあさ、よしよししてよ。そしたらいくらでも頑張れる」

「よ、よしよーし」


 私はこわごわと白南風さんの頭を撫でた。緊張のあまり、力加減を間違えないように。

 気持ち良さそうに目を閉じる白南風さんを見ていると、小さいときの義孝おとうと蓮君おいっこを褒めるときには感じない気恥ずかしさが沸き上がる。


 白南風さんは、目をそらす私の手に口づけを落とした。ベッド行こっかと言って。


 唇を数回重ね合わせたら、全て脱がされるものだと思っていた。白南風さんは私の輪郭をなぞるように、キスの雨を降らせた。雨粒とは違い、体を温めてくれる。


 白南風さんの手は素肌を伝い、背中にあるはずのホックを外そうとした。


「こっちです」


 フロントホックを見せる私に、白南風さんは息を呑む。据え膳食わぬは何とやら、でしょう? 白南風さんの初めてにはなれないけれども、婚約者として満足してもらいたいなぁと。


「自分から差し出すなんて、何可愛いことしてくれちゃってんの? 赤いレースのどスケベ下着、それで今日一日働いたの?」

「ち、違います。し――恭太さん以外に見せるつもりないです」


 今になってようやく、アラサーが若作りしてみっともないと自覚が芽生える。


「マチコさん、隠さずに見せて。俺だけにあげたいとこ」


 その言葉で、怖さは忘れられた。けれども、白南風さんに触れられる度に恥ずかしさは増すばかりだ。


「さすがにそこは――! 顔が近すぎです。汚くないですか?!」

「マチコさんに汚いところなんてないよ」


 それにと、白南風さんは微笑んだ。


「チョコレートみたいな甘い香りがする」


 私が濡らしてしまった指に、白南風さんは口をつけようとする。


「やめて、ください。恭太、さん……」

「だーめ。俺のだから。全部」


 手作りチョコを食べたときと同じ笑顔に、私は再び溶かされる。一晩寝かせたガトーショコラを食べたのは、翌日の十六時を過ぎたころだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

重い本命チョコでも受け取ってくれますか? 羽間慧 @hazamakei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ