あそび

無名の人

あそび

最新の科学雑誌の記事に「ボール遊びをするハチ」の話があった。直接的利益には結びつかない行動を繰り返し行うこと(=遊び)が、哺乳類や鳥類(さらには頭足類・魚類も)以外で詳細に観察された貴重な研究だ。これが昆虫の「知覚力」(=内的な感情と体験)の有無を解明する手がかりになることが期待されているそうだ。そのうち「ミツバチの気持ち」がわかる自動翻訳機が深夜のテレビショッピングで売られるようになるかもしれない。(その頃まで「テレビ」というメディアが存続していれば、の話だが。)


専門家によると、運動技能を発達させるための先天的な必要性から「遊び」が生じている可能性があるそうだ。つまり、脳の進化には「遊び」が必要かもしれないということだ。数年前のベストセラー『 Future Intelligence 』( Kaufman & Gregoire ) でも、非凡な発想(創造性)の鍵は「遊び」にあるということが指摘されている。「プロセス」そのものを楽しむ人の方が、「成果」を重視する人よりも「質の高い結果」を生み出す可能性が高い、という心理学的研究結果が得られたそうだ。また、老化防止(アンチ・エイジング)の観点からも「遊び」は大切だ。(「老けない人は遊んでいる」そうだ!)森鷗外も、『あそび』という短編(主人公 木村)の中で驚くほど深い考察を試みている。


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この男は著作をするときも、子供が好きな遊びをするような心持になっている。それは苦しい処がないという意味ではない。どんな sportをしたって、障礙を凌ぐことはある。また芸術が笑談でないことを知らないのでもない。自分が手に持っている道具も、真の鉅匠大家の手に渡れば、世界を動かす作品をも造り出すものだとは自覚している。自覚していながら、遊びの心持になっているのである。ガンベッタの兵が、あるとき突撃をし掛けて鋒が鈍った。ガンベッタが喇叭を吹けと云った。そしたら進撃の譜は吹かないで、reveilの譜を吹いた。イタリア人は生死の境に立っていても、遊びの心持がある。兎に角木村のためには何をするのも遊びである。そこで同じ遊びなら、好きな、面白い遊びの方が、詰まらない遊びより好いには違いない。しかしそれも朝から晩までしていたら、単調になって厭きるだろう。今の詰まらない為事にも、この単調を破るだけの功能はあるのである。

(森鷗外『あそび』より)

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これは生物に限った話ではない。車のハンドル(steering)も「あそび」がないと危険だ。(と、数十年前に自動車教習所で教わった記憶がある。)情報処理分野でも、システムの安定性・信頼性にとって redundancy (冗長性・あそび)は重要である。(例えば、今のようなクラウド・サービスが利用できるようになる前に購入したことがある RAID( Redundant Array of Independent (Inexpensive) Disks)など)もちろん、遺伝情報の暗号にも redundancy は存在している。例えば、codon とアミノ酸の対応は1対1でないし、そのことが突然変異や進化の原動力になっている。


自分の生活を振り返ってみても、心の「あそび」(= ゆとり)がないと万事うまくいかない。締め切りに「追われたり」、発破をかける意味で第三者に「追い込まれたり」すると、狐狩りのキツネや巻き網漁のサカナよろしく、パニック状態に陥るだけである。蜂や蟻の集団でも、一部の「働き者=精鋭部隊」と同程度に「怠け者=遊軍?」が存在するし、働き者だけを選抜して新しい集団を作っても、やがて元の比率に戻ってしまうそうだ。(進学校や予備校などで「選抜クラス」を作るのも、一見合理的なようで「実は愚か」なことなのかもしれない。)


昨年末に人類学者 磯野真穂先生の講演の中で「遊びとしての文化人類学」というお話を伺った。地球上の生命体の中でも特に著しい進化を遂げた人類には、生物学的な意味での進化にとどまらず、高度に複雑なシステムの発達という観点からも、宿命的(先天的)に「遊び=学び=知的散歩」が必要なのかもしれない。

(人工知能が「遊び始める」ことのないように祈りつつ・・・)


2023.3.15

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あそび 無名の人 @Mumeinohito

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