第5話 ノック

 額に大きな絆創膏を貼った野乃花 茜は女子高校生だ。終礼後は錬人の家に直行することが日課となっている。

 黒いポニーテールを揺らし、周りが見とれてしまうほど美しい健脚でスキップしながら帰路につく。彼女は満面の笑みであった。


 家に着くと鞄から合鍵を取り出して玄関へと入る。


「こんにちはーーー!」


 元気よく声を張り上げるも返事が来ることはない。不審に思った彼女は靴を脱いでリビングの方へ向かう。

 そこには誰も居らず、閑散としていた。


「誰かいないのーーー!」


 叫んでも何も起こらない。まだ鍛錬しているのかと思った茜は、テーブルの椅子に座って帰りを待つことにした。

 荷物をどうしようかと辺りを見渡した時、テーブルの上に白い封筒が置かれてあるのを見つけた。

 何か嫌な予感がした茜は鞄を放り投げると、体が若干震えながら封筒を開ける。封筒にはボールペンで書かれた手紙が一枚入っており、茜はそれを食い入るように読む。


「よう茜。親父が残したボイスレコーダーは聞いたか? 勝手で悪いが聞いたのを前提に話させてもらう。俺は沼能のところに乗り込むことにした。すまんが少しの間家のことを頼んだ。茜はついてこないでくれ。危ないからな。じゃ」


 気が付けば彼女は大粒の涙を流してその場に蹲っていた。指圧でクシャクシャになった手紙に顔をうずめ、声を上げて泣く。



「お嬢ちゃん。大丈夫かい?」


 床が水浸しになってしまっていた頃。一人の男性が茜の肩を優しく叩いた。彼は茶色いコートを羽織い、髪は黒いツーブロックを決めていた。


「はえ?」


 茜は崩れまくった顔で振り返る。男は心配そうな目で尋ねる。


「だ、大丈夫かい? えらく号泣してたけど」


「え、えっと……その……」


 彼女は視線を下におろす。男性は涙でインクが滲んだ手紙を一瞥すると、しゃがんで神妙な面持ちで彼女の眼を見る。


「俺の名は浜崎はまさき のぼる。刑事だ。嬢ちゃんは野乃花 茜……ちゃんで合ってる?」


「あ……はい……」


 彼女は力の無い声で答える。


「そうか。俺達はこれから中野 沼能及び彼が教祖を務めている宗教団体、巨掠一きょぐらいの関係者たちを逮捕しに行く。ここには最終確認の一環として立ち寄ったのだが、慟哭が聞こえたので入ってみると君がいた。君は錬人君の恋人かな?」


「……はい」


 彼女はまともに動けるような状態ではなかった。だが、錬人君の恋人という単語が鼓膜を揺さぶった時、茜は条件反射で何度も大きく頷いた。

 この際嘘などどうでもよかった。


「わかった。なら、嬢ちゃんも一緒に来るかい? 彼氏を連れ戻しに敵の本部へ」


「ふぇ?」


 茜は口が開きっぱなしになった。彼は錬人が今どこにいるのか知っているのか。しかもすぐに向かうと言っている。

 彼女は呆けた。少しの間葛藤し、数度まばたきをする。そして彼女は呟いた。


「今すぐですか?」


「ああ、そうだ」


「彼はそこにいますか?」


「断定はできないが可能性は極めて高いだろう」


「準備とかは大丈夫なんですか?」


「もちろんだ」


 彼は力強く頷いた。瞬間、生気が茜の体内を駆け巡る。瞳孔はかっぴらき、はち切れんばかりの力で拳を握る。彼女は素早く立ち上がると、茜を見上げる彼を見つめる。


「行くわ。どこにへだって」



 とある場所にある白や黒、金などが入り混じったドデカい教会の扉の前に錬人は立っていた。


「ここがそうか……」


 彼は鋭い眼光で建物を睨む。重くてひりつく空気を吸い込み、錬人は慎重に扉を開けた。

 教会内は一般的なところとさほど変わらず、入り口から奥にあるひな壇まで真っすぐに敷かれたレッドカーペットを軸に、左右対称に並べられた長方形の椅子群。ひな壇の後ろに設置された大きな十字架といくつかの象。

 そして、肩まで伸びた黒い髪を後頭部に集めて括り、両拳を黒いテープでぐるぐる巻きにした逗針 鉄斗がレッドカーペットの上で待機していた。


 二人は再会するなり眼を飛ばし合う。先に発言したのは鉄斗の方だった。


「よう。元気にしてたか」


「そっちこそ。相変わらず敵の犬になって罪を犯して。惨めだな」


「黙れ! 俺だって正式な隊員になるために必死こいて努力したんだよ! でも……もうあいつに頼るしか強くなれねぇんだよ!!」


「なぁに相手の迷信に感銘を受けてるんだよ。追い込まれてたのはわかるがさすがに限度っちゅうのがあるぞ」


「黙れと言っているだろ!! もうどうだっていいんだよ! 史真さんが死んだ今、もはや全てがどうでもいい……俺には何も残っちゃいないんだよ!!!」


 鉄斗は力強く踏み込んで錬人に殴り掛かる。


「ふざけんじゃねぇ! お前だって間接的に殺しに加担しただろうが!!」


 錬人も彼目掛けて一気に駆けだす。


 両者の拳が衝突するのに刹那もかからなかった。

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