定量的・定性的

無名の人

定量的・定性的

「単純なことしか定量化できない。」


科学を始めた人たちには自明のことだったのに、科学の発展と共に、定量化されたこと(単純なこと)だけで物事を考えてよしとする風潮が蔓延ってきた。


人間の能力から感情・嗜好まで数値化し、高度な数学を駆使して分析する統計学も「安上がりで便利」ではある。しかし、定量化の過程で分析者の価値判断が入り込むのは原理的に不可避であろう。


人工知能 (AI) による人事評価がしばしば大失敗に終わったり、音の「大部分」を安上がりに記録再生するデジタル技術の「透明な音」に物足りなさを感じるのは何故か。個人的には「デジタル化された透明な味」のスープなど飲みたくもない。


神ではない人が何らかの価値判断に基づいて作ったプログラム(ソースコードが開示されていればまだしも、コンパイルされて0と1の配列になった瞬間にほぼブラックボックスと化す)をどこまで信頼するかが問題である。


ありとあらゆるプログラムのソースコードをチェックして、差別的・全体主義的価値判断が埋め込まれていないかを日々評価し続けるだけで、気が遠くなるような社会的コストがかかりそうだ。(ひょっとすると、民主主義を守るための新産業と雇用の創出につながるかもしれないが、民主主義のために追加で金を払う者がどれくらい存在するかは定かでない。)


いっそのこと「神としてのプログラム」に合わせて人も社会も適応した方が、胡散臭くて気まぐれな「指導者たち」に忖度して生きるよりましだ、と短絡的に思考停止に陥る者も出かねない。


「思考の単純化による問題の複雑化」なのかも知れない。


先人たちのように、健全な常識に基づく哲学的・文学的 (できれば美的な) 生き方を実践したいとしみじみ思う。


2022.5.1

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